第2話 方針会議

「もうっ。まなさんもあかねも遅いっ」


 崩壊する世界を後にすると、我らがお姫様がおかんむりになっていた。かわいい顔が、怒ったかわいい顔になっている。


「ごめんなさい、待たせたわね。ほら、膝枕してあげるから、機嫌直して」


 正座をし、太ももをぽんぽんと叩いて呼んでやる。


「……頭ナデナデもして」


 桃髪の少女は頬をぷくっと膨らませたまま、私の膝に頭を乗せる。


 頭を撫でてやる度に、頰からぷしゅーと空気が抜けていくのがなんだか面白くて、もちもちの肌をぷにぷにつつく。


「怪我、痛い?」


 少女が痛そうな顔で見上げてくるのを、笑顔で見返す。


「まあ、傷口は適当な布で巻いたし、血も止まったし、大丈夫大丈夫」


「がおーっ」


 適当に返していたら、またご立腹になってしまった。苦笑しながら、頭を撫でてやれば少しずつ機嫌も戻って来る。


「どのみち、今はこれ以上の治療もできないし、毒があるかどうかの判別も難しいわ。今のところはなんともないから、まあ、いいんじゃない?」


「いや、遅効性の毒って知ってる? 学年首席のマナ・クレイアちゃん?」


 と、わざと本名で私を呼んだ少年、あかねが、やれやれといった風体で尋ねる。本気で知らないと思って聞いたのではなく、知ってるよね、という念押しの意味合いが強い。


「知ってるわよ。まあ、それはその時考えましょう」


 少女はまだ不服そうだったが、人間より丈夫な魔族の私にとっては、急を要する怪我でもないと、話を進めるようあかねを促す。


「まずもってだけど――ここって、本当にまなちゃんの世界の過去なの?」


 崩壊する前と同じ建物の中。黄色がかった石の壁面には文字がびっしり刻まれており、藍色の螺旋階段は気が遠くなるほどに長く下に伸びている。ここはその最上階。


 一見すると、先ほどと景色は何も変わっていないように見える。


(やりたいことはたくさんあるけれど、まずは――。)


「まずは降りてみて、一番最新の記述を確認しましょうか」


「もう確認しました。二人が遅いので。ぷんす」


「めちゃくちゃ怒ってるじゃん、怖……」


 ナデナデしてやると、またぷしゅーと空気が抜けていく。仕方ない。お姫様は気難しいところも含めてかわいいのだから。


「ありがと、マナ」


「えへへ」


 私と彼女は同じ名前だった。それがきっかけで仲良くなった――というわけでもないけれど。どこか運命的な繋がりを感じるのは確かだ。


「――時計塔は、正しい時を刻む。三つの世界には八年ずつの隔たりがあり、三つの世界すべてがこの塔には記録されている」


「急にシャキッとするじゃん」


「シャキッとした言い方だけれど、まだ膝枕の上よ」


 私の膝枕を堪能しながら、仰向けになったマナが時計塔の仕組みと、世界ごとの時の隔たりを説明した。雰囲気だけは、まるで偉い人のようだ。……この姿勢では、あまりにも威厳がないけれど。


 その先を彼女が語るのを、私とあかねは黙って待つ。頭を撫でてやりながら。


「――なかったんです」


 手を止めて、見上げてくる黄色の瞳を正面から見据える。


「勇者マナ・クレイア死去の文字が、どこにもありませんでした」


 それは、時計塔すら欺く、時間遡行の成功を意味していた。どっと、動く心臓の音が、驚きのあまり止まっていたんじゃないかと思うほどに大きく内に響く。


 私は。――マナ・クレイアは、まだ死んでいない。


「あかりは?」


 少年の目は黒く、瞳の奥にある感情を覗かせない。


 私の前に勇者だった、榎下朱里。勇者は一世界に一人しか存在できず、時計塔に選ばれる。ただし、役目をまっとうした場合のみ、その定めから逃れることができる。


「……最新の記述に、榎下朱里、死去と、そう書かれていました。それ以前の記録から鑑みても、まなさんの世界であることは間違いないかと」


 ゆっくりと瞬きするあかねは、ほんの少しだけ微笑みかけてからマナの目を手で覆い、静かにため息をついた。


「その死去ってやつ、確定してるかどうかは、まだ分からないよねえ」


 あかねの口調とは裏腹に、その黒瞳が示していたのは、明確な、殺意だった。遠いところに向けられたそれを取り繕う余裕がなくて、きっと、そんな顔を見られたくないからマナの目を塞いだのだろう。


