02:崩壊した都市

「なにコレ、これもアトラクションの続きなのかナ…?」


 今度はエリオットの顔から血の気が引いている。さっきまでの楽しそうな表情は消え、恐怖に染まっている。


 彼は高所は平気だが、ホラー系、特に不気味な雰囲気や突然の脅威には滅法弱いのだ。


 以前、軽い気持ちで日本のホラー映画の予告編を見せたら、怖すぎて失神しかけた、という逸話があるくらいだ。徐々に俺にすり寄ってきて、ついにはガシッと腕に抱きついてしまった。


 うわっ、柔らかい! しかも、なんかいい匂いがする!


 腕に伝わる二つの柔らかい感触と、ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香り。健康な男子高校生としては、非常に、いや、かなり嬉しい展開ではあるのだが、だから! コイツは男のはず!


 ――ちがう、問題はそこじゃない!


 


 おかしい。絶対におかしい。


 これは、VR機器が脳が作り出している幻覚なのか? だとすれば、あまりにも鮮明すぎる。あまりにも、本物すぎる。


 まだ一般向けのVRは、視覚と聴覚の再現がメインのはずだ。


 触覚や嗅覚、温度までリアルに感じられるなんて、少なくとも俺が買った最新機種でも実装されていない機能だ。


 なのになぜ、俺はこれらをいるんだ?


 そして、目の前に広がるこの崩壊した新軸は一体何なんだ? アトラクションの演出? それにしてはリアルすぎるし、悪趣味すぎる。


 システムメニューを呼び出そうと、空中に手を動かしてみるが、何の反応もない。ログアウトのコマンドも表示されない。


「どうなってるんだ…? これでは、まるでこのVR世界に閉じ込められているみたいだ……」


 不安が急速に胸の中に広がっていく。


 仕方がない。比較的に崩壊の度合いが少ない、あの巨大な都庁舎の中に入って、何が起こっているのか調べるしかないだろう。


「なあ、エリオット。都庁の中、調べてみないか?」

「いや、ちょっと! 中に入るって、ホラー映画だと絶対ダメなやつじゃなイ?! 鉄板のバッドエンドフラグだヨ!」


 半泣きになっているエリオットが、俺の腕にしがみつく力を強める。


「でも、システムコールも効かないし、他に手がかりもないだろ。それが嫌なら、ログアウト…って、できないんだったな」

「そ、それはイヤ! せっかくユートとデ…じゃなくて、遊べるのに…」


 ん? なんか今、言い直さなかったか?


「ともかく、他に方法がない。行ってみよう」

「ウ…ウン…」


 しぶしぶといった感じで、エリオットは頷いた。


 都庁舎の自動ドアは壊れて動かず、ガラスが割れた部分から内部へと足を踏み入れる。


 外観の損傷に比べて、内部は思ったよりも原型を留めていた。


 しかし、本来なら明るいはずのエントランスホールは、非常灯らしき赤いランプが点滅するだけで薄暗く、床には観光パンフレットや書類のようなものが散乱している。


 空気は埃っぽく、しん、と静まり返っているのが逆に不気味だ。照明のスイッチを探してみるが、見当たらないか、あるいは停電しているのか、点灯させることはできなかった。


「こっちに案内コーナーがあるはずだ。何か情報があるかもしれない」


 俺たちは、薄暗いホールを壁伝いに進み、観光案内コーナーを目指す。

 コーナーにはカウンターがあり、その上にはPCがいくつか並んでいた。ほとんどは画面が割れていたり、倒れていたりしたが、その中で一台だけ、比較的損傷の損傷が少ないノートPCがあった。


 VR空間の中でPCを起動する、というのも奇妙な話だが、他に手がかりもない。俺はそのノートPCの電源ボタンを押した。幸い、バッテリーが生きていたのか、数秒後に起動音が鳴り、OSのロゴが表示された。


