第8話

 照らす先を失ったサーチライトのように、激しく燃える回転灯を乱し、虚無に血に啼くサイレンをあげながら、救急車が今、校門を出て行った。




 この空間に存在するすべての者に、重く覆いかぶさった張り詰めた空気は、共感を示しながら、物見高い騒然さを波打たせていた。






 パニック状態に陥った職員室は、生徒と保護者対応、関係各所への連絡に慌ただしく行きかっていた。




 久米が、三階自習室の窓から転落した情報は、校内に留まらず、画像や動画はないものの瞬く間にネット界にも広がった。








 オフィスビルのカフェエリアで、アイパッドを見ながら、ストロベリードーナッツを頬張ろうとしていた小槻は「きゃあ‼」と叫び、両手で口を押える。








 木之本は蒼白になり、「わたしのせいや・・・・わたしのせいや・・・・・・・・」と震える声を繰り返し、両肩を抱き寄せたまま、席にうずくまる。








 相談室で聞き取り中の葛本は、校舎の急激な慌ただしさに、何かを感じ「ホンマ・・・・・・おとろしいなぁ、あいつ。」と吐き捨てる。








 正面玄関で救急車を見送った縄手は、汗で張り付いたシャツを不甲斐なく垂らしたまま、その場に頭を抱え、しゃがみこんでしまった。




 選ぶ言葉が間違っていたのか、自分の思いが届かなかったのか、誠意が足りなかったのか、真っ直ぐに伝えれば必ずわかってくれるはずだと信じていた。




 何がどこからズレてしまっていたのか、救ってあげないといけない存在を、深く傷つけてしまったかもしれない自分を激しく責めながら、縄手は久米の無事を一心に願うことで精一杯だった。






 ―――――――――






 救急外来の受付に、狼狽し青ざめた顔で駆け付けた久米香織は、職場の制服姿のままで医師の聞き取りを受けていた。




 事故なのか、自らの意志なのか、万一の場合を考えた危険因子の有無を確認された。


 香月がⅯRⅠとⅭT検査を受けている間それは続いた。




 診察室の前に並べられた椅子に座って検査結果を待っているクラス担任からの、学校での様子の聞き取りは既に終わっており、香月が検査を終え病室に運ばれてくるころには、香織はすっかり疲弊しきっていた。




 ただ、家庭内での様子を伝える際に、どうしても同性愛に関しては声にすることが辱ずかしく感じた香織は、口にすることはなかった。






 背筋を伸ばしたまま椅子に座っているクラス担任に頭を下げ、香織は少し離れた位置に腰をゆっくり下ろした。


「先生からのお話では、見た限り命には別状がないだろうとのことなのですが、本当に大丈夫なのでしょうか?」


 ゆっくり大きく頷いて


「久米君が落ちた下には、幸い駐輪場の屋根がありまして、それでも四メートルの高さになりますが、念のための検査だと、私は伺っております。」




 担任は、香織の充血し濡れた瞳を見つめ、優しく伝えた。


「もう心配で・・・・・なんで、香月は窓から落ちたのでしょう?」


「ひょっとして、あんまり考えたくはないのですが・・・・・」




 香織は膝を担任に向け座りなおした。




「親子喧嘩や友達同士の殴り合いぐらい、幼いころから多分にあります。それくらいで自殺を考える弱い男の子に私は育ててきていません。今朝もいつもと変わらず、むしろテスト結果が良かったこともあって、楽しそうに出かけていきましたし・・・・・やっぱり不注意の事故なんでしょうか?」