「はい。死ぬことが確定した時点で死期が刻印されるという点で、この塔には予言的な性質もありますから」


 れなのときも、彼には悪びれる様子なんて少しもなかった。


 私も、同じ場所までいけるだろうか――いや。


(同じ場所に行く必要なんてないわ。あたしは、あたしよ。)


 開きかけた口で、もう一度息を吸ってから、言う。


「計算通り世界の過去に来られたと仮定するなら、運命を変えるわけにはいかないわ。今のあたしたちが消えてしまうもの」


 迷いは一瞬。躊躇いを超えて言った、その後に続くだろう展開は、容易に想像ができる。


「それってさあ――ただの見殺しじゃん。救えるのに救わないってことだろ」


 あかねが棘のある言い方をしているのは、きっと無意識だろう。いつもおどけたような言い方をしているのは、ある意味で彼の優しさであり、今はその優しさの土台がぐらついていて、不安定だ。


「じゃあどうするのよ。あかねは、あたしやここにいるマナを犠牲にしてでも、榎下朱里を――あんたの妹を救うって、そう言うの?」


 だから、誰かが非情にならなくてはいけない。向き合わなくてはならない。


 そして、この三人の中でその役を担うべきなのは、私だ。


 私が一番、逃げ続けてきたのだから。


「逆に聞くけど、まなちゃんは、本当に、それでいいの? ハイガルくん以外にも、救いたい人がいるんじゃなかったっけ」


 本当に、と念押しするように尋ねられる。二度は聞かないということだろう。言葉の柔らかさとは裏腹に、声はひどく冷え切っていて、聞くだけで凍えそうになる。


 脳裏によぎるのは、穏やかな晴れた空と、同じ色をした瞳。いつも繋いでくれていた、温かい手。


 まだ、涙が出そうになることもあるけれど、形見は元の世界に置いてきた。


 かつてはその場所にあった形見を想い、私はそっと自分の白髪に右手を添える。


 でも。虚勢を張ることには、誰よりも慣れている。


「――あのときがあったから、今のあたしがいるのよ」


 そう、笑って言い切れるくらいには、私にとっては過去のことだ。面食らうあかねに、してやったりと内心でほくそ笑む。


「喧嘩は、めっ」


 不意にそう言った膝の上のかわいい子が、およそ、かわいさなど微塵も感じさせない速度で、目を覆っているあかねの腕に手刀を振るう。


「いだあっ!? え、なんで僕だけ!? 喧嘩両成敗じゃないの!?」


(痛そう。弓矢を素手で折る腕力だものね……。)


「いいの。だって、まなさんはまなさんだから」


「なんて堂々たる差別……」


 あかねが肩をすくめて眉尻を下げると、ピリついた空気が霧散して、張りつめていた呼吸が楽になる。


(さすが、マナね。)


 さすがなので、いっぱいナデナデしてやると、膝の上で、ないはずの尻尾をブンブン振っているのが見えた。


「あたしも、救えるものなら救いたいとは思ってるわ。だから――運命を変えない範囲で、できる限り助ける、っていうのはどう?」


 それが、今の私に出せる最大限、寄り添った答えだ。


「できる限り、なんて言ってたら、結局何も変えられないじゃん。……もう、後悔したくないんだ」


 中途半端な気持ちなら、そうだろう。でも、私ができる限りと言ったのは、そんな覚悟じゃない。


 できる限り、限界まで、身をすり減らす思いで、全力で助ける。


「勘違いしないでくれる? ――運命を変えさえしなければ、何をしてもいい。なんだってするって言ってるのよ」


 マナが私の頭に手を伸ばす。


「よしよし」


「ほら、マナもこう言ってるじゃない」


「よしよししか言ってないけど!?」


 なぜこのよしよしでマナの言わんとするところが分からないのか。まったく。


「私が計算します。どこまでなら介入が可能か、その未来にたどり着くために最低限必要な要素は何か。幸い、この手には日記があります。何がどの順番で起こるのか整理し、必ずや、最高のハッピーエンドにたどり着いてみせましょう」


