第5話 勇者にぶりっ子は難しい
「モルトさん。私が言ったこと、覚えてくれましたか?」
「ああ。覚えた」
得意げな顔で胸を張ったモルトが、うんうんと何度も頷く。その姿はとても美しいけれど、中身がいまいち伴っていないことは、薄々分かってきた。
平凡な日々を過ごすために、死神にこの世界における一般常識を教え込まなくてはならない。
(監禁されてた子供が一般常識に詳しいのも変な話だけど……たぶんこの人、そんなこと分かんないよね?)
モルトはラパンに背を預け、時折ラパンを幸せそうな表情で撫でている。うきゅうきゅ、と跳ねるラパンも楽しそうだ。
「モルトさん。覚えたこと、もう一回言ってくれますか?」
顎の下で両手を組み、可愛い表情を作って首を傾げる。
少々常識はないが、モルトの強さは本物だ。円滑に話を進めるためにも、かわいこぶって要求を通すのがいいだろう。
「……仕方ないな」
「はい、お願いします!」
「人は殺さない。極力人前で魔法は使わない。分からないことがあった時は黙る。だろう?」
「そうです! さすがモルトさん!」
すごいすごい、と騒いで大袈裟に拍手をする。ふふん、と満足そうにモルトが鼻を鳴らした。
(この人……人っていうか死神だけど……かなり単純なのかも)
死神らしい冷酷な美貌とは裏腹に、喋っていると幼い印象を受ける。
けれど立ち居振る舞いは優雅で上品だから、かなりアンバランスだ。
「じゃあ行くぞ。ラパン、近くの村まで頼む」
ラパンの背に飛び乗ったモルトが、エリザベスに向かって手を差し出してきた。風が吹いて、モルトの長い髪が揺れる。
「おいで」
反射的に掴んだ彼女の手のひらは冷たい。冷たいはずなのに不思議と、心の奥が温かくなる。
「はい!」
彼女の手を掴んだ先になにがあるのかは分からない。
だけどたぶん、なにがあったって大丈夫だ。
(だってわたし、勇者だもん)
◆
ラパンの背に乗って、少し離れた場所にある村付近まで飛んだ。
当初モルトは村内に降りようとしたが、エリザベスが必死にとめたのである。
未知の魔獣が村に降り立った、なんて騒ぎを起こしたら、金を稼ぐどころではなくなってしまう。
「……なので、ラパンちゃんは村へは入れないんです」
「うきゅう……」
人間の言葉が分かるのか、ラパンは寂しそうな声で鳴いた。
(そんな目で見られると、罪悪感がめちゃくちゃ刺激されちゃう……!)
大きな瞳を涙でいっぱいにしたラパンが、うきゅうきゅと飛び跳ねる。たいそう可愛らしいが、ラパンの身体は大きい。
ラパン自体は軽いものの、飛び跳ねるたびに風が起こって、周囲の落ち葉が舞い上がった。
「エリザベス。ラパンが村に入れないのは、大きいからか?」
「そうですね。一番大きい理由はそれです」
正直なところ、エリザベス視点では『大きいこと』以上に『未確認生物であること』という理由でラパンを警戒した。
だが、魔獣の種類を頭の中に入れている人間の方が稀だ。たいていの人間は、よく見かける魔獣以外のことは知らない。
「なら問題ない。ラパン」
モルトが指を鳴らすと、うきゅ! と跳ねたラパンが眩い光を放った。反射的に目を閉じないのは、エリザベスに魔獣との実戦経験があるからだ。
大きなラパンの身体が少しずつ縮んでいき、光が消える頃には手のひらサイズになった。
「これならいいだろう、エリザベス?」
うきゅ! とラパンが跳躍し、モルトの手のひらに乗った。
(この子、小さくなるの!?)
小さくて丸いもふもふ。しかも兎の耳つき。
そんなの、愛らしいに決まっている。
「はい。でもなるべく、人には見られないようにしてください」
「分かった」
「……あと、最後に一つだけ」
人差し指を立て、最後の忠告を口にする。
「失礼なことを言ってくる人がいても、基本的に無視してください。よくいるんです。女の旅人に絡んで挑発してくる人って」
前世でも、勇者として顔が広まる前はかなり苦労した。エリザベスは基本的に売られた喧嘩を全て買っていたものの、平和な旅を目指すにあたり、なるべく揉め事は避けたい。
「分かった。私は人間界のルールは知らない。君に従おう」
「ありがとうございます」
頷くと、モルトはそっとエリザベスの手を握った。ラパンはいつの間にか、モルトの胸元にしっかりとおさまっている。
(……やっぱりモルトさんって、優しい)
冷たい手のひらも、慣れてしまえば気持ちがいい。
(わたしは体温高めだし、バランスもいいよね)
◆
「はぁ!? お前、今なんて言った!? もう一回言ってみろこのドブカス!」
答える声はない。なぜなら、モルトに『ブス』などと言う失礼な言葉を投げかけてきた男は、既にエリザベスの手によって地面に倒れているからだ。
「寝る暇があるなら謝れ!」
エリザベスが気絶した男の背中に蹴りを落とそうとした瞬間、ぽん、と肩に手を置かれた。
「……エリザベス?」
困惑しきったモルトの声を聞いた瞬間、エリザベスの身体が急激に冷えた。
(や、やばい……ついやっちゃった……!)
村へ入った瞬間、身の程知らずの男にモルトがナンパされた。おとなしく無視をしていたモルトに対し、男が『おいブス!』と怒鳴ってきたのだ。
その言葉を聞いた瞬間、エリザベスの身体が自動的に動いてしまったのである。
ゆっくりと振り向く。モルトは気を失った男と、エリザベスの拳を交互に見つめていた。
(ど、どうしよう、わたしのぶりっ子計画が……!)
「い……いっけなーい! わたし、モルトさんに失礼なことを言われて腹が立っちゃって……ごめんなさいっ、痛かったですよねっ!?」
慌ててしゃがみ込み、やたらと高い声で男を心配してみせる。
(どうにかなって! お願い!)
心の中で祈りながら、エリザベスは気づいてしまった。
幼い頃から監禁されていたエリザベスの中身は、前世となにも変わっていない。要するに、女勇者としてのマインドのままなのだ。
女は舐められたら終わり。
そう強く自覚していたエリザベスは、ちょっぴり、そう、ほんの少しだけ、口が悪くて喧嘩っぱやいのだった。
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