 前のめりになり、担任に縋りつくように両手を伸ばす。






「まだ調査中でわからないですが、久米香月くんは今、青春という巨大な迷路に迷い込んだ状態だと思います。」


 担任はそっとその手を包み込み、小さく頷いた。




「それは、心の問題なのでしょうか?」


「教師として言えることは、自己形成の途中だということです。そして久米香月くんが出す答を、私たち大人が精一杯応援してあげることだと思うんです。」


「でも、間違った答を選ぼうとする時は、全力で止めるのも私たち大人ですよね。」


 包まれていた手を外し、力の入った目で担任を香織は見つめた。そんな視線に担任は目を閉じ微笑んだ。




「難しいですよね。」








 数名の看護師が、鎮静剤を投与され眠る香月を運んできたのは、その会話の直後だった。




 勢いよく立ち上がった香織は、無心でベッドに駆け寄った。


 擦り傷が目立つ香月の顔を見つめ、名前を呼び続けたい気持ちを抑え、両手で口を伏せたまま病室に連れ添った。




 その後に医師から、どの部分においても特に障害は認められないことを告げられた香織はその場に泣き崩れ、「ありがとうございます。ありがとうございます。」と何度も何度も頭を下げ続けた。


 ただ、本人の聞き取りを終えない限り、心理カウンセリングの必要性もあるため、今後の対応は決められないとのことでもあった。


 そのため入院となった。








 ネット内【全世界腐女子連盟】通称【WFF】では、憶測が憶測を呼び、久米の生存確認と事故なのか、自殺なのかはたまた未遂なのか、そして祈り、激励、共感の書き込みが多様な言語で、どこで見つけてきたのか不明な久米の画像と共に投稿され続けていた。






 爽やかに広がる青空に、重くのしかかる梅雨前線が北上し始めていた。






 ――――――――――






 久米と葛本を欠いた野球部の練習が終わった、太陽が葛城の山上に存在を知らしめながら沈みゆく午後七時すぎ。




 北越智峯丸【きたおち みねまる】(15)は新沢千塚古墳群公園駐車場の隅に停まった一台の車のドアを開けた。




「部活お疲れさんでした!それにしても相変わらず野球少年やなぁー」


 チームバックを後部座席に投げ込み、「野球少年大好きやろ。」とそんな第一声に笑いながら、運転席に座る宇治頼径【うじ よりみち】(24)にキスをした。


 乗り込んだ勢いにまかせ、ハンドルに手を置く頼径の頬を両手で抱え込み、自分に引き寄せながら舌を絡ませる。




「久しぶりやな!」


「テスト期間やったしな。」




 タバコでもアルコールでもなく、少しスポーツドリンクの味がする峯丸とのキスは頼径を純粋にさせた。


 曇りのない目に日焼けしたさらさらの肌、体から漂う若さの匂いが更に今いる場所を忘れさせようとする。




 まだ公園には初夏の夕涼みを楽しむ人々の姿があるが、そんなこともお構い無しに、股間に手を伸ばすがむしゃらな峯丸を愛おしくおもっていた。




「先に飯食おうか。」


 お互いの唾液で浸潤した唇を離し、頼径が視線を合わせる。




「え?うおぉおー先にやりたいわー。やりてぇーよ。あぁーでも、腹も減ったー。」


 悔しそうに顔をしかめながら顔を離した峯丸は、膝上までまくしあげたズボンの張り出した股間を摩りながら叫んだ。




「久しぶりやし、あとでじっくりやろう!俺もだいぶ溜まってるし。とりあえず飯や!」


 駄々をこねる峯丸の膝を軽くたたき、頼径はサイドブレーキを外した。






 ――――――――――――






 ナイトライトで緩く照らされた部屋は、クーラーで冷やされ、熱く火照った体には心地よく感じられた。




 ふーっと息を吐いた頼径は起き上がり、ティッシュを数枚適当に抜き取り、自分のペニスについたローションを拭った後、ベッドに寝転ぶ峯丸の腹部から肩にかけて飛び散った精液を優しく拭き取った。




