第21話 本当の両親?

 アイリスは突然の話に絶句してしまう。ようやく自分の本当の親のことを知ることが出来たのに、アイリスの父は、アイリスの母に毒殺されたのだ、と聞かされたからだ。


(それに、侯爵の話だと、私のお母さんは既に亡くなったって聞いたし……)

 だとすれば、アイリスの両親は二人とも既にいないことになる。


「あの、なんで私のお母様が、お父様を?」

 思わず聞き返してしまう。だがその瞬間、クリスティーヌはそっとアイリスの前に跪き、ぎゅっと彼女を抱きしめた。


「私は信じていない。シルヴィアがそんな恐ろしいこと、する必要ないもの。シルヴィアはレオナルドを深く愛していたし、レオナルドもシルヴィアのことを心から愛していた。だからこれは誰かが企んだ陰謀だと思うわ」


 ただ、王宮で彼に毒入りの飲み物を用意したのがシルヴィアだったことは疑いようのない状況だったのだという。


「ちゃんと捜査をすれば、真犯人がわかったかもしれない。けれど突然レオナルドが亡くなったせいで、彼の愛竜エンダーが精神的におかしくなって、王宮からシルヴィアを攫ってしまったの。その後、エンダーもシルヴィアも行方不明で……」


 そう言いながら、クリスティーヌは傍らに置かれていた書箱から一通の手紙を出してくる。


「文字は読めるのよね。パーティの直前にあなたのお母様から私に来た手紙なの。読んでみて?」


 アイリスは震える手で手紙を広げ、読み始める。生まれて初めて見た母の手蹟だ。クリスお姉様へ、と書き出してある手紙は、幸せそうな日常について書かれていた。


 シルヴィアがレオナルドの子供を身籠もったこと、まだ授かったばかりなので、公式には発表していないが、レオナルドと一緒に、生まれた子供が男の子だったらアレクシス、女の子だったらアイリスにしたいと話をした、ということが書かれていた。


「アイリス……私の、名前だ」

 その事に気づいた瞬間、アイリスの目に再び涙が浮かんできた。


 何があったのかは分からないが、確実に自分の名前は、両親が自分のために選び、プレゼントしてくれたものだったのだ、と分かったからだ。


「そう。きっとあのままでいたら、シルヴィアはレオナルドを暗殺したえん罪で、牢屋に収容されただろうし、何らかの陰謀に巻き込まれて牢屋の中で殺されてしまったかもしれない」


 クリスティーヌは切なげに吐息を震わせた。


「そうでなくても元々体の弱かったから、牢獄なんて入れられたら、お腹の中の子を無事産めなかった可能性が高かっただろうと思うの……」

 クリスティーヌはそう言って、まっすぐにアイリスを見つめた。


「何があったのかは分からない。もしかするとシルヴィアがえん罪を掛けられたことを理解したレオナルドが、最後にエンダーに命じたのかもしれない。シルヴィアを守るようにと……」


 そしてその後、アイリスは侯爵の子とは認められないまま、生かすでも殺すでもなく、中途半端な形で侯爵邸で『令嬢』としての立場を得ていた。


「私、侯爵から『お前の母はもう死んだ。お前を産んだせいでな』と言われていたんです」

「そう。やっぱりそうだったのね……」


 震える声で母の消息を伝えると、クリスティーヌは小さな声でそう呟き、何かを最後に諦める時のように深々と溜め息をついた。


 それからクリスティーヌはぎゅっとアイリスの手を握った。


「もちろん、私は大切な妹をこんなことに追い込んだ人達を許せない。でもその復讐以上に、シルヴィアが命がけで守った娘を、アイリス、貴女を私達の力で大切に守り育てたいの。あなたの両親があなたに与えられなかった分の愛情を注いで……」


