リアリティ―仮想境界線の迷い人―
白石誠司
第一章
01:仮想の東京
「ついに念願のVRマシンをてにいれたぞ!」
どこかのゲームで聞いたようなセリフが、思わず口をついて出た。
自室のベッドに腰掛け、新品のVRヘッドギアを手に取る。ひんやりとしたプラスチックの感触と、未来的なデザインが所有欲を満たす。
まえからバーチャルリアリティのゲームをやってみたくて、雑誌を読み漁り、欲しいゲームのために小遣いを節約し、夏休みのバイトも頑張った。その努力が今、この黒く滑らかなデバイスとして結実している。
さっそく、アメリカのネットフレンド、エリオットに連絡した。
彼とはもう数年の付き合いになる。前々からVRマシンに興味があること、資金が貯まったら購入を考えていることをメッセンジャーで話していた。
『VRマシン買ったぞ!』
『マジか!おめでとう!』
彼は以前から日本に行きたい、特にアニメやゲームの聖地である東京に行ってみたいと熱っぽく語っていた。リアルな旅行はまだ難しいだろうが、これならどうだ?
『"VRトーキョー"っていう観光ソフトがあるんだけど、一緒にどうだ?』 『それはいいネ!ぜひ行こウ!』
時差があるはずなのに、すぐに返ってきたメッセージは、喜びを隠せないような弾んだ絵文字で彩られていた。
『あ、新しいアバターで行くのでボクを見てビックリしないでネ』
いつもゴツい、ロボットやドワーフのようなアバターを使うエリオットが「ビックリするな」と前振りしてくる。一体どんな姿で現れるつもりなんだろうか?想像がつかない。
エリオットとの出会いは、数年前に始めたFPSゲームだった。
右も左も分からず、ただただ撃たれまくっていた彼を見かねて、基本的な操作から立ち回りまで、俺が丁寧に教えてやったのが始まりだった。
画面の向こうの彼は、屈強なアバターとは裏腹に、どこか臆病で、それでいて優しい声をしていた。それが俺のエリオットに対する第一印象だ。
そこからFPSだけでなく、ファンタジー系のオンラインRPG『EIO(エターナル・イマジン・オンライン)』にも誘った。意外にも、エリオットは銃弾が飛び交う殺伐とした戦場よりも、剣と魔法の世界の方が性に合っていたらしい。今ではEIOにすっかりのめり込み、強力な魔法を操る精霊術師として、一部ではかなり有名なプレイヤーになっている。
もっとも、『上手い』というよりは『MPが尽きるまで最大火力を叩き込み、敵も自分も巻き込んで相打ち覚悟』という、ハイリスクハイリターンな無謀な戦いぶりで有名だったりするのだが。
それでも、彼は人懐っこくて、根は本当にいい奴だ。
一人っ子の俺にとって、彼は初めてできた「親友」であり、同時にどこか放っておけない「弟分」のようにも感じている
だから、今回のVR体験も、ちょっとだけ兄貴分として、いいところを見せてやりたい。もちろん、エリオット自身にもこの仮想東京を心ゆくまで楽しんでほしいけれど。
ヘッドギアを装着し、起動スイッチを押す。視界が暗転し、数秒のローディングの後、目の前に仮想空間が広がる。俺はVRマシンを装着して、"VRトーキョー"にログインする。
アバターは、あまり現実と乖離させるのは好きじゃない。
今回も、普段の俺…黒髪で、特に目立つ特徴のない、ごく普通の高校生の姿をベースに、少しだけスタイルを良く調整したものを選んだ。
待ち合わせ場所は、VR新軸駅。
巨大なターミナル駅の象徴、東口のビジョン前広場を指定した。
仮想の新軸駅東口は、驚くほどリアルに再現されていた。
駅舎の巨大なガラス壁、特徴的な駅名表示、行き交う人々…いや、違う。人々はいない。広告ビジョンは鮮やかに映像を流しているのに、そこにいるはずの雑踏が存在しない。
まるで時間が止まったか、あるいは人類だけが消え去ったかのような、奇妙な静寂が支配している。
現実と寸分違わぬ風景の中に漂う非現実感。これはVRの限界なのか、それともこのソフトの仕様なのか、いや、それとも…。
その静寂の中、俺はこれから現れるはずの親友を待っていた。
「ユート」
不意に、背後から鈴を転がすような、澄んだ声がかかる。
エリオットが来たようだ。が、あれ? 女の子の声? いつものボイスチェンジャーを通した低いくぐもった声じゃない。
振り向くと、そこにはいつも画面越しに見上げていた、岩のようなエリオットのアバターはいなかった。代わりに立っていたのは、俺より少し背が低い、陽光を弾くような金髪ショートカットの女の子。
淡いピンク色のワンピースという、めちゃくちゃかわいい服装をしている。大きな色の瞳が、少し不安げに俺を見上げていた。
「え…? えっ?! エリオット?!」
「そうだヨw やだナー、だからビックリするなっていったじゃなイw」
屈託なく笑う声も、完全に女の子のものだ。いや、ビックリするに決まってる! ゴツいのを想像していたら、こんな…こんな、反則的に可愛い子が目の前にいるんだから!