 満足した表情の峯丸が両手を広げ頼径を呼び込む。応えるように体を重ね、飽きることないキスをまた繰り返した。




 しばらく余韻に体をまかせた後、


「そういえば・・・・・峯くんとこの学校で事故あったでしょ。同じ野球部の今話題沸騰中の久米くん。大丈夫やったんかいな?」


 ふと思い出した頼径は唇を離しつぶやいた。




「あー、久米先輩なぁー。」


 抱き合っていた腕を解き、伸びをするように手を上げた。


「大丈夫やったみたいやで。」


 重ねた体をずらし、並ぶように天井を頼径は見上げた。




「よかったやん!結構高いところから落ちたみたいな話やったけど。」


「奇跡的になんともなかったみたいやけど。知らんけど。」


「へぇー奇跡的ねぇ。」


 峯丸の横顔を、目を細めて見る。




 峯丸はそんな頼径を無視し、まっすぐ天井を見つめたまま、少し考えるように黙り込んだ。




「あの人、クソ真面目過ぎるんやってー。ノンケに恋するとか、辛くなるだけや。この先どうするんやろ・・・・」


「俺らの頃と違って、今の時代、いろんなツール使えば出会いなんでクソほどあって、運命やと思ってしまえるような出会いなんてそこら中に転がってるのにさ。」


「世界が狭いねん。あの人。野球のしか目に入っとらん。まあまあ、昔っから、そーゆう奴いっぱいおったけど、たいがい周り巻き込みよるよなぁー。」




 右眉を上げて、天井を見ながら吐き捨てるように言った。


「おー峯くん言うねぇー」




「だってさ、世界を広げないと、すべての選択肢の幅が狭いままやん。何が正しくて間違ってるとか、仮に判断するにしても井の中を大海と勘違いして大口でゲコゲコ鳴いてるようじゃ、世間知らずの自己陶酔の阿呆やんか。」


「まあ、今でこそ俺らがそれ言えるけど、それって不幸やと思わん?知らんけど。」




「わーお、十五歳のセリフとは思えんなぁ。ハハハ」


 肘を付き上半身を浮かせて、更に峯丸を覗き込む。


「せやねん、俺今、十五歳やねんな。笑うわ。」


「でもよっちゃんと再会できたしな。この時代じゃ犯罪者やけど。」


「時代が変われば、なんもかも変わるんやで。最初はガチで着いてくの大変やったけど。」


 峯丸はニヤついた顔でこちらに体を寄せる頼径に向き直り、頬を指で突いた。




「とはいえ、若い体はええわ、色んなとこに力漲ってるで。また、いつかは朽ちるけど。」


 峯丸に舌を出した。






 しばらく、お互いの体の感覚を確かめ合うように寄り添い、新陳代謝の高い体温を感じ合っていた。


「・・・で、久米先輩はこのままでええんかいな?」


「他人の事は、どーでもええわ。」


「まあ、そーやねんけど、なんか同じゲイとしてさぁー」


 頼径はそっぽを向くように、天井に視線を移した峯丸の横顔を見つめる。




「同じゲイやからって、仲間意識なんかあるわけないやんか。東京で同じ関西人やから仲間やーって言ってるんと同じやで。そんなざっくりしたチーム分けで仲良くなれるわけないやん。気のあう奴とつるみたいって事やん。結局は個人同士の話やんか。知らんけど。」


