白木和登、富山美南――静かな屋上①

 期末試験答案返却日、白木は意を決してパブリック・スピーキング・クラブの部室に菓子折り持参で訪れた。


 例の透明の仮面の件について部員たちに事情を説明し、返してもらうためだ。

 そこで聞かされたのは意外な話だった。


 あの透明アクリル製の顔認証阻害の覆面は加瀬機長の息子本人が置いていったもので、部にとってはお守りのようなものとして扱われてきたという。

 だから隠されていた場所も極力動かさず、部員もそれが何なのかを知りつつも悪用も持ち出しもすることはないという暗黙の了解が交わされていた。


 それが、7月に入った途端消えたのだという。

 部の卒業生である白木が合唱部に出入りしていることは3年生達は知っていたし、販売していたブランドが販売中止しているのも知っているから、白木が、いや加瀬亮珠本人が自ら再び必要としたために持ち去ったのだと思っていたという。


 それを聞いて、白木ははじめから部員に話して持ち帰ればよかったと心の底から思った。


 つまり要するに、白木でもパブリック・スピーキング・クラブの部員でもない何者かに、例のマスクは盗み出されてしまった、ということだった。

 これにはさすがに頭をかかえた。


 ひとまず音楽室に帰った。

 そしていつも通り屋上の流し台で、飲みっぱなしの茶器類を洗い、漂白剤に浸していた台拭きを屋上に干し、そのまま風はあるが日差しも強い縁側のような屋上のベンチにこしかけて呆然としていた。


(さて、どうしたもんだろう)


 暑すぎて蝉の声すらしない。そういえば飛行機の轟音もない。静かに熱風だけが吹いている。

 携帯を出し、予定表を開いた。

 まるで著名な作家が新刊本でも出版したような具合に、取材の予定がいくつか入っている。


 今夜は夕方にはリベラル系のジャーナリストから終戦に関する取材を受けるし、さらに深い時間には海外メディアの記者とのオンラインでのインタビューもある。

 週末にはターミナル駅前で衆院選公示前の反戦派のスピーチ集会があり、そこで再びマイクに立つと主催者と約束している。


 今日手に入らなければ映像に関しては顔にぼかしを入れてもらってインタビューを受けることになるし、週末のスピーチも欠席せざるをえない。


 左手首はリストバンドで隠し、オーバーサイズの厚手のフーディーを着てボディラインを曖昧にする。本人を特定できるものは声だけでいくつもりだ。

 戦前の反戦運動の頃の『加瀬機長の息子』としての振る舞いも、そのスタイルでやってきた。だが、その『顔』だけが足りない。


 透明アクリル製のモザイク状の凹凸に、耳まで隠れる透明のハーフメットに風防をつけたような外形の覆面。

 顔認証の輪郭にパーツの位置から耳の形までがわずかな顔の角度によって変わるため、解析AIであっても素顔の特定はいまだ困難とされている。


 その代わりに、仮面をつけているときには息蒸れ避けの斜めに入ったスリットからわずかに見える足元以外は、視界はゆがみくもり、何も見えない。スピーチも原稿などはむろん読めない。英語でのやりとりは、文字系の同時翻訳アプリも使えない。記憶力と即興で乗り切ってきた。


 先日短期インターンを終えたばかりのの茶類の輸出入に特化した商社の人事課からは今度は3回生の冬休み期間中の就職活動をより強く意識した長期インターンシップへの参加の誘いを受けている。社内での公用語は英語、手首の入れ墨も咎められず、社内の雰囲気も良い。


 反戦アクティビスト『加瀬機長の息子』としての活動は、おそらくその長期インターンを境に本格的に引退する事になるだろう。

 顔識別技術は戦時中の国民監視の実用を経て向上している。

 いずれは光学的に顔の形を歪める覆面でも素顔が特定できる時代が来る。

 仕事への影響を考えると、SNSなどに解析で割り出された素顔が流出する前に手を引く必要がある。


 そこから先は、かつての戦争体験者の老人達のように堂々と継承するために語る時期が来るまでは、『加瀬機長の息子』という肩書き付きでは信頼のおけるジャーナリスト以外には素顔をさらさずに居る。


 ため息をついて、週末の集会の主催者に欠席のメールを打とうとしていた、まさにその時だった。


 不意に、屋上と廊下をつなぐ扉が開き、灰色の制服に黒のキャップの少女が現れた。

 その顔には見覚えがある。避難訓練のときに見た顔だ。


「こんにちはー、ちょっとお時間いいですかー?」

「あ、どうもー」


 向こうから声をかけられて、とっさにそう返事をしながら、携帯をポケットにしまった。


 彼女は、胸元のボディカムを操作し、カメラ正面についたランプを消した。


「はい、いま電源落としたんで、オフレコで大丈夫ですよ。えーと、改めまして、富山美南と申します」

 そう言って彼女は帽子をとって頭を下げた。


「あ、白木和登です」

 こちらも会釈のように頭を下げ返す。


 彼女は体の後ろから、ビタミンカラーの素材に大手CD屋のロゴの入ったポリバッグを出した。


 それを見て、白木は目を見開いた。ほかでもない、探していたあの仮面の入ったCD屋の袋である。今はこの触れればパリパリと音のするような硬質なポリ袋も今は店頭では扱っていない。戦時下の石油製品不足と環境意識から紙袋に替わっている。

 富山と名乗ったオーダー科生は、中身の膨らんだ袋をそのまま白木に差し出した。


「これ、お探しですよね」


 中身をのぞいた。

 そこには確かに、モザイク状の凹凸のある分厚いアクリルの覆面があった。ずっと探していた、『機長の息子』としてのだ。


「あの、カメラ切ってるんで、加瀬さんって呼んでいいですか?」


 白木は一瞬大きく目を見開いて、それから一呼吸した。


「ええと、その前に本当に胸のそれ、動いてないか確かめていいですか」


 そう確認すると、彼女はこともなげにハーネスからボディカムを外して、差し出してきた。

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