第4話 幼女の誓い

 ラパンの背中に寝転んで、エリザベスは結界越しに夜空を見上げた。既に明け方が近く、空の端が薄っすらと白くなり始めている。


(なんか……いろいろ急展開だったな……)


 横を向くと、モルトが目を閉じて心地よさそうに眠っている。ラパンの背中はふわふわで、ベッドよりもずっと寝床に適しているのだ。


 モルトは死神で、しかも、エリザベスを殺せ、と大神に命じられている。

 にも関わらず彼女は今、エリザベスの隣で無防備に眠っているのだ。


「……旅、か」


 旅なら慣れている。魔王を倒すための長い一人旅も、その後、居場所がなくて各地を転々とさまよった目的のない旅も。

 どちらも孤独な旅だった。誰かと一緒に旅に出るなんて考えたことすらない。


 眠る前、モルトは言っていた。人間界と天界では時間の流れが違う。だから殺す代わりに、エリザベスが死ぬまで近くで監視をすればなにも問題はないのだ、と。

 エリザベスはまだ八歳である。死ぬまで、なんて長い年月も、死神だという彼女からすればすぐなのだろうか。


「……モルトさん」


 小声で名前を呼んでみる。返事はない。代わりに、そっと抱き締められた。


(この人はたぶん、わたしに同情したんだ。可哀想で、なにもできない子供だから)


 もしエリザベスが既に勇者としての力を身に着けていると知れば、すぐに考えを変えるかもしれない。

 危険な存在として、エリザベスを殺そうとした可能性だってある。


(もちろん、負けるつもりはないけど……でも)


 このままなにもできない幼女のままでいれば、きっと今度こそ普通の人として生きられる。

 血の繋がりもない死神と旅をするという時点で、平凡な人生からは遠ざかっている気はするけれど。


(決めた。わたし、なにもできない幼女として生きる。幼女として、美人に可愛がってもらう人生を過ごしてやる!)


 勇者らしからぬ決意を胸に、エリザベスはそっと目を閉じた。





「……おはよう、エリザベス」


 王都の声楽隊も裸足で逃げ出すような美声で囁かれ、エリザベスは目を覚ました。眼前にいるのは、この世のものとは思えないほど美しい天界の住民である。

 朝の光の下で見ると、モルトの銀髪も青い瞳もまた違って見えた。


「おはようございます、モルトさん」

「実は朝から悪い知らせがある。いや、知らせというか、気づきというか……」


 モルトはエリザベスから目を逸らし、物憂げな溜息を吐いた。下を向くと、彼女のやたらと長い睫毛が強調される。


「……悪い知らせ、ですか?」


 両手をぎゅっと握って、精一杯不安そうな表情を作ってみる。可愛い幼女として、こういう時は怯えてみせなければ。


「ああ。私は普段天界で暮らしている。こうしてたまに人間界へ下りてくることもあるが、かなり珍しいことなんだ」

「はい」

「人間界にきてもすぐに帰ってばかりで、旅を楽しんだことなんて一度もない。だからな、なんというか、その……」


 すう、とモルトが大きく息を吸い込む。二人を乗せたままのラパンが、うきゅ? と愛嬌のある声を出した。


「お金がないんだ! 一銭たりとも!」


 舞台役者のように大袈裟に叫ぶと、ああ……とモルトはうなだれてしまった。


(ええっと……これ、そんなに嘆くことなの?)


 金がないなら働けばいい。単純な話である。

 平和な時代になったとはいえ、今でも冒険者ギルドに行けば仕事は受けられるはずだ。それに、山の中で適当に狩りをして肉を売っても金にはなる。


(モルトさんほどの強さがあれば問題なさそうだけど、そういう知識はないのかな。神様って言ってるけど、人間界のことはどれくらい知ってるんだろう?)


「あの、モルトさん。人間界では、お仕事をすればお金がもらえます」

「……仕事か」

「ギルドっていうところに行けば、たぶんいろいろな仕事があるはずです。雑用みたいなのから、護衛任務とかまで、本当にいろいろ」


 これくらいなら、子供が持っている情報量としておかしくないはずだ。

 平均的な八歳と比べれば違いは分かりそうなものだが、なにせ相手は死神。勇者としての力を見せない限り、それほど疑われることはないだろう。


「なあ、エリザベス」

「はい」

「殺しの依頼もあるか? あいにく、殺し以外の仕事をしたことはないんだ」


 まっすぐな目で、モルトはそう言った。


「……えっと……」

「安心してくれ。君は殺さない。それとも、同種族を殺されることが気になるのか?」


 モルトは不思議そうに首を傾げた。その表情を見て、エリザベスは確信する。


(この死神、人間の常識とか情緒とか倫理観とか、たぶん全部通じないタイプだ……っ!)


 死神に倫理観を求めるのもおかしな話かもしれない。

 けれどモルトはエリザベスに同情し、連れ出してくれたのだ。だからつい、普通の人と同じような考えを持っているのだと思ってしまった。


「……あの、モルトさんがわたしを助けてくれたのって……」

「可愛かったからだ」


 曇りのない目でモルトは断言した。


「君の髪色はラパンによく似ていたし、愛らしい顔をしている。だからだな」


 喋りながら自分でも納得したのか、モルトが何度もうんうんと頷く。

 彼女の瞳に映るエリザベスは、確かに美少女である。ピンク色の髪は、ラパンの毛よりやや薄いものの、色味としては似ているだろう。


(……この死神、常識が通じない上に面食いなの!?)


 うん、やっぱり可愛い、と満足げに呟いたモルトに頭を撫でられながら、エリザベスは改めて誓った。


 絶対一生、かわいこぶって過ごす! と。

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