「わかるけど、狭い野球部って共同体の中の話やで。」


「・・・ホンマに・・・・・昔っから、よっちゃん可愛い少年好きやなぁー。先輩の事気になってるんや、変態がぁ!」


「やかましぃわ!」


「でも実際、夏大会、久米くんおらんかったら、ヤバいんちゃうん。」


 腕枕をしている頼径が峯丸の髪を撫でる。


「わかってるっちゅーに!久米先輩だけちゃうし、スラッガーの葛本先輩もおらんとヤバい。」


「やっぱり甲子園狙ってるんかいな?」


「はあ?野球やってて、甲子園目指してない奴なんかおらんやろ。」




 天井を見つめていた視線を、自分の横顔を見つめる頼径に移した。


「行けそうなんかいな?」


「俺がなんとかするわ!絶対に甲子園にみんなで行く!これ、おもろいで、今しかできんことやで。逃したら来世も経験できるかわからんしなぁ!」


「その力使って?」


 峯丸は目を閉じて、返答に迷う。




「でもまぁ、このままじゃあかんよな。」


 そんな困った顔で考える様子に、つぶやいた。




「あああああああああーーはいはい!ホンマ面倒くさいなぁー!余計なゴタゴタ多過ぎやねん、この学校って言う場所。」


 伸ばした足をばたつかせて、体ごと振り返り頼径に体を重ねた。




「とりあえず今は、そんなんどーでもええから、二回戦やろーや!」




「家は大丈夫なんか?」


「飯、友達と食ってくるって言ってるし、親は自分らの事でいっぱいいっぱいやから、二十三時までに帰ったらええし、大丈夫や。」




 そう言いながら笑い合う唇を重ねる。再びお互いの薄くなった唾液が混じり合った。


「次は俺がタチな。ケツ洗って来てよ!はよ!」


「昔は嫌がってたのに。この時代の峯くん大好きやで!」


 頼径は峯丸の胸元に口づけをして立ち上がった。






 ――――――――――






 香月は真っ白な世界の中でただ立ち尽くしていた。


 右も左も上も下もない、色を失くした無辺世界に生死の観念もなく、呆然と存在していた。




 霧なのか、靄がかり霞んだ距離感のない白き世界に映る




「もうじき、俺は結婚するんや。好きな人がおって、婚約者で、籍を入れる約束をしてる。やから、本当に申し訳ない。久米の気持ちには応えられへん。ごめん。」




 謝り背を向ける縄手先生の姿。




「嫌だ!俺をひとりにしないでよ!俺を置いていかないでよ!俺を捨てないでよ!」




 遠ざかる姿に腕をどれだけ伸ばしても、白く溶けてゆく。


 追いかけようと前へ向かおうとも、踏み込むものがなく進むことができない。




「くっそー!」




 叫びは響かず、何度も何度もぼやけたスクリーンに立ち去る場面がリフレインする。




 力強く抱きしめてくれたことも、味方だと言い切ってくれたことも、頭を撫でて応援してくれたことも、笑顔でキスを告げられたことも、全部、全部、全部【嘘】だったんだ。 




「本当に申し訳ない。久米の気持ちには応えられへん。ごめん」




 溜息をつき俯いた久米に、どこからか小さく聞こえてくる子供のすすり泣く声。




 〖ほらな。やっぱりこうなったよ。期待してた俺が悪いんだよ〗




 不意に頭上斜め上から声がする。抗う力もない久米は「そうだ。俺が悪いんだよ。自己責任だ。」声にせずつぶやいた。




 〖上っ面の薄っぺらい世界で、俺らは生きてるんだよー〗




 〖正直に生きようなんてするから、傷ついて苦しい思いをするんだ〖〗




 〖誰も期待しない。誰も信用しない。誰も愛さない。だろー〗




「うん・・・・」久米はただただ無心で頷き、目を閉じ白き世界に、身を委ねるように全身の力を抜いた。




 〖そんな世界でも、俺は生きたいのか?〗




「どうだろう・・・・」


 流されているのか、感覚がそれを教える。




 〖なら、すべてにおいて鏡であれ。ただ他者を映し返すだけの鏡。そこには自分という感情は必要ない。求められる姿を示せばいい〗




「だよな・・・・わかった。」




 秒針が進むように、静かに穏やかに見えぬ先へ運ばれて行く。


 そんな久米の指先に、いつの間にか握りしめた仮面があった。




 目を閉じ、口は閉じ、でも、目は笑い、口も笑っている光沢な青銅の仮面。




