第9話 お肉、ソース、皿
それからは実にあっと言う間だった。
トキラ炭田とエルダーの倉庫に置かれたそれぞれのセーブポイントを行き来し、勇者は都合25回の往復で全てのコンテナを運び終えたのだ。
さきほどまでがらんとしていた倉庫の中に整然と並べられたコンテナを眺めるライダは感動と感謝を同時に伝える語句が見つけられない自分の語彙力を悔いながら何度も頭を下げた。
「助かりました! よくぞこの全く荒唐無稽な依頼を成し遂げてくださいました、まさに奇跡です!」
「大袈裟だよ」
「感謝の言葉くらい素直に受けとっておきなさいよ。減るもんじゃないから」ゾーナは運び込まれた石炭の一つを摘まんで点滅する発電電灯にかざしながらニンマリ微笑む。
「ともあれお疲れ様!」
「うん。今日はよく運動したよ、久々に汗かいた」
「おかげで明日からまた世界が良く回るわ。ライダ、今回の件は上手く伝えておいてね。べつに貴方の功績にして良いから」
「そんな恐れ多い。勇者様のご助力あってのことなのに」
「魔物殲滅したことからしたら誤差みたいな手伝いだよ。良いから僕の名前は出さないこと」
「ゆ、勇者様本人もそうおっしゃるなら肝に銘じます。しかし、ともかく自分の功績とするのは気が引けますので、やはり本部の力を借りた、ということで一つ」
「好きにしなさい」
とほくそ笑むゾーナ。結局ライダがその対処に行きつくことは想定通りのようだ。
「しかしぜひお礼だけでも」
「ああ、そうね。今回の件はウチの案件だし、私からアンタに何かごちそうするわ!」
「別に良いのに」
「食事は? とても良い肉が食べられるお店知ってるわよ」
「ゾーナが食べたいだけじゃん」
「良いから良いから。ほら行くよ~! じゃあライダ、後始末はよろしくねー!」
と、勇者を引きづっていくゾーナ。
「あっゾーナ様。ここは私が」
彼自身が礼をするつもりで言ったはずが最終的にゾーナが礼をする流れになって結局残されたライダは、その顛末に待ったをかけようと挙げかけた手を、ぴたり硬直させた。
振り返ったゾーナの唇に人差し指を当てる仕草――口出しするなという、誰でも分かる合図である。
ライダは沈黙して何度も頷くと、挙げた手を振って、二人を送り出すジェスチャーへ急遽変更するのだった。
*
「ねえこれ、どこに向かってるの?」
しばらく黙ってゾーナに付いていた勇者だったが、繁華街を外れ、あげくレストランのレの字もないような静かな民家の通りに差し掛かったあたりで、不安になった勇者はぽつりと尋ねた。
「レストランだよ?」
「こんなところにある? お腹減った…」
「じゃあ良かった、空腹が最大のスパイスだからね! ただでさえ一流の食材と料理に、最高のスパイスが揃えば文句なし」
と、足を止めたゾーナ。
勇者が顔を上げても、そこにはレストランなどなかった。あるのは、ひっそりとたたずむ家だけだ。
しかしゾーナは、その家に入っていったのである。
(え、ここ?)
困惑する勇者を気にも留めず先導し、民家に押し入るゾーナ。
「らっしゃっせぇ…」
と、とても大企業のトップを迎える態度とは思えない挨拶が勇者たちを迎えた。
(…なにここ?)
と勇者は目を丸くした。ゾーナのことだから見るからに高級な店にでも引き摺って行かれ、(勇者の)ドレスコードで揉めでもするのではないかと思っていたが、実際に行きついたレストランは一見すれば普通の家屋のようだったのだ。
中には2つほどのテーブルとキッチンカウンターで仕込みの作業をする気だるげな娘が一人だけで、他に客はいないようだ。静かな店内は、裸電球の黄色の光で照らされていた。
「繁盛してるわね。テレーズ」
「そう見えますかぁ、お嬢様ァ?」
頭巾をかぶって影が落ちた額と、どんよりと隈を塗ったようなダウナーな娘は、肩を竦め、首をかしげてゾーナに答える。
「今日お肉ある?」
「ありますよ、一応ぅ」
「じゃあ二人分」
「うぃ。お飲み物はぁ?」
「適当に持って来て」
「うぃ」
という遣り取りのあと、テレーズはキッチンの陰にしゃがみ込み、がさがさと何かを探り始めた。
「この店、何? そもそもお店?」
「おどろいた? 隠れ家レストランってとこ」
「隠れ過ぎじゃない? 構えがぜんぜんレストランじゃなかった」
「ああ。あの子は人多いの苦手なの」
「はぁい。あんま人多いのとかうるさいの得意じゃないんでぇ、うち。すみませぇん…」
「いや、べつに謝ることじゃないけど」と勇者。
「確かにそですねぇ、すみませぇん」
と、テレーズは音もなく近づき、テーブルの脇にいた。
グラスを机の上に置き、コルクの付いていない瓶の口から、紫がかった液を注ぐ。
「僕は酒飲めない」と首を振る勇者。
「ああそれワインじゃないからアルコールは入ってないよ」
「えっ、そうなの?」
「そぉです発酵前す。若干炭酸は感じるくらいす」
注がれた液体からは、芳醇な香りが立ち、泡がふつふつとグラスの底から線を描く。
テレーズがキッチンに戻ると、じゅっー、と肉が鉄板に押し当てられる音が静かな店内を華やかに囃し立てた。
「…あの人、ゾーナの知り合い?」
「元メイドよ」
「メイド?」
そうは見えない、と勇者は思った。
「そうは見ぇないですよねぇ、すみませぇん」
「すぐ謝る癖があるのよ。けど料理の腕は一流だし、何より特別な肉料理を作れる。ここは知る人ぞ知る店って感じ?」
「恐れ多ぃす」
「ふーん。特別って?」
「それは仕入」しゃぁぁぁ「で温度と湿」じゅうううっ「してから焼」とんとんとんとん「けてまぁす」
(なにも聞こえない)
と勇者は呆れ気味に目を細める。テレーズはキッチンの向こうで黙々作業中で手元も見えず、料理の正体も分からない。
しかし聞こえなくとも、見えなくとも、ある感覚がやがて刺激された。
「………良い匂い」
「でしょ?」
「お待ちどぉ」
とテレーズが皿を机の上に置く。メイドらしく、音もなく。
実に一般民家のそれと大差ない木目とざらつきがむき出しの机に置かれた純白の皿には、弧を描く赤と黒の二対のソースを添えられた輝くような肉が飾られていた。カメラの点ノイズのように粗く刻まれたコショウが、切り分けられた肉の断面の輝きを際立たせている。
「どぞ」
「あはっ、おいしそ~~!! ね、食べてみて!」
「い、いただきます…」
勇者は戸惑いながら肉を口に運ぶ。口内にそれが触れた瞬間、肉にはこれほど多様な味わいがあったのかと目をむき、甘み旨味香りが広がる口の中の環境を一生保存したい欲求にかられた。そして家の隣にある小さな畑のかぼちゃの味の記憶は再び失われた。
「……! ……!??」
「おいしいでしょ? テレーズしかこの味は作れないのよね!」
「そぅすかねぇ」
テレーズはへへへと笑った。
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