第4話 拾得女子

 公園は、思ったよりも広いところであった。

 年に何度か、この公園では、休みの日であったり、祭りの時など、ここで、出店が出たりと、賑やかなことが多かった。

 なかなか普段は、ソープ街にくる人に気を遣ってか、このあたりに入り込む人は、店を利用する人だけしかいなかったのだが、最近では、

「開かれた街」

 ということをイメージしたいということで、祭りを積極的に行っているのだという。

 最初こそ、店に来る客が、

「他の人と顔を合わせるのが嫌だ」

 といっている人もいたようだが、最近では、そういうこともない。

 実際に、シフトが昼間で、勤務が終わった店の女の子が、出店に立ち寄って、それこそ、楽しんでいる姿を見ると、客の方も、

「どこか、ほのぼのした感じがするな」

 ということで、ソープ利用客も、ちらほら出店に立ち寄ったりしている。

 女の子の中には、その日、和服を着てくる女の子もいて、

「いかにも、夏祭り」

 という雰囲気を醸し出している。

 そんな出店も、軒を連ねていて、それが、数十軒近くあることから、

「この公園って、こんなに広かったんだ」

 ということと、

「普段はあんなに殺風景なのに」

 という思いとが交錯し、雰囲気が変わって見えるのだった。

 だから、最初こそ、この公園は、店の女の子の利用だけが目立ったが、客の中でも、ちらほら利用しているのが見えるのであった。

 この公園は、昼間来ると、明るさで、汚いところばかりが目立つのだが、夜はネオンサインに眼を奪われて、そこまではない。

 しかも、横を流れる川も、少し下流に降りれば、そこには海があることから、風が吹いている時など、潮風が吹いてきて、

「海の香り」

 というものを感じることができる。

 しかも、それが、

「波のない川」

 ということであり、その両岸には、ネオンサインが映し出されているという、

「いかにも風流だ」

 と思える感覚は、しばし、時間を忘れさせ、店に入る前は、

「これから別世界だ」

 という思いを感じさせ、逆に店から出てくると、

「余韻に浸りながら、ゆっくりと現実に戻ることで、その日の疲れが心地よいものに戻してくれる」

 と感じさせられるのだ。

 男というのは、

「行為が終わった後というのは、けだるさだけが残り、それこそ、罪悪感にまみれて、いやな気分になってしまう」

 という、いわゆる、

「賢者モード」

 というものに陥ってしまうのだ。

 しかし、ここでしばし、潮の香りを感じながらたたずんでいると、その賢者モードも次第に心地よさに変わってくる。

 普段であれば、潮風というのは、あまり好きではない。

 というのは、

「湿気を帯びた気持ち悪さ」

 しか残らないと思っていたからだ。

 しかし、

「賢者モード」

 の時は、それが逆の作用をもたらしてくれるからなのか、

「風が、心地いい」

 と思わせる。

「お風呂に入ったことが大きいのかも知れないな」

 と感じた。

 だから、

「払ったお金がプレイ時間だけのお金じゃないんだ」

 と感じるようになり、そもそも、決まったプレイ時間だけではなく、予約をしてから、実際のプレイ時間、そして、その後の、公園での心地よさから、現実に戻るまでの時間。すべてに当てはまると考えると、