 〖未来に邪魔になるものは消去してしまえ〗




 声に導かれるように、持ち上げた仮面を久米は愛おしく見つめた。  


「あーぁ・・・・これは俺か・・・」


 どこか懐かしく、慣れ親しんだ仮面を静かに顔に近づけた。


「忘れてしまおう。」






 ・・・・・・・・・・


「おっ前、ホンマに可哀そうな奴やなぁー。」


 仮面を被ろうとした瞬間、葛本の叫びが白き世界に響く。




「自分の家族の事、お前は知らなさすぎるんや!!」


「だからお前はキモイんや!不幸のどん底にいるような顔しながら、なーんにもわかっとらんねん!」




 手を止め、叫びが響く周りを起き上がるように見渡す。




 葛本への苛立ちではなく、何故か鼓動が荒ぶる、呼吸が乱れる、白き世界にノイズが走り、耳鳴りが激しく震える。




 仮面にひびが入る。






 激痛が体にのしかかり、重圧が重なっていく。




 何も感じることがなかった白き世界で、限界を超えてくるものに耐えられなくなった久米は叫んだ。




「うわああああああああああ‼」


 仮面が砕け散った。








 閉じた目を開け、ぼやけた視界が鮮明になる。耳鳴りがまだ続くが治まりそうだ。それよりも体中が痛い。


 なんだこの痛みは。




「香月!香月!先生!香月が目を覚ましました!」




 今、自分は病院のベッドにいて、慌ててナースコールを押し続ける姿が、母だと認識するのに、時間はかからなかった。




「香月!わかる?母さんよ!わかる?」


 こんなに冷静さを欠いた母の姿を見たことがなく、「母さん、わかるよ。」と起き上がろうと体に力を入れた。




「痛ったぁーーーぁ」


 突然走る背中の激痛に、ベッドに倒れ戻る。




「大丈夫?香月!」


 慌てる母に「大丈夫」と手のひらを上げる。




「よかったーぁ!本当によかった・・・」


 目頭を手にしたハンカチで押さえ、涙声の香織はもう片方の手で香月の頬に触れた。




「ごめん・・・・母さん・・・俺・・・・・」


 震える瞳で見つめる母に、謝るように大きく頷く。




「本当に、本当によかった・・・生きていてくれるだけでいいから。あなたまでいってしまったら・・・・」




「ごめん。ホンマに心配させてしまって、ホンマにごめん。」


 早足でやってきた医師が、香月の胸に聴診器を当て、ベッドサイドモニターでバイタルを確認する。




「何か飲みたいものある?食べたいものとかない?」


 医師の「とりあえず、今は大丈夫そうですね。」との平穏な様子に更に安心した香織は、向上した気持ちで身を乗り出した。


「あ、うん。コーヒー・・飲みたい。」


「ブラックね。」


「うん・・」






 会話が進む中、香月は先ほど母が言った「あなたまでいってしまったら・・・・」を、うまく呑み込めないままだった。




 だけど、徐々に思い出すそれよりも重く固く突き刺さったままの縄手先生の存在が喉元にあった。


 夢だと思いたい気持ちは簡単に拡散し、息を苦しくさせた。




 すべてを失う覚悟で伝えたありのままの自分を、最愛の縄手先生に完全否定された事実は、それまでに見せた言動すべてが【嘘】であったことと告げていた。






「香月・・・・・大丈夫?」


 縄手先生のことを思い出し、ふさぎ込んだように横を向いた香月に香織が声をかける。




「・・・・うん。」


 香月の腕に刺さっている点滴の滴が沈黙を作る。香織が慰めるように、優しくシーツの上から香月の体を摩る。






「・・母さん、父さん本当に死んだん?」


 不意に香月はつぶやいた。




「え?」


 突然のことに香織は困惑した。


「本当のこと、教えて欲しいねん。」


 反らしていた顔を母に向ける。




「何言ってんの。香月が五歳の時に交通事故で・・・・・」


 慌てて語り出した母の言葉を遮るように、


「じゃあ、なんで遺影ないの?」


「墓参りに一回も行ったことのないの、なんでなん?」




「それは・・・・・そうやん!全部お父さんの実家に置いてあるんや!・・・・お墓のある場所も山奥で遠いし・・・・ほら!夏休みは香月が野球の練習で忙しいから、行けてへんかってんやんか。」