 起動できたのでインターネットに接続を試みる。

 ……繋がった。


 まずはネットニュースで現状を把握しよう。

 ブラウザを立ち上げ、ニュースサイトを開くと、目に飛び込んできたのは、信じられないような見出しばかりだった。


『2050年 サイバーテロによる死傷者数、未曽有の規模に』

『新型ウイルス感染拡大止まらず、アンチウイルスも効果限定的』

『警告:感染アンドロイドを発見した場合、直ちに避難し、最寄りの警察署または軍施設へ通報を』


「なんだか…ゾンビ映画みたいな内容…」


 隣で画面を覗き込んでいたエリオットが、怯えた声でポツリと呟く。


「そんな感じだな…。アトラクションが、こういうサバイバルホラー系に切り替わったってことなのか…?」

「ホラーアトラクションなら、全力でお断りしたいんですケド…」


 エリオットの顔が、さっきよりもさらに青ざめている。


 これがFPSやRPGの世界なら、彼は強力な武器や魔法を手に、恐怖を攻撃的なエネルギーに変えて敵を薙ぎ払うだろう。


 だが、ここは武器も魔法もない(はずの)場所だ。彼の恐怖は、ただただ彼自身を蝕むだけだった。


 ガタッ


 その時、俺たちがいる案内コーナーの奥、通路の方から、何か物が倒れるような音が響いた。


「ヒッ!」


 エリオットが短い悲鳴を上げて飛び上がり、再び俺の腕に強くしがみつく。


「誰かいるのかな。ちょっと様子を見てこよう」

「ダ、ダメだヨ! それもホラーのお約束! 絶対行っちゃダメなやつだヨ!」


 ホラー嫌いの割に、そういう「鉄板」にはやけに詳しいな…と思いつつも、


「でも、このままだと何も分からないだろ。大丈夫、すぐ戻るから」

「ア、アノ、腰がぬけちゃっテ…動けなイ…」


 恥ずかしさからか、エリオットの顔が青から赤に変わっていた。


「わかった。じゃあ、俺が見てくる。ここで待ってろ」

「す、すぐ戻ってきてネ! 何かあったら、ボクのことは気にしないで、すぐ逃げてネ!」

「わかった、わかったから」


 バードビューの時とは完全に立場が逆転してしまった弱気なエリオットを、近くにあったソファーまで誘導して座らせ、俺は一人で音のした通路の奥へと慎重に進んでいった。


 薄暗い通路の先に、人影が見えた。

 女性だ。都庁の職員のものと思われる制服を着ている。


 背を向けて、何か作業をしているように見える。生存者だろうか? それとも、この状況を説明してくれるNPCか?


「あのー、すいません!」


 少し距離を保ちながら声をかけるが、反応がない。


「あの!」


 もう少し近づいて、もう一度呼びかける。それでも彼女は振り向かない。何か異常に集中しているのか、それとも…。


 あまりにも反応が無いので、思い切って近づき、その肩にそっと手を置いて振り向かせようとした、その瞬間――


 ギギ…


 という異音と共に振り向いたその"女性"の顔を見て、俺は息を呑んだ。

 顔の右半分が、無かった。


 皮膚や肉があるべき場所は無残に剥がれ落ち、内部の金属フレームや配線、赤く点滅するセンサーのようなものが剥き出しになっている。残った左目だけが、虚ろに俺を捉えていた。


「ア゛ヴァーー……オ、オキャク、サマ……ドウイッタ、ゴヨウケン、ガガガ……」


 壊れたスピーカーから流れるような、ノイズ混じりの合成音声。

 そして、半壊した顔面の恐ろしさ。生理的な恐怖が背筋を駆け上がり、俺は思わず叫んでいた。


「うわあああっ!」


 すぐにその場から飛び退きたかった。


 だが、振り向いた"彼女"――いや、アンドロイドは、ガッチリと俺の腕を掴んで離さない。人間とは思えない、万力のような力だ。


「ユート?! 大丈夫?!」


 俺の悲鳴を聞きつけて、エリオットが心配そうな声をかけてくるのが聞こえる。まずい、こっちに来させちゃダメだ!


