魔女と竜騎士は壊れた世界の上で

りょーめん

プロローグ 魔女は語る

 むかーしむかし、遠い昔の話と、師匠は言ったの。


 でも、なんでそんな遠い昔の話を知っているんですか?と私が聞くと、子供がそんな事を気にするんじゃない、と師匠に怒られた。


 だから、その出来事がどれ位昔の話なのか、私も知らないんだ。


 ともかく遠い昔、今は空を漂うそれぞれの島や陸地は、一つの大きな『大地』というものの一部であったらしい。


 そんな事を言われても、私はうまく想像できないんだけどね。


 ともあれその時代、世界はもっと文明が発展し生活も豊かで人の数も今から考えられない位に多かったんだって。


 話を聞くだけだと随分と賑やかで楽しそうだった。

 しかし、豊かで楽しいだけの時代というだけではなかったようだ。


 人々はその『大地』を自分たちの都合で分断し、それぞれに対立して暮らしていたんだって。本来誰の物でもないはずの『大地』を。


 互いにより大きな力を求めて、人を傷つける道具を作り出していったそうだ。


 そんなある時、一人の科学者が古くからこの世界に存在する、ある動物に目を付けた。その正体は今の時代を生きる私も知っている。


 〈竜〉だ。


 この世界には元々、大空を自由に飛ぶ〈竜〉という生き物が棲んでいた。

 本来であれば浮くはずのないその巨体で、どうして自由に空を往くのか。


 その原理に注目した人間たちは、〈竜〉が身に宿す『力』を見つけたんだって。


 大地に生きる人間たちは、その『力』を自分たちが制御する術を模索した。

 〈竜〉を手なずけもしたし、〈竜〉たちを完全に自分たちの命令通りに動く生き物に作り替えてしまおうとした。


 とんでもなく傲慢で罪深いことだよ、と師匠は怒った顔でそう言っていた。

 この話を初めて聞いたとき、私はまだ子供で分からなかったけど。


 でも、今の〈竜〉の姿を見ていると、昔は人間が従えていたなんて信じられない。


 私がそう言うと、従えてなんかないよ、と師匠はかんかんに怒ってたなぁ。


 〈竜〉の『力』を我が物とし、完璧に制御できると信じた当時の人間。

 その傲慢と思い上がりは人間同士の争いを通じて大きく膨れ上がり、重い重い代償を支払うことになったのだよ、と師匠は言う。


 人間が操ろうした〈竜〉の『力』はある時、その制御を外れてしまった。


 暴走した強大な『力』は『大地』を引き裂いた。

 自らが引き起こしたその災害を人々は止める術を持たなかったのだ。


 引き裂かれた『大地』は、大きな島や陸地、無数の小島と岩塊に分かたれた。

 そうして、暴走した『力』の作用で天高く浮き上がっていったんだって。


 天空に浮かぶ、引き裂かれたかつての『大地』。

 幾つかの大陸と、島や岩の塊。


 ──その上に残された人々は、わずかに生き残り、今も細々と暮らしている。


 私たちはそんな世界に〈竜〉と共に生きているのだ。


 そう、師匠は私に話してくれた。


 〇


 …………・


 えっ、私のこと?