 香織は焦りの色を濃厚に、ところどころ滲ませ、言葉に詰まりながら、しどろもどろで答えた。




 そんな様子にイラっとした香月の口調が荒くなる。




「久米の性は母さんのや!父さんが死んでも、普通は父さんの性の新口【にのくち】のままちゃうんか!なんでや!」




 今まで心の片隅にも引っかかっていなかった疑問が、次々に浮き上がってくる。


「そもそもおやじのものが一切残ってないってどうゆうことやねん!え?好きちゃうかったってこと??忘れ去りたいってことなんかよ!」




 縄手先生の姿がオーバーラップする。


「・・・・・・・」


 小刻みに腕が振るえ、俯き何も言ってくれなくなった母を見て。


「・・お願いやから、教えて欲しい。」


「お願い。母さん。」






 少しずつ胸が苦しくなり、息が詰まり出す。それでも体をゆっくり起こし、追いすがるように母に手を伸ばした。




「・・・・あなたが大人になったら、ちゃんと話すから。今は・・・・」


 香月の伸ばした手を両手で握りしめ、謝るように額に寄せる。




「俺はもう子供とちゃう!なんで教えてくれへんねん‼」


 包まれた悲願の手を激しく上下に揺さぶる。苦しくて、口を開けないと息ができない。




「あなたは、まだ子供や‼知ってどうしたいねん‼知らなくてええことやっていっぱいあるんや‼」


 香月に押されるように、香織は感情の高ぶりを抑えられずに、声が荒げてしまった。




 螺旋状に昇り詰める情動は、数秒先を闇に包む。








「は?じゃあ!じゃあ事故は【嘘】なんや‼は?は?【嘘】なんや‼【嘘】なんや‼」




 振り解いた手を握りしめた拳の中、爪が突き刺さる。


 瞳孔が開き、怒りが全身全霊に満ち溢れだす。


 ベッドサイドモニターから警戒音が悲鳴を上げる。




『なんでいっつもこうなんねん‼なんでいっつもこうなるんや‼』




 肩で大きく息を繰り返しながら、母と対峙している数秒が永遠に感じていた。






 血圧が、心拍数が、脈拍が激昂する。


 ビー‼ビー‼ビー‼ビー‼ビー‼ビー‼


 固まった空白の空間を埋め尽くす警戒音


 ビー‼ビー‼ビー‼ビー‼ビー‼ビー‼






「うるさぁーいーーーーーーーー‼」






 香月は体に不快に触れる、ありとあらゆるものを剝ぎ取った。




 空に投げつけるコード、カテーテルが飛び散る。






 慌てて駆け付ける看護師たちに落ち着くように声かけされるが、届かない。




「なんでみんな【嘘】ばかりつくんや‼」




「なんで俺にばっかり【嘘】をつくんや‼」




「みんな嫌いや‼みんな大っ嫌いや‼」




 ベッドから立ち上がり、誰もいない空間へ逃げ出そうとするが、薬のせいでうまく体を動かせない。




「うおーーーーーーーーーーっ‼」


 何もかもが思い通りにいかない悔しさに、絶叫を繰り返す。




 複数の看護師にベッドに抑え込まれた香月に、手にシリンジを持った医師が素早く近づく。




「ごめん、ごめん、ごめん…」


 香織は俯き、両手で顔を抑えながら、医師の問いかけに何度もうなずく。


 視界が霞み始める。音がこもる。体が宙に浮く。




「うおーーーーーーーーーーっ‼」


 断末魔が消えゆく中、白き世界に包まれ始めた霧の中から、差し出された仮面。




 香月は落ちゆく白に、小さき手から受け取った仮面を、静かに顔に重ねた。






 ――――――――――






 大阪駅北地区、通称“うめきた”。大阪駅の北側だから“おおきた”にはならず、“うめきた”。元々この地が“梅田”だった事と、歴史的な鉄道事情により、JR以外の鉄道は梅田駅の名が定着した。近年は海外の旅行客が増加したことにより、わかりやすくするため都市名を冠にした駅名へ変更する鉄道会社が増えた。だから、新しくは【大阪梅田駅】。だけど、“うめきた”は“うめきた”。








