第20話 黒竜大公家の晩餐

 夕食の席は、前に大公と夫人が並び、アイリスはグラードの横に座る。


 グラードの兄二人はそれぞれ大公騎士団と王都にある王宮で仕事をしているらしく、夕食を一緒に取ることはほとんどないらしい。


「少しはゆっくりできたか? 料理人に頼んでお菓子も作ってもらったが、美味しく食べられたか?」

「はい、すごくすごーく、美味しかったです」


 向かいに座った大公にニコニコ笑いながら聞かれ、アイリスは先ほどの竜の上で言われた『娘にならないか』という話を思い出し、優しい気遣いがまるで夢に描いていたお父様みたいだと嬉しく思う。


 ちなみに無精髭を剃りさっぱりした様子の大公はなかなかハンサムだった。


「大公様って優しいですね。いつもグラード様にもこんな風に聞いてくれるのですか?」


 そう横に座っているグラードに尋ねると、「俺たちに対する態度とは全然違うよ」と笑いながら顔を横に振った。


「父上にとっては、こんなに大きくなった男は可愛がる対象じゃないんだよ。まあ俺も今から弟が増えるよりは、妹が増える方がいいかな。母上がもう一人産んだとしても多分また男のような気がするし」


 そう言ってにっこり笑うと、また頭を撫でてくれた。それがなんだか嬉しくて、照れくさい。


「さあ、夕食にしましょう。アイリス、しっかり食べてね。好きな物があったら屋敷の調理人に伝えるから教えてね。もちろん苦手な物も」


 優しい笑みを浮かべるクリスティーヌをみて、まるで理想のお母様みたいだと思う。


 こんな風に家族に対する夢ばかり広がって、冷たくて意地悪な侯爵邸にはもう戻れないような気持ちになり、アイリスはほんの少し不安になった。


 クリスティーヌの声で机の上を所狭しと並ぶ料理を見れば、大公家の夕食はものすごく量が多くて豪快な印象だった。


 お肉が多いし、どの料理も皿一杯盛られているし、と思ってびっくりしていると、大公と息子グラードは予想通り大量に食べた。


 だが意外なことにほっそりしている大公夫人であるクリスティーヌも、息子に負けないくらいしっかり食べるから驚いてしまう。


「アイリス、もっと一杯食べて。うちの子達ほどとは言わないけれど、もう少し食べないと大きくなれないわよ」


 そう言われて夫人自らドサドサとアイリスのお皿に大量の肉を盛ってくる。


 あまりの量にちょっと弱りつつ、気づけば周りの勢いに負けて、いつもより多く、お腹いっぱいになるほど食べてしまった。


 そして、そんな怒濤の夕食のあと、ソファーが置いてある、広くてゆったりとした部屋に移動する。クリスティーヌは自分と夫のためお酒を用意している。


「ここは、家族だけがくつろぐ部屋だ。アイリスものんびりとしたらいい。侍女達も控えの間に移動しているからな」


 そう言いながら、子供達にと大公自らがお茶を淹れてくれた。なんとなく大公が言っていた『うちの子になる』計画が、どんどん進んでいる感じがする。


 けれど、アイリスとしても『家族だけがくつろぐ部屋』で皆と一緒に過ごせることがとても嬉しくて、にこにこしてしまった。まだ出会ったばかりだと言うのに、大公やグラードだけでなく、優しくて強い大公夫人のことも大好きになりつつある。


「……美味しい」

 それに大公が入れてくれた紅茶は意外にも美味しかった。


「オーランド、今日のうちに色々と決めておいた方が良いのよね」

 そうクリスティーヌが言うと、大公は頷く。


「ああ、国王陛下に報告をあげる前にうちの方針は決めてしまいたい」

「兄貴達には後で伝える感じ?」

 グラードの言葉に大公は頷く。


「ああ、アイツらは事後報告でいいだろう」

 そう話をまとめると、大公は改めてアイリスをじっと見つめた。


「さて、それでは最初から話をするか。まずはアイリスの両親だと思われる人物についてだ」


 アイリスはドキッとしながらもしっかりと頷く。怖い気持ちもあるけれど、それ以上に自分が知らなければいけないことだということも理解している。


「これは俺とクリスティーヌとが推察した話だが、多分間違いないと確信している」

 そう言って彼は話を始めた。


「アイリスの本当の父親は、ここに来る前に話したが、レオナルド・レクシ・アルフォルト。今のアルフォルト侯爵の兄で、前アルフォルト侯爵だ」

 アイリスは彼の言葉に頷く。


「そして、貴女を産んだのは、シルヴィア・レクシ・アルフォルト。前アルフォルト侯爵夫人に間違いないと思う」

 クリスティーヌは小さく溜め息をつく。


「まずは貴女のお母様の話からするわね。シルヴィアは前王陛下の最後の愛妾タチアナ様の第一子として生まれたの。ただ、生まれた直後に前王は崩御され、タチアナ様はもともと男爵令嬢で立場が弱かったので、王宮には残らず、小さな別荘でひっそりとシルヴィアと共に暮らしていたの」