「ほら、マナもこう言ってるじゃない」


「今ね! 今言ったね! 急にシャキッとしたね!」


 シャキッとしたことで疲れたのか、マナが膝枕されたまま、さらに脱力する。


 さすがに足がしびれてきた。でも、膝の上に乗っているこの熱を、離したくない。


「あのね、あかね。不用意に過去を変えれば未来が変わる。未来が変われば、あたしたちも変わる。あるいは、ここにいることができなくなって、消えてしまうかもしれない。――そうなったら、過去を救ったこと自体、なくなってしまうのよ」


 あかねは、こうやって説明されればちゃんと理解できる。だから、今そのことに気がついた彼が、決まり悪そうに顔をそらすのは、その考えに従うという意思表示でもある。


「……それなら、最初からそうやって説明してくれればいいじゃん。いつまた、僕の中の『あかり』が出てきて、君たちを殺すか分かったもんじゃないんだからさ」


「あんたが最後まで人の話を聞かないのが悪いわ」


「ですです」


「二対一は卑怯じゃんか」


 あかねの長くて軽い、薄茶色のポニーテールが風でたなびく。彼はまだ一年前のまま、彼の世界に囚われたままだ。


「それに大丈夫よ。あかねは私たちを傷つけるなんてこと、絶対にしないから」


「ですですっ」


 風が止んで、たなびく髪が垂直に下ろされる。


「……だから、二対一は卑怯だって」


 困ったように眉尻を下げながら、あかねは笑みを浮かべた。それから、ふーっと長く息を吐いて、空を見上げ。


「でも、そんな幸せな未来なんて、本当にあるのかな――」


 三つの世界のどこでも、私たちは幸せになれなかった。三人のうち、二人を失い、残った一人同士が、ここに集まった。


 同じ顔、同じ匂い、同じ仕草、同じ声、同じ表情、同じ体温。


(マナもあかねも、よく似ているけれど。……結局、あたしにとっての二人は、もう、この世にはいない。それだけは、忘れちゃいけない。)


 二人にとっての私も、もうどこにもいない。


 私とマナは、あかねの行く末を見守っていた。ただ、見ることしかできなかった。過度に世界に干渉することで、世界が壊れてしまうのを、恐れたからだ。


 それに。あの世界に、私とマナはいなかった。結局、私たちはそれぞれに、別の世界の住人だ。そこに生きる『私たち』の人生を、奪ってはいけない。


 私たちがそう考えて何もしなかった結果、あかねは大切なものをすべて、失った。失って今、重たい手をなんとか伸ばして、無理やりに笑っている。


(だからといって、なんでもかんでも干渉すればいいってものでもないわ。……もし、私とマナが、あかねに会わなかったら、きっと、こうはなっていなかったもの。)


 結局のところ、あかねと私たちが違うのは、ほんの少しとはいえ、考えなしに干渉してしまった責任があるかどうかだろう。


「私たち三人が、仲良しのままでいられる世界。ずっと、おじいちゃんと、おばあちゃんになるまで、ずーっと、ずっーーーと、一緒にいたい」


 マナだけじゃない。三人とも同じ想いだ。


(そこに、ハイガルがいてほしいと願うのは、あたしだけのわがままね。)


「願うだけじゃ何も叶わないのよ。――でも、大丈夫。あたしたち三人なら、なんとかなるわ。絶対にね」


 そのために、まずやらなければならないのは――。


「まずは、日時の把握ね」


「最初は、まなさんからですね」


「よし、行こっか。あ、途中で動けなくなったら、ごめんね?」


「そのときは背負って行くわ。……マナが」


「一緒がいいので、背負ってあげます」


「何それかわいい」

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