第一章 魔女と竜騎士

第一話 魔女は竜騎士と出会う

 私は自分の部屋に朝の光が差し込むと共に、目を覚ました。


 師匠と私が暮らす、中層空域の片隅に浮かぶ岩塊の上の一軒家だ。

 私がこの十年、師匠である魔女、ケイリッドと共に暮らす家である。


 〇


 師匠は、私が生まれてしばらくは、私の故郷──〈グリングラス〉に留まった。

 そして、私が五歳の誕生日を迎えた日に言ったのだ。


 「ハル、お前は今日からわたしと共に暮らして本格的に魔女としての修練を積む」


 誕生日の朝を迎えて目を覚ましたばかりだった私は思わずぽかんとした。

 そんな私の前で、師匠は腕を組む。


 「一応、拒否権はある。しかし、今更まともな村女にお前が育つとは思えんな」


 まだ、五歳の誕生日を迎えたばかりの幼子にそんな事を言う師匠である。


 「お前に力を与えた〈魔女竜〉様がお前に望むことはただ一つ」


 師匠はくたっと折れた三角帽子の下で、私を眠たげに見やった。

 そうして、私の首元にかかった鮮やかな緑の鱗をじっと見詰める。


 「自由に、この空を渡ること。……ただそれだけさ」


 私も師匠から離れるわけにいかない。


 父さんと母さんと離れてしまうのは辛かったけど、二人はまだ十分に元気だし、自分たちの事情は考えず、ハル自身のことを優先しろと言ってくれた。。


 魔女は、誰より自由にこの空を渡る人々だと言われている。


 この世界のほとんどの人々は、自分の生まれた陸地の上から離れられない。


 天空に浮かぶ陸地を行き来するには〈竜〉の力を借りるしかないからだ。

 多くは人に飼い馴らされた〈竜〉を使って、様々な手段で陸地を移動する。


 でも、魔女は〈魔女竜〉様の加護を受けている。

 つまり〈魔女竜〉様の鱗や爪や角や、そういった体の一部を生まれると同時に与えられるのだという。


 〈魔女竜〉様が起こしたあの嵐の夜に生まれた私のように。


 「その鱗はあんたの力の証、〈魔女竜〉様に認められた証さ」


 赤ん坊の頃から肌身離さず身に着けていた、ペンダントにした鱗を師匠は指差す。


 「これからずっと、片時も離さずに、身に着けていることだね」


 そう言って、師匠は自分の使う杖の上に私を乗せる。


 生まれ故郷の村〈グリングラス〉の夕焼け。


 私はその空に向けて師匠と共に風を受けて浮かんでいった。


 村の広場では村人が総出になって私を見送っていた。

 彼らの中に、涙ぐむ母さんと、目を真っ赤にして見送る父さんの姿も見えた。


 私は家族に向けて大きく手を振った。

 小さく鼻を啜っているのを、師匠はただ黙って聞かないフリをしていた。


 次第にもやがかかって雲の向こうへかすんで消えていく村の景色。

 私は、完全にそれが見えなくなるまで見詰めていた。


 それから、長いようで短い十年の月日が流れた。


 師匠は、それまではずっと一人で暮らしていたそうだ。

 私を引き取ってからも、ほとんど人と会う事のない、ものぐさな人だった。


 魔女としての訓練を受けながら、私は師匠に聞いてみた。


 「これまで弟子を取らなかったのに、なんで私を引き取ることにしたんです?」


 自分の使う杖を、木の枝から少しずつ時間をかけて削り出す。

 その作業の合間に、ふと気になって私は師匠に尋ねてみた。


 師匠は、立ち寄った陸地の街で買った茶葉で淹れた茶を啜りながら、けだるそうに答えた。


 「偶然、あの辺りを通りがかったら、〈魔女竜〉様のお姿が見えた」

 「へえ」

 「〈魔女竜〉様のお姿を直接見た奴は、魔女の間でも少ない。……これも何かの縁と思って、ついていった所にあんたの村があった」


 ずずっ、と湯気の立つ茶を啜った師匠は頭を掻きながらそっぽ向いた。


 「〈魔女竜〉様がつないだ縁を、さすがにわたしから無下にはできん」

 「へー」


 私は作業台の上の木くずを吹いて、改めて作業に集中するのだった。


 そんなこんなで私はその十年で魔女として成長した。


 まだまだ未熟ではあるものの、一人で陸地を行き来できるし、この辺りに浮かんでいる島や陸地を行き来して、そこに住まう人々のこまごまとした用事を引き受けて暮らすようになった。