 初夏の気温がピークを過ぎる頃、開発が進むグラングリーン大阪を眺める、グランフロント大阪のカフェの沈みすぎるソファに、縄手と斎部は向かい合っていた。




「今日はどうした?元気ないじゃん。」




 一向に減らないオレンジジュースの理由を知りながら意地悪く微笑み、斎部は膝に置いたノートパソコンんから手を離し、炭酸水を一口飲んだ。




 視線を下げたまま、小さくため息をついた縄手は


「いや、大丈夫。」


 重すぎる体を前のめりに動かし、グラスに手を伸ばした。




「何悔やんでんの?あなたの失敗?それとも僕ちゃんを傷つけたこと?」


 普段は外してしまうストローを口ではさみ、力なくオレンジジュースを吸い上げる縄手に、上目づかいで視線を送った。




「・・・・・・・」




 答えられない姿に


「あんたのそうゆうとこ、可愛いんだけど、本当にイラつくわ。」






 斎部はPⅭ画面に映し出された記事をテーブルに置いた。


「昨日の転落事故、かなりその界隈じゃ話題になってるわよ。まあ、座布団記事だけど。」




 《男性教師と熱愛中のYⅯ高校野球部キャプテン転落事故》と見出しで書かれた記事にぶら下がるコメントをスクロールさせる。




 学校名や個人を特定できるコメントは削除されているが、イニシャルなどでどこの学校で誰の事か、知る人が見ればすぐにわかるだろう。




「週明け、あなたの学校、大変でしょうね。」


 嫌味っぽく、手を口元に持っていきながら笑う。






 転落事故の後、緊急職員会議が行われ、校内で一連の様子を目撃した生徒の心のケアの実施と、転落事故と発表はしているものの、最近の久米の様子を考慮し、突発的な命に係わる行動の再発防止のため、危機対応チームが結成されることになった。






「ほら、こんなん書かれてるよ。」


 指先を止め声に出す


「未成年に淫行を働く教師を放置している学校は粛清されるべきだ。だって。」


「N手は変態で、今すぐ職を辞するべきだ。ほおー。」


 次々にコメントを読み上げて嘲笑する。




「私があなたに婚約者がいることを伝えろって、けしかけたってのもあるけどさ。」




「はぁー」肩で大きく溜息をついた縄手は、グラスを両手で持ったまま俯き、つぶやいた。


「入院先に行って、久米に謝ってくるわ。」




「・・・謝るって、何を謝るの?ホントタイミング読めないのって致命的だわ。」


「正直、俺、何が悪かったのか、全くわからん・・・・・」


 縄手は再び大きく溜息をつく。






「久米が飛び降りるなんて、微塵にも思わんかった・・・・」


「・・・・いきさつ聞いていたら、あなたが最後の一打浴びせたようなもんよ。このタイミングじゃなくてよくない?」


「俺なりに本気で向き合って、しっかり心込めて伝えたんやけど・・・」


「・・・本気でイラついてきたわ。」




 斎部はあきれ顔で両手を天に上げ仰いだ。


「タイミング見誤ると、100%勝てる勝負も負ける時があるし。全く勝算が無くても勝てたりもする。その場を支配している空気感を読めばいい。だけど、その空気感も言葉一つ発するだけで、表情一つ動かすだけで変貌するから、自分の願う方に誘導できるスキルがあればよかったんだけど。あなたにはまだ無理だったみたいね。私も読み違えたわ。油断した。」