「時間をお金で買った」

 と思うと、悪い気はしなかった。

 だから、待合室の時間も、今では、

「早く過ぎてほしい」

 とも思わない。

 逆に、

「この時間もプレイ時間の前戯みたいなものだ」

 といっていいだろう。

 そんなことを考えながら、その日も、プレイ後の公園の灯台の横でたたずんでいた。

 この時間を、

「まるでシンデレラのようだ」

 と思うようになっていた。

 別に、

「午前0時」

 というものがキーポイントではなく、自分の中で、

「今日はいい一日だ」

 と納得し、現実に戻った時が、

「ここでの、シンデレラタイムだ」

 と思っていた。

「そもそも、シンデレラの話も、切り抜いて考えれば、いくらでも、想像力を膨らませることができる」

 と考えられた。

「この思いも、最初からあったのかも知れない」

 と感じた。

 初めて、先輩に連れてこられ、最初にここに対して、

「他にはない、何か新鮮なものを感じる」

 と思ったのを、いつもここに来るたびに思い出していた。

 そして、それが最近になって、プレイ後も来るようになったことで、

「シンデレラタイム」

 という意識が、頭の中ではっきりしてくる。

 とその時同時に、

「前から感じていたことだったんだ」

 と思うのは、この時だけではなく、いつの頃からか、

「自分の考え方」

 あるいは、

「感じ方」

 というものの中に潜在しているものだと思うようになったのだった。

 その日は、時間的に、10時半くらいであっただろうか。

 あまりゆっくりしていれば、帰りのバスがなくなると前は思っていた。

 しかし、最近では、

「いいや、元々、時間をお金で買ったんだから、今日くらいは贅沢して、タクシーで帰ってもいい」

 と思うようになった。

 他の人であれば、

「贅沢したんだから、それ以外は節約しないと」

 と思っているかも知れないが、坂上は逆だった。

「今日は最初から贅沢をする日だ」

 ということであるから、

「時間をお金で買った」

 と考えることができると思ったのだ。

「どうせ、帰っても俺一人なんだ」

 ということで、実際に、

「この遊びは休日の前の日」

 ということにしていた。

 坂上の会社は、休みは週休二日制ではあるが、実際には決まっていない。

 会社自体は、

「日曜日は休み」

 ということになっているが、それ以外は、シフト制だったのだ。

「土日を休みにして、連休にしたい」

 と思っている人が多いことで、逆に、

「平日の休みがほしい」

 と考えている坂上にとって、却ってまわりの人とバッティングしないことで、シフトに関しては喜ばれたのだ。

 だから、普段の金曜日の夜の、あの喧騒とした雰囲気を味わわなければいけないわけではないのがありがたかった。

 どちらかというと、

「俺は天邪鬼だ」

 と思っている坂上としては、それがありがたかったのだ。

 金曜日の夜というと、人がやたら繁華街に繰り出して、

「ただ、うるさいだけ」

 ということで、さらには、

「10人近い団体」

 しかも、

「若い連中」

 というのが、集団で歩いていると、そのほとんどは、他の通行人を意識していないのか、後ろ向きに歩いたりして、よく人にぶつかっているのを見る。

 口では、

「ああ、すみません」

 と謝ってはいるが、その姿は、まるで、下から見上げているその目が、まるで、相手を馬鹿にしているように見えて、

「不愉快極まりない」

 という様子で、

「こっちまで気分が悪くなる」

 というものだった。

 しかも、車道にはみ出して歩くので、車がクラクションを鳴らす。

 喧騒とした雰囲気の中で、クラクションが鳴っただけで、ほとんどの人の気分は悪いだろうと思うと、

「たまったものではない」

 と感じさせられる。

 それだけでも、

「人の多い繁華街は嫌いだ」

 ということになるのだ。

 坂上は、いつでも急いで歩くというくせがついていた。

 その原因は、昔からのことなのだが、

「喧騒とした雰囲気から、一刻も早く立ち去りたい」

 ということが

「頭の中にあったのだろう」

 ということを、最近気づいたのだ。

 最近といっても漠然としているが、それが、

「繁華街を歩くようになって」

 という、ここ数年のことであるということまでは、意識できるようになった。

 そのおかげで、

「何かを意識するときは、実際に、もっと昔から感じていたことだ」

 というように思っていると感じるようになった。

 ただ、その意識の根底にあるのは、

「人と同じことをするのが嫌だ」

 という感覚からではないか?

 実際に、子供の頃から、

「天邪鬼だ」

 とは思っていたが、それと、

「人と同じことをするのが嫌だ」

 という感覚とは違うものだと思っていた。

 それは、

「人と同じが嫌というのが、自分にとって悪いことではない」

 と思っていたからだ。

 しかし、最近では、その二つが結びつくという感覚になってきたのは、

「天邪鬼だ」

 と感じることが、

「自分にとって悪いことではない」

 と感じるようになったからではないだろうか。

 それを思えば、

「歩くスピードが速い」

 ということも、

「金曜日に繁華街に繰り出したくない」

 と思うようになったのも、決して悪いことではなく、

「公園の灯台にたたずんでいる時の気持ち」

 と変わらないように思うからだったのだ。

 実際に公園にたたずんでいると、その日も塩枷を感じていて、さすがにこの時間は、他には誰もいないのが分かっているからか、安心して、川を見ていた。

 すると、少ししてから、横の方で、何かが呻いた気がした。

 その声が女性であることが分かると、少しびっくりして、そちらを見ると、公衆トイレの方で、大きな影が見えたのだ。

 どうしても、公園の街灯というと、それは暗いものである。数メートルおきに街灯はついているが、それが却って、角度によってそれぞれの方向からの強さが変わるので、伸びている影が、うごめいているように感じさせるのだ、

