第5話 勇者にぶりっ子は難しい

「モルトさん。私が言ったこと、覚えてくれましたか?」

「ああ。覚えた」


 得意げな顔で胸を張ったモルトが、うんうんと何度も頷く。その姿はとても美しいけれど、中身がいまいち伴っていないことは、薄々分かってきた。

 平凡な日々を過ごすために、死神にこの世界における一般常識を教え込まなくてはならない。


(監禁されてた子供が一般常識に詳しいのも変な話だけど……たぶんこの人、そんなこと分かんないよね?)


 モルトはラパンに背を預け、時折ラパンを幸せそうな表情で撫でている。うきゅうきゅ、と跳ねるラパンも楽しそうだ。


「モルトさん。覚えたこと、もう一回言ってくれますか?」


 顎の下で両手を組み、可愛い表情を作って首を傾げる。

 少々常識はないが、モルトの強さは本物だ。円滑に話を進めるためにも、かわいこぶって要求を通すのがいいだろう。


「……仕方ないな」

「はい、お願いします!」

「人は殺さない。極力人前で魔法は使わない。分からないことがあった時は黙る。だろう?」

「そうです! さすがモルトさん!」


 すごいすごい、と騒いで大袈裟に拍手をする。ふふん、と満足そうにモルトが鼻を鳴らした。


(この人……人っていうか死神だけど……かなり単純なのかも)


 死神らしい冷酷な美貌とは裏腹に、喋っていると幼い印象を受ける。

 けれど立ち居振る舞いは優雅で上品だから、かなりアンバランスだ。


「じゃあ行くぞ。ラパン、近くの村まで頼む」


 ラパンの背に飛び乗ったモルトが、エリザベスに向かって手を差し出してきた。風が吹いて、モルトの長い髪が揺れる。


「おいで」


 反射的に掴んだ彼女の手のひらは冷たい。冷たいはずなのに不思議と、心の奥が温かくなる。


「はい!」


 彼女の手を掴んだ先になにがあるのかは分からない。

 だけどたぶん、なにがあったって大丈夫だ。


(だってわたし、勇者だもん)





 ラパンの背に乗って、少し離れた場所にある村付近まで飛んだ。

 当初モルトは村内に降りようとしたが、エリザベスが必死にとめたのである。

 未知の魔獣が村に降り立った、なんて騒ぎを起こしたら、金を稼ぐどころではなくなってしまう。


「……なので、ラパンちゃんは村へは入れないんです」

「うきゅう……」


 人間の言葉が分かるのか、ラパンは寂しそうな声で鳴いた。


(そんな目で見られると、罪悪感がめちゃくちゃ刺激されちゃう……!)


 大きな瞳を涙でいっぱいにしたラパンが、うきゅうきゅと飛び跳ねる。たいそう可愛らしいが、ラパンの身体は大きい。

 ラパン自体は軽いものの、飛び跳ねるたびに風が起こって、周囲の落ち葉が舞い上がった。


「エリザベス。ラパンが村に入れないのは、大きいからか?」

「そうですね。一番大きい理由はそれです」


 正直なところ、エリザベス視点では『大きいこと』以上に『未確認生物であること』という理由でラパンを警戒した。

 だが、魔獣の種類を頭の中に入れている人間の方が稀だ。たいていの人間は、よく見かける魔獣以外のことは知らない。


「なら問題ない。ラパン」


 モルトが指を鳴らすと、うきゅ! と跳ねたラパンが眩い光を放った。反射的に目を閉じないのは、エリザベスに魔獣との実戦経験があるからだ。

 大きなラパンの身体が少しずつ縮んでいき、光が消える頃には手のひらサイズになった。


「これならいいだろう、エリザベス?」


 うきゅ! とラパンが跳躍し、モルトの手のひらに乗った。


(この子、小さくなるの!?)


 小さくて丸いもふもふ。しかも兎の耳つき。

 そんなの、愛らしいに決まっている。


「はい。でもなるべく、人には見られないようにしてください」

「分かった」

「……あと、最後に一つだけ」


 人差し指を立て、最後の忠告を口にする。


「失礼なことを言ってくる人がいても、基本的に無視してください。よくいるんです。女の旅人に絡んで挑発してくる人って」


 前世でも、勇者として顔が広まる前はかなり苦労した。エリザベスは基本的に売られた喧嘩を全て買っていたものの、平和な旅を目指すにあたり、なるべく揉め事は避けたい。


「分かった。私は人間界のルールは知らない。君に従おう」

「ありがとうございます」


 頷くと、モルトはそっとエリザベスの手を握った。ラパンはいつの間にか、モルトの胸元にしっかりとおさまっている。


(……やっぱりモルトさんって、優しい)


 冷たい手のひらも、慣れてしまえば気持ちがいい。


(わたしは体温高めだし、バランスもいいよね)





「はぁ!? お前、今なんて言った!? もう一回言ってみろこのドブカス!」


 答える声はない。なぜなら、モルトに『ブス』などと言う失礼な言葉を投げかけてきた男は、既にエリザベスの手によって地面に倒れているからだ。


「寝る暇があるなら謝れ!」


 エリザベスが気絶した男の背中に蹴りを落とそうとした瞬間、ぽん、と肩に手を置かれた。


「……エリザベス?」


 困惑しきったモルトの声を聞いた瞬間、エリザベスの身体が急激に冷えた。


(や、やばい……ついやっちゃった……!)


 村へ入った瞬間、身の程知らずの男にモルトがナンパされた。おとなしく無視をしていたモルトに対し、男が『おいブス!』と怒鳴ってきたのだ。

 その言葉を聞いた瞬間、エリザベスの身体が自動的に動いてしまったのである。


 ゆっくりと振り向く。モルトは気を失った男と、エリザベスの拳を交互に見つめていた。


(ど、どうしよう、わたしのぶりっ子計画が……!)


「い……いっけなーい! わたし、モルトさんに失礼なことを言われて腹が立っちゃって……ごめんなさいっ、痛かったですよねっ!?」


 慌ててしゃがみ込み、やたらと高い声で男を心配してみせる。


(どうにかなって! お願い!)


 心の中で祈りながら、エリザベスは気づいてしまった。

 幼い頃から監禁されていたエリザベスの中身は、前世となにも変わっていない。要するに、女勇者としてのマインドのままなのだ。


 女は舐められたら終わり。

 そう強く自覚していたエリザベスは、ちょっぴり、そう、ほんの少しだけ、口が悪くて喧嘩っぱやいのだった。

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