 妻の言葉を受けて、大公は妻の肩に手を置くと、アイリスの顔をじっと見つめた。


「レオナルドとシルヴィアの子があの腐り果てた侯爵家ではなく、うちの子になりたいと言ってくれたら、何があっても侯爵家からその子を奪い取って大切に育てる、と最初から決めていたんだ。俺たち夫婦の中で」


 そう言うと、大公はニカッと笑った。深刻そうな顔をしていたアイリスの頭をぽんと軽く撫でるように叩く。


「だから侯爵家に隠された子がいるらしい、と聞いた時、国王陛下を巻き込んででも、その子を表舞台に引っ張りだしてやろうと考えたんだ」


 大公は力強く頷いた。


「アイリス、もう遠慮しなくていい。あんな家に帰る必要はない。アイリスがどんな思いをしていたか、どんな待遇に置かれていたかは、ティファのあの酷い火傷とアイリスの細くて小さいその体を見れば分かる」


 大公は真剣な顔をしてアイリスをひたと見つめる。傍らにいるクリスティーヌも真摯な表情を浮かべて頷く。


「今は、ひとまず俺たちを選んでくれ。そして俺たちと本当の家族になれるかはアイリスがゆっくり判断したらいい。まずはアイリスがあの家にもう戻らないですむように……。お願いだ、この手を取ってくれ」


 そう言うと大公は真っ直ぐに手を伸ばしてきた。アイリスは迷い、前に並ぶ父親と母親になって守ってくれるという人達の顔をじっと見つめた。


(正直、何がどうなっているのかよく理解はできていないかもしれない)


 それでも出会ってからほんのわずかな時間しか経っていないけれど、すくなくとも侯爵家でアイリスを家族として認めないあの人たちよりは、ずっと信頼ができる人達なのだということだけは確信できた。


「……私、あの家にだけはもう帰りたくないです」

 最後に焼かれてボロボロになったティファの姿を思い出す。アイリスは真っ直ぐ顔を上げて、手を伸ばした。


(私には、私を愛してくれた本当の両親がいた。それにその両親の代わりに私を引き取って親になりたいと言ってくれる人がいる)


「私、お二人を信用します」

 ぎゅっと大公の大きな手を握ると、その二人ごとクリスティーヌが抱きしめてくれた。静かに近づいて来たグラードが、アイリスの髪を撫でる。


「ようこそアイリス、フェルトルト大公家に。今日から俺は、アイリスを本当の俺の妹だと思うよ」


 その言葉に、アイリスは何故か涙が溢れて仕方なかったのだった。


***


 ――三日前、アルフォルト侯爵邸。


「何? アイリスが……消えた?」

 出張先で屋敷からの意味不明な一報を受けた後、アルフォルト侯爵モーリアスは顔を歪ませてそう呟くと、慌てて屋敷に戻った。


「アイリスはまだ見つからないのか。あの灰色竜は? 事情を知っている者はいないのか? 侍女は見張ってなかったのか?」

 屋敷に入った途端怒号を上げると、慌てて侍従長が近寄ってくる。


「本日は王宮に向かう予定が早まるかも知れないと言うことで、午前中から職人を呼んでドレスの採寸とドレス選びをしておりました。長いこと採寸をしていたので、息抜きに庭を散歩してくるということでしたが……」


 そのまま時間になっても戻ってこず、屋敷の中と庭を探して回ったが、未だに見つからないのだという。


「姿を見かけた人間もいないのか? その時間に庭を歩いていた人間は?」

 その言葉に侍従長は一瞬口ごもった。


「なんだ、なんでもいいから言え」

 苛立つ侯爵の剣幕に負けたかのように、一瞬視線を下に落とし、侍従長は答える。


「庭師の話ですが、アイリス様と最後に会話をしていたのは、ジョッシュ様、ではないかと……」

 その答えを聞いて、モーリアスは溜め息をつく。


「それではジョッシュを私の執務室に連れてくるように」

 モーリアスはそのまま執務室に向かった。


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