あなたはゾンビです 〜異世界転生したら実はゾンビでした〜
古木花園
初夜
春風が丘を駆け抜け、羊たちの毛をやさしく揺らした。
ここカスティーラの村は、山脈と湖に囲まれた辺境の地。人々は互いに助け合い、外の戦乱とは無縁に暮らしていた。
カテラ・カスティーラは額の汗を拭い、耕した畑を見渡す。
まだ二十歳になったばかりだが、父を手伝い、村では頼れる若者として慕われている。
誰かが困っていれば真っ先に駆け寄り、笑顔で背を押す――彼の包容力は、大人からも子供からも信頼を集めていた。
「カテラぁー!」
弾むような声が風に混じる。
振り返ると、陽射しの中を駆けてくる少女がいた。
栗色の髪に草花を編み込み、両手には小さな花束。
クレム・シャンティイ。幼い頃から共に育った幼馴染。
無邪気で、自由奔放で、誰よりも愛らしい存在。
「見て! 四葉のクローバー見つけたの!」
息を弾ませながら、彼女は花を彼の胸に差し込んだ。
カテラは苦笑し、そっとその頭を撫でる。
「また泥だらけじゃないか。転んだだろう」
「いーの! どうせ洗えば落ちるんだから!」
泥で汚れた頬を拭うことも気にせず、クレムは笑った。
その笑顔に、カテラの胸は熱く満たされていく。
「……お前は本当に自由だな」
「うん。でも、カテラがいてくれるから安心なの」
彼は黙って頷き、彼女の手を包み込む。
――この温もりを守るためなら、どんな未来も恐れない。
そう心の奥底で誓いながら。
---
夕暮れの村は、赤く染まった畑と家々が並び、羊たちの鳴き声が遠くから響いていた。
村の外れ、小川のほとり。そこはカテラとクレムが幼い頃から遊んでいた秘密の場所だった。
「なあ、クレム」
水面に小石を投げながら、カテラは口を開いた。
「俺たち、来月には正式に夫婦になるんだな」
クレムは足を水に浸しながら、にやりと笑う。
「やっと、だよ? 私、ずっと待ってたんだからね」
「……悪いな。家の畑のことやらで、いろいろ遅くなって」
「いいの。待ってる時間も、幸せだったから」
そう言って、彼女は川の水をすくい、ぱしゃりとカテラにかけた。
「冷たっ!」
「ふふ、顔びしょ濡れ~。でも……ねえ、カテラ」
真剣な瞳で見上げる。
「私、あんたの子供が欲しい。いっぱい笑って、いっぱい走って……二人の子を抱きしめたいの」
その言葉に、カテラは胸を突かれた。
愛しい人と未来を描くこと。守るべき小さな命を共に育てること。
それは彼の願いでもあった。
「……約束しよう。必ずクレム・シャンティイを幸せにする。どんな時も守る」
カテラは大きな手で、彼女の小さな指をぎゅっと握った。
クレムは照れくさそうに笑い、彼の肩に寄りかかる。
「うん、絶対だよ。約束」
小川のせせらぎに重なるように、二人の誓いは静かに結ばれた。
――この時までは、永遠の幸せが続くと信じていた。
夜。村の小屋は二人だけの静寂に包まれていた。
外では虫の音が響き、窓から差し込む月明かりが、淡く床を照らしている。
カテラは深呼吸をした。
――今日、この手で守るべき人と、これからの未来を誓う夜。
クレムは無邪気に微笑む。
「ねえ、カテラ……怖くない?」
「怖くなんかないさ。お前を守る。それだけだ」
互いの手を握り合い、寄り添う。
幸福と愛に満ちた瞬間――
互いの身体が重なり、カテラは果てた。
「痛くなかった?」
「うん、大丈夫だったよ」
どちらも顔を赤らめながらカテラはクレムの横に転がる。
疲労の吐息が重なり合う。しかし、その疲労とは別に、クレムの呼吸はより荒くなる。
それはとてもしんどそうで、声をかけようと横をみるが、クレムは大きな声でうめき声をあげながらのたうち回りはじめた。
次第にクレムの瞳が光を失い、無垢な笑顔が歪み始める。
「カ、カテラ……?」
震える声は、どこか遠く、聞き覚えのないものになっていた。
次の瞬間、彼女の身体が異常な速さで動き、腕を伸ばしてカテラの首筋に噛みついた。
――冷たい、血を吸う牙。
温もりだったはずの唇が、牙と化している。
カテラは悲鳴を上げることもできず、ただ呆然と見つめる。
「クレム……どうして……」
クレムの瞳が完全に死の光に染まる。
自由奔放で愛らしい少女は消え、残ったのは無垢に噛み殺す怪物。
そして、噛みつかれたその瞬間、思い出した。
(俺は異世界転生したんだ。)
神との会話も思い出して、瞬時にこの世界に絶望した。
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