「でも、このままやったら、あかん・・」


 ストローの先をくわえ、縄手は一口含んだ。


「それはあなたがね。」


 斎部は足を組みなおして、腕を組んだ。


「わかっとる・・・。」


 縄手はグラスをテーブルに置き、両手を顔に被せて天井を見上げ唸った。




『このままじゃ俺のせいで、久米はこの学校に入学してよかったと思えないまま卒業してしまう。どうすればいい・・・・本当の正真正銘の誠意を見せないと。』






 そんな様子を見ながら、斎部は微笑みテーブルに置いていたパソコの画面を閉じ、手に取り立ち上がった。


「じゃあ、ミーティング行ってくるわ。終わったら連絡する。」




 縄手は顔から手をずらし落とし、立ち上がった斎部に「わかった、行ってらっしゃい。」と何度か頷いた。


「後味の悪いやり方は、やめてよ。」


 縄手の頭を撫でながら、


「って言っても、無理か・・・じゃあ後で。」


 最後に見上げる縄手の額を軽く叩き、背を向けた。






 そのままの姿勢で目を閉じ、しばらく考え込んだ後、


「よし!やるかぁ!動かんことには何も始まらん!」


 縄手は膝を大きく打ち、残りのオレンジジュースを、ストローを外し一気に飲み干し立ち上がった。






 ――――――――――






 仕切りカーテンを引き、バックを左肩にかけ、久米が病室を出る。


「お世話になりました。ありがとうございました。」




「元気でね。」と見送ってくれた看護師の笑顔に違和感を持ちながら、深々と頭を下げた。


 隣にいた母親の香織、そして木之本沢奈も頭を下げる。






 久米の事故は本人の聞き取りにより、ツバメを捕まえようと手を伸ばしたことによる不注意による転落事故となり、死への念慮が薄いと判断され退院となった。


 しかしカウンセラーとの相談にて、久米の見守りを兼ねたキーパーソンとして、母親の香織は木之本沢奈を指名し、木之本もそれを承諾していた。




 そして、転落事故の原因が自分の一言であると、何度も謝る木之本に対して、母親の香織は「本当に香月の不注意だから」と関係性を否定し、久米もそれを承認していた。




 葛本との殴り合いで出来た腫れもほとんどひき、多少の擦り傷と足を軽く捻挫しただけで済んだ体を、まだひどい痛みが残っているようにわざと動かす久米は、それでも、「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」と目を赤くさせ、涙ぐみながら謝罪を繰り返す木之本に、「俺の方こそ本当にごめん。心配かけさせて。」と前髪に優しく触れ、それまでのことが何もなかったように寄り添っていた。








 手を繋ぎ、お互いを支えるように歩く二人の後ろ姿を見ながら、香織は自分の願う未来が目の前にあることに胸を撫でおろし、開くエレベーターに乗り込んだ。




 地上に降りゆくごとに、体が拒絶するかのように痛くもない節々が痛みだす。




「香月、大丈夫?」


 木之本が目を細めた久米を心配そうにのぞき込む。




「うん。大丈夫。」


 笑顔で親指を立てる。




 カウントダウンのごとく減ってゆく数字に、呼吸が乱れる。足に巻かれたテーピングの端が不快になり、かきむしる。


「てか沢奈、鼻水出てるで。」




 偽物ばかりでできた世界。手を繋いだ木之本も、前に立つ母親も、笑顔の縄手先生も何もかも【嘘】でできている。




「あーめっちゃラーメン食いてぇー」






【俺はもう無くていい。】




【空っぽでいい。】




【誰も必要としないし、必要とされなくていい。】






「車のキー貸して。先行って冷やしとく。」




【安っぽい上っ面の言葉を吐き、なんとなく時間が過ぎていけばいい。】




【別に生きる意味なんてなくていい。】




【何かに立ち向かうことなんてしなくていい。


 】




【未来に行くあてなんてなくていい。】






【【俺は、俺にはならない。】】






 地上に着いたエレベーターのドアがゆっくり開き、雑踏の音が波のように押し寄せた。




「行こか。」




 久米は木之本と一緒に、境界線を踏み越えた。


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