「だ、だいじょうぶだから! こっちに来るな!待ってて!」


 エリオットは、アバターとはいえ見た目は完全に非力な女の子だ。


 こんな危険な目に合わせるわけにはいかない。それに、こんな無様な姿を見られたくなかった。


「オ゛カゲンガ、ワルイ゛ヨウデスノデ……イム、シツニ……ゴアンナイ、イタシマス……」


 アンドロイドは、意味不明な言葉を発しながら、掴んだ俺の腕を振り回すようにして、いとも簡単に俺の体を投げ飛ばした。


 壁に背中から叩きつけられ、後頭部を強かに打ち付ける。視界がぐにゃりと歪み、星が散る。意識が急速に遠のいていく…。


 遠いところで、エリオットが必死に俺の名前を呼んでいる声が聞こえる気がする。


(エリオットが…本当に女の子で、あんな子が彼女だったら…最高、だよな…)


 そんな場違いなことを考えながら、俺の意識は、深い闇へと沈んでいった。




 ―


 ――


 ―――ちがう。

 意識が闇に沈んだのではない。


 夢から覚めたのだ。


 あの崩壊した新軸での出来事が、全てVR体験だったということを、意識が浮上すると同時に思い出した。


 俺はベッドから転がり落ちていて、その衝撃でVRマシンの接続も切れていたようだ。床に落ちたヘッドギアが、鈍い音を立てた。


「VRって、すごいな…。途中から、どっちが現実か、本気で分からなくなってたわ…」


 床に座り込んだまま、そう呟きながらVRヘッドギアを外そうとして――おかしな事に気づいた。


 俺は、自分の部屋でVRを始めたはずだ。フローリングの床で、壁には好きなバンドのポスターが貼ってある、見慣れた部屋。


 なのに、今、俺がいるこの場所は…。

 見渡すと、そこは白を基調とした、無機質な部屋だった。


 壁も床も天井も、継ぎ目のない滑らかな素材でできている。


 部屋の中央には、俺がさっきまで寝ていた(らしい)ベッドと、もう一つ、同じデザインのベッドが置かれているだけ。


 窓はなく、空気はひんやりとしていて、消毒液のような匂いが微かに漂っている。まるで、SF映画に出てくる未来の"病室"か、あるいは実験施設のようだ。


 ふと、もう一つのベッドに視線を向ける。


 そこには、誰かが寝かされていた。頭部には、俺がさっきまで使っていたものと同じタイプのVRヘッドギアが装着されている。


「ユート! どこ?! 大丈夫なの?!」


 そのベッドの人物が、突然、必死な声で俺の名前を呼んだ。

 …まさか? その声は、さっきまでVRの中で聞いていた、あの澄んだ声にそっくりだ。


 俺はよろめきながら立ち上がり、そのベッドに近づく。そして、ためらいながらも、彼女のVRヘッドギアの接続を解除し、そっと外した。


 現れた顔は――。


 VRの中で出会った、あの金髪ショートカットのアバターに、瓜二つだった。


 俺の姿に気づいた"彼女"は、驚いたように碧色の目を見開き、次の瞬間、勢いよくベッドから起き上がると、俺に飛びつくように抱きついてきた。


「良かった!! ユート、無事だったのね!!」


 柔らかい感触と、VRの中で感じたのと同じ、甘く清潔な匂い。混乱した頭で、それでもその温もりを確かに感じながら、俺は問いかけた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ…。君は、一体…?」

「ボク…ボクがエリオット。…ううん、今まで黙ってたけど、本当の名前はエリスっていうの…」


 え? あのゴツいアバターのエリオットじゃなくて、目の前のこの子が、本当に「中の人」? エリオットじゃなくて、エリス。女の子だった!


 その事実に喜びたい気持ちと、この異常な状況への困惑がせめぎ合う。


 そもそも、そのエリスはアメリカにいるはずだ。

 なぜ、日本の、こんな場所に?


 疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡っていると、突然、部屋の壁の一面が淡く光り、プロジェクターか何かで投影されたような映像が浮かび上がった。


 そこに映し出されたのは、"バードビュー"のガイド役だった、あの無表情なホテルマン風のNPCの姿だった。


「あなた方は、首都圏で発生した大規模サイバーテロにおける、現時点での唯一の生存者です」


「現在、首都圏は、所属不明のウイルスに感染し暴走したアンドロイド群によって完全に占拠されており、外部からの救出は極めて困難な状況です。」


 ガイドNPCは、抑揚のない声で、淡々とそのようにアナウンスしていた。


 これは一体、どういうことなんだ…? この部屋は? エリスは? そして、このアナウンスの意味は?


 俺たちの現実は、どこへ行ってしまったのだろうか。


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