第17話
第17話 情報の海に沈む者
彼女──白石由紀は、いつも静かにパソコンの前に座っていた。
職業はインディー系のゲームプログラマー。細身の体に大きめのメガネ、伸びすぎない黒髪を一つに束ね、机の上はモニター二枚とキーボード、そしてコーヒーマグだけ。
SNSや掲示板で何か話題が上がるたび、彼女はまず調べた。
ニュースサイト、一次ソース、公式声明、過去の発言履歴、検索結果の古い順ソート……。
時には海外の記事まで翻訳して読み、タイムラインの情報を照らし合わせ、嘘か本当か、偏向か切り取りかを確かめた。
──その作業は、時にゲーム開発より時間がかかることもあった。
けれど、彼女にとってはそれが日常であり、「正しさ」を保つための義務のようなものだった。
ある夜、とある炎上案件がSNSを埋め尽くした。
某芸能人の失言だと騒ぐツイートが山のように流れてくる。
彼女は冷静に動画のフル尺を探し、編集前後の文脈を読み解いた。
──結果、その発言は切り取られ、意図を歪められていた。
意を決して、彼女は書き込んだ。
> 「動画全編を確認しましたが、少なくとも○○という意図ではなかったようです」
しかし、返ってきたのは称賛ではない。
> 「いいコぶるな!!」
> 「偽善者が!」
> 「何様のつもりだよ」
> 「こいつもグルだろ、信者乙」
通知は赤く染まり、DMには見知らぬアカウントから罵倒の嵐。
> 「偽善者女!」
> 「死ねや!」
> 「お前の正義感キモいんだよ」
> 「正しいこと言ってるつもり? お笑いだわ」
やがて彼女は、疲れ始めた。
正しいことを言っても意味がない──それどころか、叩かれる。
発言の頻度は落ち、次第にROM専へと沈んでいく。
---
そして──水瀬アカリの炎上が始まった。
最初はいつも通り、静かに情報を集めた。
配信動画を頭から最後まで見返し、コメント欄やニュース記事、海外の掲示板まで覗く。
結果、彼女は思った。
> 「……これは、受け取り方の問題だ」
妙な仲間意識のようなものが湧き、つい指が動いた。
> 「彼女は、間違えてないのでは?」
──その瞬間、地獄が開いた。
> 「はぁ!? 何言ってんだこのバカ女!」
> 「また出たよ、偽善者」
> 「お前が守るってことは黒確定だな」
> 「人権派ぶってんじゃねぇよ!」
> 「黙れ偽善者! 通報したわ!」
彼女のSNSは、わずか数時間で怒号と罵倒に埋め尽くされ、鍵をかけた。
だが、それで終わりではなかった。
「特定班」と呼ばれる連中が動き出した。
匿名掲示板では、彼女の投稿スクショと共に「コイツ誰?」というスレが乱立。
過去のゲーム開発者フォーラムでの書き込み、プロフィール画像の背景に映った看板、果ては配信したゲームのクレジット表記から、アパートの最寄り駅を割り出す。
やがて、その駅周辺での目撃情報が投下され、住所がほぼ特定された。
その夜──
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
アパートのドアが執拗に叩かれる。
> 「出てこいよ偽善者!」
> 「ネットで調子こいてんじゃねえぞ!」
ドアの隙間から、油のような液体が床に垂れ込めてくる。
朝、出ようとするとドア一面に赤いスプレーで落書き──「偽善者」
ポストには無言の写真、彼女の帰宅姿が印刷されていた。
逃げ場はない。
やがて彼女は、風呂場に座り込み、カッターナイフを握った。
湯船の縁に手首を置き──
そのとき。
──「RAIN!!」♪
スマホが震えた。
場面が切り替わる。
薄暗い部屋で、アカリがモニターを見つめていた。
> 「確かに、本当に悪いことをしている奴もいるだろう。
……だからといって。お前たちは警察じゃない」
低く呟きながら、彼女はプログラマーのスマホへ侵入する。
SNSアプリ“RAIN”の入力欄に、一文を打ち込んだ。
> 『このままで良いのか?』
---
白石由紀は、見たくないのにスマホを手に取っていた。
RAINには、知らない人から
『このままで良いのか?』の文字
指先が震える。
> 「……ヤダ」
送信した瞬間、着信音が鳴る。
恐る恐る通話を開くと、落ち着いた声が響いた。
> 「ネットリンチを許すな。──協力しないか?」
彼女は息を呑み、そしてうなずいた。
この瞬間、二人の共同戦線が始まる。
次の標的は──「特定班」だ。
---
TARGET_16→ 継続中
NextTarget_特定班
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