 そうやって、未熟ながら魔女として暮らしを始めたある日のこと。


 私は、その日もいつものように朝の日課の水汲みに出た。


 〇


 中層空域の片隅に浮かぶ岩塊の上の、一軒家。


 私は師匠の家を出て、岩塊の崖の下にある雨水の溜まる水場まで行く。

 岩を削って造られた階段を、私は木桶を持って歩いていった。


 途中の道のりはなかなか険しい。柵や手摺などもない。 

 しかもその日はたまたま雲の多い場所を漂っているようで、水汲み場までの道のりは雲に包まれ、見通しが悪かった。


 万が一にも地面を踏み外さないように、慎重に歩いて行く。


 「柵や手摺を師匠に作ってくれって言っても、聞いてくんないしなぁ」


 私は「あふ」とあくびを噛み殺してぼやいた。


 「『〈魔女竜〉様の鱗を持って、中層空域のどっかの岩の塊に引っかかっるのを祈ってな』ってさ……。『気が向いたら迎えに行ってやる』って……」


 「そんなん絶対に迎えに来ないやつじゃん」と、真っ白な雲の中でつぶやいた。


 空に浮かぶ岩塊の、雨水が溜まる下の水場。

 水音が聞こえてきて、私はそちらを振り向いた。


 その時だ。


 「……え?」


 白く辺りを包んでいた雲が、ちょうど隙間に入ったのだろう。

 その雲の切れ間から、何か長大な生き物の姿が見えた。


 この中層空域に浮かぶ岩の塊には、師匠の飼っている鶏くらいしか動物はいない。

 後は小さな虫と、どこからか飛んでくる鳥とか、その程度で──


 私より大きな生き物で、なんの前触れもなく現れる生き物なんて──


 可能性は、一つしかない。


 蛇が鎌首をもたげるように、長い首がするっと持ち上がる。

 そうして、私を遥か高みから蒼黒い鋼色の鱗に覆われた頭部が見下ろした。


 私は、思わず唖然となって、その生き物の黄色い瞳を見詰めた。


 何処からか飛んできた、一頭の大きな〈竜〉。


 私はその〈竜〉の姿を、何も考えられず見ていた。


 〇


 少しずつ頭が働くようになってきて、私は改めてその〈竜〉を見上げた。


 (人が飼っていない、はぐれ……かな?いや、それにしては大人しいや)


 どうあれ、目の前の〈竜〉を刺激しないように一定の距離を保って観察してみる。

 人と暮らさなくなったはぐれ竜なら、凶暴な個体だと問答無用で襲い掛かってきてもおかしくない。


 でも──今、私の目の前にいる〈竜〉はただじっと私を見下ろしている。

 その瞳にはどこか聡明な生き物の理性ある光を感じた。


 (……多分、人と一緒にいる〈竜〉だよね。それに……)


 私は、その翼と頑丈な鱗に覆われた胴体、長くくゆらせた尻尾や、しなやかなその首の周りを子細に観察した。


 あちこち傷を負っている。


 私はゆっくりと息を吸って吐いて──胸元の〈魔女竜〉様の鱗に触れた。

 私に魔女としての力を与えてくれる、その滑らかな手触りを指でなでて、強大な生き物の前にいてざわつく心の波を収めた。


 「……あなた、何か理由があって、ここに来たんだね?」


 私は、その鋼色の龍の目を見詰めてゆっくりと語りかけた。

 そうして、あくまで傷ついたその〈竜〉を刺激しないように、ゆっくりと掌を見せてそれを大きく上に掲げる。


 「ほら、何も武器になる物……あなたを傷つけるような物、持っていない。私はただここに水を汲みに来ただけなんだ……」


 私は〈竜〉のかたわらで流れる、清らかな水へとそっと目を向けた。


 「あなたも、そうなの?水が必要なら、どうぞ使って。ここの泉は他に使うのなんて、私と師匠くらいだから、遠慮しないで……」


 私の言葉を、その〈竜〉が理解したかは分からない。


 ただ、相変わらずじっと私の様子を窺い、その意思を見定めるように見詰める。


 しばらくはそのまま私も〈竜〉も動かずにいた。

 いつのまにか岩塊は雲の隙間を抜けて、辺りに清明な太陽の光が満ちた。


 〈竜〉のその巨体も、はっきりと見て取ることができた。


 その時──


 〈竜〉がおもむろに身じろぎをする。

 そのまま、ずしんと重々しい足音を立てて私から一歩離れた。


 「えっ……」


 私は驚いた。

 その〈竜〉がそれまで自分の大きな体で隠していた地面に──


 一人の、甲冑姿の少女が倒れていたのだった。

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