「ん? カワイイ?w ユートの好みの外見カナ? カナ?w」
しまった、心の声が漏れていたらしい。俺の反応を見たエリオット(?)は、なぜか小さくガッツポーズをしている。…確かに、どストライクなわけですが…。
「と、とにかく、なんで急に女子アバターなんだよ!」
動揺を隠すように、少しぶっきらぼうな口調になってしまう。
「んー、気分転換w VRとはいえトーキョー観光するわけだし、男2人てのもムサいでショw」
まあ、理屈は分かるけどさ。分かっていても、目の前の美少女(中身はいつものエリオットのはず)に、心臓が妙にドキドキするのを止められない。
「ま、彼女いないユートには刺激が強かったカナw」
「ば、馬鹿にするな! 事実だけど…」
図星を突かれて、顔が熱くなるのを感じる。
「そうそう、"バードビュー"っていうアトラクションがあるそうだヨ。ボクそれをやってみたいナ」
エリオットは俺の動揺が生んだ微妙な空気を打ち破るように、これからの行動を提案してきた。パンフレットのようなものを仮想空間で表示させている。
「バードビュー…鳥瞰視点ってことか。面白そうだな。よし、行ってみるか」
俺は、まだ少し残る動揺を振り払うように、その提案に乗ることにした。
"バードビューアトラクション"の集合場所は、新軸都庁前の広場だった。そびえ立つ二つの塔を持つ巨大な庁舎。その足元の広々とした空間に、アトラクションの受付らしきカウンターが設置されていた。
ガイド役の、ホテルマンのような制服を着たNPCのアナウンスによると、開始まで10分ほど待つことになるようだ。
周囲には、俺たち以外にも数人のアバターが集まってきていた。リアルな人間風のアバターもいれば、明らかにファンタジー世界の住人のような姿や、動物を模したアバターもいる。
皆、これからの空中散歩に期待している様子だ。
「そういえばユートは高いとこ苦手だったよネ? 大丈夫?」
エリスが心配そうにこちらを見上げている。
「だ、だいじょうぶ、だし…」
強がってはみたものの、内心は冷や汗ものだ。高所恐怖症。特に、足元がおぼつかない場所は最悪だ。VRとはいえ、このリアルさだ。大丈夫だろうか…。
「顔色悪いヨw なんなら手をつないでて上げようカ?」
悪戯っぽくウインクしてくる。ちくしょう、カワイイじゃねえか…! 中身エリオットのくせに! 美少女(中身男)に完全に翻弄されながら待っていると、やがてアナウンスが響いた。
「では皆様、これより10分間の空中散歩にご案内いたします。VRですので、現実的な危険はございません。どうぞリラックスしてお楽しみください。」
NPCがそう言うと、視界の右下にゲージのようなものが現れる。高度計だろうか? ゲージの下から青い帯がゆっくりと上昇を始めると同時に、ふわりと体が浮き上がる感覚がした。
視点はぐんぐんと上昇していく。眼下にはミニチュアのように小さくなっていく都庁舎と広場。遠くには新軸のビル群が広がり、さらにその先には東京の街並みが地平線まで続いている。
空はどこまでも青く、白い雲がゆっくりと流れている。壮観な景色だ。それは頭では理解できるのだが…足元には何もない。ただ、数百メートルの空間が広がっているだけ。その感覚が、背筋を凍らせる。
「アハッ、やっぱり震えてるジャン。無理しないで良かったのニ。」
隣で楽しそうに景色を眺めていたエリオットが、俺の震えに気づいて笑う。そして、するりと俺の手を握ってきた。
…え?
柔らかくて、温かい感触。妙に生々しく、皮膚の感触まで伝わってくるような。
…温かい? 触覚? うちのVRマシンに、そんな機能あったか? 確か、視覚と聴覚だけのはずじゃ…。
バグか? いや、こんなリアルなバグがあるのか? 掌の熱が、まるで生きているかのように伝わってくる。
高所への恐怖と、不意に伝わってきた手の感触の心地よさ、そして現実ではありえないはずの「温かさ」への疑問。それらが頭の中でごちゃ混ぜになり、思考が完全に停止する。
「あら、かわいらしいカップルねw」
「若いって良いなあ」
一緒に参加していた他のアバターたちが、俺たちの様子を見てからかうような声をかけてくる。
違う! ホントはコイツ、男なんですよ! そう叫びたかったが、恐怖と混乱で声も出せない。エリオットは空中散歩を心から楽しんでいるようだった。
あちこち指さしては何か言っているが、俺の耳にはほとんど入ってこない。
ただただ早くこの時間が終わってほしい、地面に降りたい、それだけを考えていた。生きた心地がしないまま、景色をまともに見る余裕もなく、アトラクションの終了時間が近づいてきた。
ゲージの青い帯が先ほどとは逆に下降を始め、それに伴って視点もゆっくりと下がっていく。ようやく悪夢が終わる…。
「ユート、なんのかんの言って、しっかり握ってたネw ちょっと痛かったヨw」
降りる間際、エリオットが少し赤くなりながら言った。
「…どうせ俺はビビリだよ」
自嘲気味に呟く。
「うん、知ってタ。でもアリガトウ。楽しかったヨ」
そう言ってニッコリと微笑むエリオット。その笑顔は、VRアバターとは思えないほど自然で、魅力的だった。まあ、こいつが楽しんでくれたなら、無理した甲斐もあった…かな。
高度が下がり、都庁前の広場が近づいてくる。安堵感が胸に広がりかけた、その時。俺は目の前の光景に違和感を覚えた。
降り立った新軸の風景は、さっきまでの整然とした姿ではなかった。
都庁の壁面には亀裂が走り、周囲のビルの窓ガラスは砕け散り、道路には瓦礫が散乱している。まるで、大災害か戦争でもあったかのように、街は崩壊していたのだ。
そして、さっきまで一緒にバードビューに参加していた他のアバターたちの姿は、どこにも見当たらない。
一体、何が起こったんだ…?
このVRソフトの演出なのか? だとすれば、悪趣味にもほどがある。それとも、単なるバグ…? いや、こんなリアルなバグがあるはずがない。
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