 そんな人に話すような出来事はなかったなぁ。


 ……そっか。あなたがそう言うなら、こんな話をしようか。


 さっきと違って、それほど昔ではない話だよ。


 中層空域に浮かぶ、小さな島〈グリングラス〉。


 中層空域の何処にでもあるような、その何の変哲もない島はその日、酷い嵐に見舞われていたんだ。


 〈グリングラス〉の島に一つあるきりの小さな村の風車守りのタザン。

 彼の妻はその日、にわかに産気づいていた。


 妻の容体はタザンも当然気に懸かったけれど、彼が管理する風車は村にとってなくてはならない大事な物だ。


 タザンは普段は風を受けて回っている風車の羽を村人と共に片付けていた。

 風に飛ばされないよう、畳んだ羽は風車の塔の中にしまっておく。


 人手が大勢必要な作業だし、指示をするタザンはどうしても必要だった。


 しかし、その日〈グリングラス〉の村を襲った嵐は誰も経験したことのないような激しいものだった。


 風車の建物どころか、地面まで小刻みに震えているような嵐の中。


 タザンと共に集まった村人たちは顔を見合わせ、不安げに囁き合った。


 「これは、ひょっとして……」


 その内の誰かが、吹きつける雨風の中でつぶやくように言う。


 「ただの嵐では、ないのでは……?」


 その言葉に全員が顔を見合わせ、同時に一つの言葉を思い浮かべた。


 『力』の嵐。


 「……『力』が荒れる空域に島が流されたのか?」

 「その可能性もないではないが」


 叩きつけるような雨と風の中で、村の男たちは顔を見合わせる。


 「島に干渉する位、巨大な〈竜〉が近くにいるのかも……」


 誰かのかすかに震える声を聞いて、タザンはバケツを引っくり返したような雨の中を、こけつまろびつ走り始めた。


 当然、自分の家へ──

 新しい生命の誕生の為に苦闘を続けているだろう最愛の妻の元へ。


 この先、何が起こるにしてもタザンは妻と、ひょっとしたらもう生まれているかもしれない新たな家族を放っておけなかったのだった。


 家までの道のりを駆け抜けるタザンの頭上を、幾度も雷光が真っ白に染める。

 どこかの木に雷が落ちるような凄まじい音まで聞こえた。


 それでも、タザンは足を止めず家までの道を駆けた。


 叩きつける雨が小さな川の流れのようになった、家への坂道。

 そこを駆け下りていくタザンの前で、一際激しい稲光が閃いた。


 その瞬間──


 タザンは、空を覆う真っ黒な雲に、とてつもなく巨大な影が映るのを見た。

 空を、雲の向こうを、長大な体をくねらせ横切っていく、とんでもなく大きな生き物の影。


 「〈竜〉……人の手を離れて、自由に空を往く……」


 中層空域の島々を縄張りにする〈竜〉。

 タザンも彼らの姿を一度は見た事があったが、あれだけ巨大な姿をしていない。


 じゃあ──


 大空を、なんの隔たりもなくどんな〈竜〉よりも自由に飛ぶ、伝説の。


 「まさか、〈魔女竜〉……?」


 タザンは、雷光の向こうに見えるその影を、呆然と見詰めていた。

 しかし、すぐに我に返って自らの家への道の最後の何歩かを、大股に飛ぶように駆け抜けた。


 「ローザ!」


 タザンは勢いよく扉を開けて自分の家に飛び込んだ。


 そうすると、家の中は窓が割れて雨風が吹き込んでいた。


 妻はベッドの上で懸命に何かを抱えてうずくまり、産婆はベッドの陰に身を縮めて隠れていた。


 タザンはとっさに何も考えられず、ベッドの上の妻に駆け寄り抱きかかえた。

 打ち付ける雨と風から妻を守り、ただひたすら嵐が過ぎるのを待った。


 タザンは妻を守るので必死だった。


 他の事は何も考えられず、ただ抱きかかえた妻を嵐が過ぎるまで守り抜く。


 一心にそれだけを考えていたタザンだったが、ふと何かが窓から飛び込んできた。


 風に飛ばされてきた木の枝か石ころだとタザンはとっさに思った。

 しかし、それにしてはやけに鮮やかな緑柱石のような輝きが、視界の端をよぎってタザンは一瞬、そちらに気を取られた。


 しかし、すぐに腕の中で体を震わせる妻の存在を思い出す。


 そうして、タザンは妻を抱えたまま、ただひたすら嵐が過ぎ去るのを待った。


 ──〈グリングラス〉の村は幸いその嵐を乗り切った。


 タザンも気が付けばずぶ濡れになりながら妻を守り抜いた。


 雨風が収まって、タザンは改めてベッドの上に抱きかかえた妻の姿を見下ろす。


 「ローザ……」

 「あなた……ありがとう。あなたのお陰で、二人とも無事よ」


 疲れ切って青ざめてはいたが、妻は気丈に微笑んでそう言った。

 タザンは濡れた顎から雫をしたたらせながら目をしばたく。


 「二人……?」


 妻の言葉にタザンは首をかしげた。

 その時になってようやく妻が小さなお包みを胸に抱いているのに気付いたんだ。


 妻が抱いている新しい命。

 タザンは、声もなくただこぼれんばかりに大きく目を見開いた。


 ──それから更に数日後のことだ。


 嵐で壊れた村の家や施設の修復作業が続く〈グリングラス〉の村。

 普段、立ち寄る者も少ないその村に、一人の訪問者が姿を現した。


 訪問者は、抜けるような青い空の上から、節くれだった杖に腰掛け降りてきた。


 農夫ばかりの〈グリングラス〉では酷く浮いた派手な装束。

 くたりと折れ曲がった三角帽子を被り、傍若無人に村人を訪ねて回るその女。


 どう見ても堅気でないその女は、やがてタザンの家を訪れた。


 「ごめんくださいよ」


 扉を叩いて若い夫婦を訪れたその女。


 「酷い嵐の夜に、この家で赤ん坊が生まれたと聞いてきました」


 女はくたりと折れ曲がった三角帽子の下で、鋭い目をしばたいた。


 彼女を、タザンとローザは半ば覚悟を決めた表情で家に迎え入れた。

 テーブルの椅子に腰かけた女は、部屋の隅の揺りかごに目を向ける。


 「お気づきかもしれませんがね、あの嵐は我々、魔女に『力』を与えた〈竜〉。つまり……〈魔女竜〉様が起こした嵐です」


 女の言葉に若い夫婦はぐっと唇を噛み締めた。


 「まだ決まったわけじゃありませんけど……その赤ん坊、見せていただいてよろしいですか?」


 言葉は丁寧だが、そうしなければ納得しない態度を女はまとっていた。


 ローザは覚悟を決めた様子で、揺りかごで寝ていた赤ん坊をそっと抱き上げる。

 彼女が女の前に立つと、女──魔女はその赤ん坊が何かをぎゅっと強く握り締めているのに目を留めた。


 女は立ち上がり、赤ん坊の握っているそれをのぞき込む。


 赤ん坊の小さな手に握られていたのは、鮮やかな深緑色をした鱗だった。


 〇


 そう──


 それが──私が生まれた時の話だ。


 私、ハル・アルケストがこの世に生を受けた時の話だよ。

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