多喜亮珠――そして9月へ

 ゆすり起こされるように多喜が再び意識を取り戻したのは、救急車のストレッチャーに載せ替えられた衝撃と右胸の痛みからだった。

 さきほどまで日傘でも路面の照り返しで暑く感じるほど体が熱せられていたのに、まるで水風呂にでも浸かったように全身が寒く感じた。


 運び込まれる最後の瞬間、萠妃の顔が見えて、かろうじて無事な右手を差し出した。


「試験、応援してます」


 力の入らない声でそういうと、彼女も応えるように手を差し伸べてくれた。


「うん、頑張る。だからあんたも!」


 声は聞こえ、手先も見えたが、互いに触れ合う間もなく、救急車の奥へと押し込まれてしまった。

 救急車には、大山先生が同乗してくれた。


「すみません、せっかく賞を取ったのに」

「あのくらいなら、来年また取ればいい。去年だって銀賞だったんだから」


 泣きながらそういわれて、ふっと力なく笑った。

 血の気が失せて視界が白らみ、意識が遠のきそうになるが、カーブのたびに脇腹に刺さったままのナイフが揺れる激痛で意識が揺り戻された。


 それを何度か繰り返しながら、無事病院にたどり着き、緊急救命室に運び込まれ、検査と処置が開始された。


 多喜の家族が病院にたどり着いたのは、1時間余り経てからだった。そして処置が終わって入院病棟の個室で再び顔を見た上で、大山先生は帰っていった。


 入院は経過観察も含めて2週間弱ほどで済んだ。


 入院翌日には、萠妃、富山、渡辺の3人が見舞いに来てくれた。

 だが、傷の痛みを鎮静剤でごまかし、安静を保っている状態だったためにそう長い時間の面会はできなかった。


 城戸2尉は週明けすぐに見舞いに来た。今回の治療費は統合治安推進局から出してくれるという話とそのための書類に署名を求められた。


「……ああいうときって、警告なしで発砲するんですね」


「我々は警察ではないからな。警笛が鳴らされて、君らが間に入っている時点で警告は為されたと見なされるんだよ。それに我々の銃に警告発砲用の空砲はないし、軍用弾だから貫通力も高い。非殺傷弾ではなく実包だったのも、弾を換えているような余裕がなかったからだろう」


「あの、撃った人は大丈夫ですか?」

「メンタルケアか? 発砲時は専門医とのカウンセリングは義務付けられているから心配の必要はない」


「……先生だったら、撃ちました?」


「……わからん、状況を把握したうえで動いていれば、君のかわりに刺されている可能性もある。実際、呉さんのストーカー被害もヘイトクライムに関しても報告は受けていたからな。当局のイベント担当者の話を聞く限り、あれでも一応、テロに警戒して警備を増やしては居たんだそうだ」


「確かに、持ち物検査はありました。金属探知機も……あいつは、ずっとコンサートホールの外で機会を伺ってたってことですかね」

「そうかもしれん。実際、持ち物から空の水筒が何本か出てきたらしい」


「……そこまでして、なんで襲おうと思ったんですかね」

「それは……我々の教育の失敗としか言えんな」


 それを聞いて、多喜はその言葉に少し目を丸くした。


「戦前および戦時下において、戦争を肯定する教育をするということは、排外主義的思想を高めるリスクが少なからずある。彼はそういう意味で、教育の影響を受けすぎたんだ」


「僕らについてはどう思います? 成功しましたか?」

「いや、失敗成功以前に軟弱すぎる。だが、だからこそ彼女を守る事ができたとも思っている」


 そういわれて、思わず笑いかけて腹を力んだ瞬間、痛みで笑うどころではなくなった。


「……大丈夫か? ナースコール押すか?」

「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


「では、そろそろお暇するとしよう」

「短い間ですが、お世話になりました。お茶も出せずにすみません」

「いや、いい。こちらこそいい経験になったよ。ありがとう」


 そう言い交わし敬礼の代わりに握手を交わした。それが城戸2尉との最後の別れになった。


 

 事件は、被害者の氏名は伏せつつも典型的なヘイトクライムとして警察発表が為され、またその発表のとおりに昼のニュースなどで報道された。


 襲撃犯は国立大附属高校元国防コース1年という肩書でフルネームが明示され、現場で射殺されたと発表された。


 ネットではヘイトクライムという報を受けて被害者が半島人であるという噂が広がり、学校も統合秩序推進局も正式にこれを正式に否定し『デマに加担しないでほしい』という主旨の声明を出した。


 その一方で射殺された犯人を『この国最後の若き英霊』と賛美するコメントをした極右政党所属の選挙を目前に控えた若手議員がものの見事に炎上していた。


 それぞれがそうした端々に戦時の終わりを実感しながら夏休みを過ごし、9月を迎えた。


 中学時代より遅めで切りの良い二学期始業式の日、富山はピアスを開けて髪を水色のインナーカラーに染めて登校してきた。渡辺も側頭部を刈り込んだツーブロックにして現れた。

 多喜は朝のヘアセットをしない以上のことは特にせず、ファストブランドのティーシャツに短パンに合成樹脂のサンダルという出で立ちで通学してきた。


 それぞれにクラスで編入生として自己紹介を済ませ、始業式の後はすぐにいつも通りに学食に集まった。


 それぞれに注文するものは財布の中身と相談して、麻婆丼かカレーライスにおちついた。

 カレーは肉の代わりに豆が使われ、麻婆丼もひき肉は大豆由来の代替肉である。動物性タンパク質を補うように、3人共今回も1個50円のゆで卵を追加で食券購入した。


 そして、多喜と富山は食事を終えるとそれぞれの部活に向かい、渡辺は新たに始めたというアルバイトのために帰っていった。


 更にときが流れて9月の下旬、萠妃は西へと旅立った。音楽学校の二次試験とその合格発表を現地で確認するため、3日間の滞在となる。


 今回はなんの不安もなく西へ向かう高速鉄道は滞りなく目的地についた。

 そして試験から2日目の昼頃、合唱部のメッセージグループに

「来た! 見た! 受かった!」

 というメッセージを投稿した。


 これに続いて称賛のコメントが滝のように流れた。


 多喜も我が事のように喜ぶと同時に、若干の寂しさを感じた。


 これで、あの美しくて勝ち気な先輩は遠い人になってしまうのだ。成功を掴めばなおさら遠くなる。おそらく卒業しても同窓会にも来れないような人になってしまうのではなかろうか。


(……私が歌劇団志望じゃなかったらよかったのにねえ……)


 いつの日か言われたそんな言葉を思い出して、一瞬顔が赤くなった。だが、それはもうありえない。すぐに首を横に降った。


 歌劇団は入団したら、結婚したら引退しなければならない決まりだという。


 歌劇団でなくとも、表向き恋愛禁止の若い女性のエンターテイメントの出演者は少なくない。昔の女子プロレスから、最近のアイドルや声優までもそうだ。


 彼女はそういう世界の一つのエリート集団の中に、単身飛び込んでいくのである。うつつを抜かしている暇などないはずだ。


(ぼくにそこまで打ち込めるなにかがあったかな……)


 まだ触れるとわずかに神経が痛む右胸下の傷跡を撫でつつ、そんなことを思った。

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