 なるほど、そのシルヴィアという人がアイリスの母だというのなら、アイリスも確かに王族の血を引いていることになる。


「けれど、その後タチアナ様が早世され、まだ小さかったシルヴィアを案じて私の母が引き取ったの。だから血は繋がっていないけれど、私とシルヴィアは姉妹のような関係だったわ」


 クリスティーヌの母であるサルードル公爵夫人は、前国王の妹で、タチアナの王宮での数少ない友人であったそうだ。そして一人遺された前王の王女シルヴィアを心配し、サルードル公爵の了承を得て養育する事を決めたのだという。


「サルードル公爵家は、青竜公爵です、よね」

 授業で教わった内容を思い出して尋ねると、彼女はにっこりと微笑んだ。


「そう、実は私にも竜がいるのよ。ジーンというの。後で紹介させてね」

 そう言われてアイリスは目を見開いた。


「女性で竜を持つ人は珍しいって」

 アイリスの言葉に彼女はにこりと笑って答えた。


「そうね。私は竜の卵を抱いて生まれることが出来て、最高にツイていると思ってるわ。アイリスなら、この気持ち、分かってくれると思うけど」


 その言葉にアイリスも深く頷く。もしこの人が母親だったら、侯爵夫人とは違って、ティファとアイリスのことをまとめて大事にしてくれただろう。


「話を戻すわね……アルフォルト侯爵であったレオナルドは、オーランドの親友だったの。そして大公家を訪ねてきたレオナルドは、大公夫人である私に会いに来ていたシルヴィアに出会ったのよ」


 そう言うと、クリスティーヌは悪戯っぽく微笑む。


「一目でシルヴィアに恋してしまったレオナルドは、もうめちゃくちゃな勢いで情熱的に口説いて、シルヴィアも『レオナルド様素敵』とか言っちゃって、すぐにプロポーズを受けちゃったの……。それで十五歳で婚約者として侯爵邸に行っちゃったわ。レオナルドなんて十歳くらい年上だったのにね」


 自分の顔も知らない両親の、情熱的な恋愛の話を聞いて、アイリスは困ったように顔を赤く染める。


「……まだシルヴィアが若かったから、二人が正式に夫婦になったのは、シルヴィアが成人してからの話よ」

 そこまで聞いてアイリスは小さく頷く。


(そんな幸せそうな夫婦に、何があったんだろう。それに私のお母さんだというシルヴィアさんは……やっぱり亡くなっているの? そもそも、なんで私はずっと隠されていて、王宮からの呼び出しには、あの侯爵の娘として呼ばれる予定だったの?)

 疑問が一杯ある。


「あの。それで、なんで私は侯爵邸で、今の侯爵の娘として、あんなところで育てられていたんでしょうか」

 一番気になる質問をすると、大公はぐっと奥歯を噛みしめたような顔をする。


「公式には、シルヴィアは子供を産んだどころか、妊娠したという話すら出ていないの」

 クリスティーヌの言葉にアイリスは首を傾げる。貴族の結婚妊娠はそんなうやむやになるような話ではないはずだ。


「何か外に出せない事情でもあったのですか?」

 そう思って尋ねるとクリスティーヌはハッと息を吐き出しながら答えた。


「シルヴィアは愛妾の娘だったとしても、紛う方なく前王の王女の一人だったし、レオナルドも由緒正しいアルフォルト侯爵当主だったもの。その二人の間の子供なら、蝶よ花よとたくさんの愛を受けて、大切に育てられるはずよ。そのはず、だったの……」


 感情が高ぶり、言葉が紡げなくなったクリスティーヌの代わりに、大公が話し始める。


「二人はとても仲の良い夫婦だった。レオナルドは国境線での戦いで大きな勝利をあげ、また国王陛下と第二王子を命がけで救った英雄でもあった。だが……」


 だが妻と同じようのその先を言うのを躊躇うように言いよどんだ。それから何かを決意したように顔を上げた。


「だが国王陛下が、彼を慰労するために行ったパーティの会場で、レオナルドは毒を飲まされて殺された」


「え?」

 アイリスは突然の話に、息を呑む。


「どうして? ……誰に?」

 そう尋ねたアイリスの言葉を引き取るように、クリスティーヌが悲しそうに微笑んだ。


「……シルヴィアがね、あんなに愛していた夫に毒を盛って、命を奪ったって嫌疑を掛けられたの」

 アイリスはクリスティーヌの言葉に、衝撃で何も言えないまま、息を飲んだ。

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