第40話

第40話 Target36人目:心拍ハンター


 その女の名前は葛西 澄江(かさい・すみえ)。

 年齢は三十代後半。落ち着いた声色と誠実そうな顔立ちで、表向きは「人々の健康を守る」企業家だった。彼女が手掛けたウェアラブル健康管理アプリは、心拍、睡眠、ストレスまでをリアルタイムで計測し、利用者に「安心」を与えると宣伝されていた。

 だが、その裏では——集めた膨大なデータは広告代理店に流され、「弱っている瞬間」を狙い撃ちする形で利用された。


 夜勤明けの看護師がベッドに沈むときには、「眠れないあなたに最適なサプリ」。

 試験を控え不安で震える学生には、「集中力を高める講座」。

 離婚協議中のサラリーマンには、「一夜限りの出会い」アプリ。


 弱さを金に変える仕組み。

 葛西はそれを「ビジネス」と呼んだ。


アカリがその情報に辿り着いたのは偶然ではない。

 SIROの自動探索機能が、膨大な広告配信サーバーの裏ログから「心拍データの異常な取引パターン」を検出したのだ。そこにあった名前が、葛西の会社。


 アカリは小さく笑った。

 「……人の鼓動まで、売り物にするんだ」


 彼女はかつて、群衆の罵倒に追い詰められ、心拍が暴走して倒れた夜を思い出す。あの時、誰も彼女の苦しみを止めてはくれなかった。むしろ、その加速する鼓動を面白がる匿名コメントが流れていた。

 だから、アカリにとって葛西は「許されざる存在」だった。


■侵入


 深夜二時。

 葛西の自宅マンションは最新のIoT機器に囲まれていた。

 空調、照明、オーディオ、果てはベッドの睡眠センサーまで。すべてがネットに繋がっている。


 その全てが、アカリの前では無防備だった。

 「——侵入完了。同期開始」

 SIROの無機質な声がヘッドフォン越しに響く。


 彼女はまず、葛西が眠りについたベッドからデータを引き出した。

 心拍数:76。

 呼吸数:18。

 ストレス指数:12。


 ——生きたままの心臓を握っている感覚。


 アカリは息を殺し、コードを走らせる。


■異変


 午前三時過ぎ。

 葛西はうなされて目を覚ました。

 寝室のスピーカーから、低く重い音が流れていた。


 ドクン……ドクン……


 それはただの効果音ではなかった。

 微妙なリズムの揺れが、彼女自身の胸の鼓動と寸分違わず一致している。


 「……何これ……?」

 慌ててアプリを確認すると、画面にも大きく波打つ心拍グラフ。だが、そこには「外部配信中」という赤い表示が点滅していた。


 外部?誰に?

 答えを探す間にも、スピーカーからの音は強まる。


 ドクン! ドクン!


 耳ではなく、頭蓋の奥まで響く。

 自分の心臓が、部屋中に増幅されて叩きつけられている錯覚。


■逃走


 葛西はベッドから転げ落ち、慌ててリビングへ走る。

 だが、そこでも壁のスマートスピーカーが同じ音を響かせていた。

 キッチンの冷蔵庫の液晶、浴室の換気扇、あらゆるIoT機器が同じ鼓動を吐き出す。


 ドクン! ドクン! ドクン!


 「やめてッ!!」

 耳を塞いでも無駄だった。

 それは彼女の心臓から直接響いているからだ。


 彼女の脈が一つ跳ね上がるたびに、家中が共鳴する。

 アカリは遠隔から、その同期を正確に制御していた。


■崩壊


 葛西は玄関に駆け寄り、外へ逃げようとする。

 だがドアのスマートロックが反応しない。

 液晶には一行の文字。


 「休めば休むほど、監視される。」


 ——それは彼女自身のアプリの広告コピーだった。


 「いや……いやぁぁっ!!」

 心臓が暴れる。鼓動はすでに140を超えていた。

 スピーカーがそれをさらに煽るように、耳元で炸裂する。


 ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!


 彼女は胸を押さえて床に倒れ込んだ。

 「止まれ……止まれぇ……!!」


 その願いとは裏腹に、鼓動は速さを増す。

 脳裏には、自らが売り物にしてきた無数の利用者のグラフが浮かんだ。弱さを利用した広告、眠れない夜に押しつけたサプリ。


 ——その全てが、今、自分を喰らう。



■終幕


 アカリはモニター越しに葛西の最期を見届けた。

 心拍波形が乱れ、そして——画面から消える。


 部屋にはまだ、残響のように心臓音が鳴り続けていた。

 ドクン……ドクン……

 だが、それはもう「誰のものでもない」鼓動だった。


 アカリは椅子の背にもたれ、目を閉じる。

 「……これで、三十六人目」


 その声は冷たいが、どこか遠い安堵を含んでいた。

 復讐の道はまだ続く。だが確かに、一つずつ「正義」は執行されていた。



---Target36人目、制裁完了。

Next Target――選定中。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る