最後の手紙は未来から
@Nisitsukiamane
余命一年
郵便受けを開けたとき、カラン、と金属が軽く鳴った。
昼下がりの光が、アパートの外廊下に静かに差し込んでいる。白く乾いた空気の中、ポストの口の奥に、一通だけ封筒が眠っていた。
それは、広告やチラシに紛れていない。そこだけ空気が違うような、ひっそりとした存在感を放っていた。
少しくたびれた白い封筒。紙はほんのり黄ばんでいて、指で触れるとやわらかく波打っている。長旅をしてきたような、そんな手触りだ。
宛名は、私の名前――「高村結衣」。
差出人欄は空白。裏返しても何もない。印刷された文字も、郵便局のスタンプも、なぜか見当たらない。
玄関先にしゃがみ込み、封筒の角を指先でなぞる。冷たい紙の感触と、微かに漂う古紙の匂いが、胸の奥をざわつかせた。
ただの手紙のはずなのに、封を切る前から心臓が小さく跳ねている。
深呼吸をひとつ。息が白くならないことを確認するように、冬の冷気をゆっくり吸い込む。
そっと封を開けると、中から便箋が一枚、静かに滑り出た。
広げた瞬間、私は息を呑んだ。
そこに並んでいたのは、見覚えのある文字。曲線の癖も、行間の詰め方も、すべて自分の字だ。
「君はもう大丈夫だ。
迷わずに、そのまま進んで。
この先の景色は、きっと君が思うよりも美しい。」
インクは少し掠れ、筆圧の跡が紙をわずかにへこませている。
そして、文末に記された日付に目を落とした瞬間、背中に冷たいものが走った。――一年後。今日と同じ日付。
便箋を持つ指先がじんわり汗ばんでくる。
頭のどこかで「悪質ないたずらだ」と囁く声がする。それでも、胸の奥の別の場所が、この言葉を必死に信じたがっていた。
――未来からの手紙。
荒唐無稽すぎる。だけど、もし本当にそうなら。
---
一週間前の記憶がよみがえる。
白い診察室。無機質な壁。鼻にかすかに残る消毒液の匂い。
「結衣さん……正直にお伝えします」
机越しに、医師は申し訳なさそうに視線を落とした。
「現状では、手術も薬も効果は見込めません。おそらく……余命は一年ほどです」
その瞬間、空気が重く沈み、耳の奥で血の音がじわりと膨らんだ。
言葉を返そうとしたのに、舌が鉛のように重く、喉が動かなかった。
病院を出たとき、夕方の空はやけに澄んで青かった。街路樹の葉が風に揺れ、アスファルトの上で影が長く伸びていた。
その光景の中で、自分だけが急に別の時間軸に置き去りにされたようだった。
その私に届いた、見知らぬ――けれど確かに自分の筆跡の手紙。
慰めなのか、予告なのか。それすらわからない。
だけど、その一文は暗闇の奥に小さな灯りを灯した。
――この先の景色は、きっと君が思うよりも美しい。
死を待つだけの一年に、そんな景色があるのだろうか。
信じきれないまま、私は便箋を枕元に置き、何度も読み返しながら朝を迎えた。
翌朝、私は会社に退職届を出した。
上司の佐伯さんは目を丸くし、「急にどうした」と問いかけた。
「少し、やりたいことがあって……」とだけ答えると、「まあ、お前らしいけどな」とため息をつきながら笑った。
本当の理由は、まだ誰にも言えなかった。
退職が決まった夜、机にノートを広げた。
「行きたい場所」「会いたい人」「やってみたかったこと」。
文字を書き連ねるほど、私はこれまで自分の願いを後回しにしてきたことに気づいた。
あの手紙が、背中を押した。
もし未来からの贈り物だというのなら、この一年で受け取れるすべてを受け取りたい――そう思った。
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