少し遅い思い出作り
最初に会いに行くと決めたのは、大学時代の親友――真奈美だった。
彼女とは、最後に会った日から十一年も経っていた。年賀状のやり取りも途絶え、SNSで彼女の名前を見つけても、いいねを押す勇気さえ出せなかった。
電車を乗り継ぎ、住宅街の端にある古いマンションの前に立つ。
外壁は少し色あせ、階段の踊り場には子供用の三輪車が置かれていた。
インターホンを押すと、少し息を切らした声が応えた。
「はーい、どちら様ですか?」
「……結衣。高村結衣」
一瞬の沈黙のあと、ドアが勢いよく開いた。
「え、結衣!? うそでしょ……」
エプロン姿の真奈美が、驚きと喜びが混じった顔で立っていた。
「十一年ぶり?」
「数えてたの? ……なんで急に?」
「会いたくなったから」
それだけで、彼女は笑って「入って」と言った。
部屋には煮込みスープの匂いが漂い、リビングの片隅では小さな男の子がブロックを積み上げていた。
「息子の悠斗。二歳」
「はじめまして、悠斗くん」
私が手を振ると、彼は恥ずかしそうに母親の足に隠れた。
テーブルに座ると、真奈美がマグカップに紅茶を注ぎながら、何度も私の顔を見た。
「元気だった? ……って聞くのも変だけど」
「まあ、そこそこ」
「嘘っぽいなあ」
笑いながらも、真奈美の瞳は探るようだった。私は病気のことを話そうか迷ったが、言葉は喉で溶けた。
ただ「会えてよかった」とだけ伝えると、彼女は少し涙ぐみ、「私も」と答えた。
数日後、今度は高校時代の同級生・翔を訪ねた。
彼は駅近くで小さな喫茶店を営んでいる。
ガラス戸を開けると、深煎りの香りがふわりと押し寄せた。木製のカウンターの奥で、翔がコーヒーを淹れていた。
「……結衣?」
驚いた表情のあと、口元がゆっくりほころぶ。
「お前が来るなんて、奇跡だな」
私はカウンター席に腰を下ろし、彼の手際を眺めた。ドリッパーに湯が落ち、豆の膨らむ匂いが広がる。
「変わらないね、翔」
「お前もだ。……いや、少し痩せた?」
「まあ、ね」
彼は深くは聞かなかった。ただ、湯気の立つカップを私の前に置き、
「今度は、消えんなよ」
と静かに言った。
その一言が、心の奥に染みこんで離れなかった。
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春、私はひとりで桜を見に出かけた。
川沿いの土手に立つと、風が花びらを吹き散らし、空と水面のあいだに淡い霞をつくっていた。
耳元で、小さく紙が擦れるような音がする。それは枝が揺れる音だった。
私はベンチに腰を下ろし、便箋を取り出して読み返す。
「この先の景色は、きっと君が思うよりも美しい」
確かに、美しいと思った。この瞬間だけは。
夏、海に行った。
浜辺は照りつける日差しで白く輝き、足元の砂はじんわりと熱かった。
波打ち際で靴を脱ぎ、冷たい水が足首を包む感覚に息を呑む。潮の匂いが胸いっぱいに広がった。
沖では、子供たちが歓声を上げて浮き輪に揺られている。私は水面を覗き込み、自分の影が波に砕けて形を変えるのを見ていた。
秋、山へ紅葉を見に行った。
木々は燃えるような赤や黄金に染まり、風が吹くたび葉がカサカサと音を立てて舞った。
手袋越しに触れた葉は脆く、すぐに指の間で砕けた。
見上げると、光が葉の隙間から差し込み、頬にやわらかく落ちてきた。
「この景色を、もっと早く見ればよかったな」
思わず声に出すと、隣に誰もいないはずなのに、返事が聞こえた気がした。
冬、初雪が降った日、私は外に出て足跡のない雪道を歩いた。
雪はきゅっきゅっと靴底で鳴り、頬に触れる空気は冷たくて澄んでいた。
吐く息が白く広がるたび、胸の奥が少し軽くなるようだった。
季節は巡り、体は少しずつ弱っていった。
でも、あの手紙を受け取った日から、私の一年は驚くほど色鮮やかになっていた。
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