 だから、

「大きく見せる」

 という感覚であったり、

「回り込んでいる」

 というように見せるのであった。

 そんな影を見ていると、男であっても、実に不気味なものと思うのだ。

 しかも、この辺りは、昔の遊郭があったということで、余計なことを想像させてしまう。

 というのは、よく時代劇などで見るものとして、

「借金のかたで売られてきた女が、世をはかなんで、首を吊る」

 などということが、行われていた場所が、

「この昔、遊郭だったところだ」

 と思うと、いやでも怖さが頭をよぎるというものである。

 もちろん、

「今のソープ街というのは、繁華街の一角にあり、賑やかなところなので、そこまで怖いものが出る」

 ということを、ウワサとしても聞いたことがなかったので、一瞬ビックリはしたが、あくまでも、一瞬のことであって、それ以上の気持ちはなかった。

 だから、その日も、

「一瞬、後ずさりをする気分であったが、すぐに気を取り直して、逆にそのうめき声が女性だということだったことで、興味の方が強かった」

 といってもいいだろう。

「興味というよりも好奇心だな」

 と思ったのは、

「興味」

 という言葉には、どこか、いやらしさのようなものを感じたからだ。

 これは、どっちがどっちということはない、その人それぞれで、ものに対しての考え方が違うのと同じで、

「好奇心旺盛」

 という方が、自分にふさわしいと思ったことで、考え直しただけのことだった。

 人によっては、

「どっちでも関係ない」

 という人もいるだろうが、なぜか、そういうところには、坂上は意識を強めるというところがあったのだ。

 坂上という男は、

「子供の頃は、好奇心という言葉が嫌いだった」

 と思っている。

 子供の頃に、よくけがをしていたのだが、それは、

「親や大人が、行ってはいけないというところに行く」

 ということが多かったからだ。

 それを、

「好奇心が旺盛だから」

 といって、まわりの大人には、笑いながらいうくせに、坂上には、

「お前は本当に天邪鬼だ」

 という言い方をして、詰っていた。

 だから、

「俺は天邪鬼なんだ」

 という思いにさせられてしまい、さらにそれを、言い訳のように、

「好奇心」

 という言葉でごまかしているところから、

「好奇心が旺盛だというのは、いけないことなんだ」

 と、怒られるだけのことをしたということでの、折檻の代償が、

「その言葉を嫌いになること」

 ということだったのだ。

 好奇心旺盛というのが、

「決して悪いことではない」

 と思うようになったのは、中学に入ってから、

「思春期になってから」

 のことだった。

 しかし、自分の中では、どうしても、

「好奇心」

 という言葉を許すことはできなかった。

「そんなのは詭弁だ」

 ということで反発し、だか逆に、子供をののしるために使っていた、

「天邪鬼」

 という言葉こそ、

「自分にふさわしい」

 と思うようになったのであった。 

 それを考えると、

「そもそも、天邪鬼というのは、自分に都合のいい考え方を、まわりに悟らせないようにしようという意思が働いてのことではないか?」

 と思えるのだ。

 そして、それはあくまでも、

「自分を納得させるためだ」

 と考えると、

「その発想は悪いことではない」

 と思うからこそ、天邪鬼が嫌いではなくなり、

「人と同じことが嫌だ」

 というのが個性であり、

「個性は大切なことだ」

 という理論で

「自分を納得させている」

 と考えるのであった。

 女の子に近づくと、その子は、かなり怯えているようだった。貧相な服装は、怯えをさらにはっきりとさせているように見え、その感覚が、坂上の中に、少し、

「よこしまな気持ち」

 というのを生んだというのも嘘ではないだろう。

 しかし、彼は、

「天邪鬼だった」

 つまり、

「よこしまな気持ちを抱きながら、嫌われたくはない」

 という気持ちも同居していて、結局は、あとから感じた、

「嫌われたくない」

 という気持ちが優先した。

 だから、

「紳士的な態度」

 となり、

「大丈夫かい?」

 と声をかけた時、

「警察に連れて行く方がいいのではないか?」

 とも考えたのだ。

 だが、それも、

「もう少し、きれいな身なりであればいいのだろうが」

 と思ったのだ。

「こんな子を連れていくと、俺がまるで暴行しようとしたのではないかと思われる」

 という余計なことを考えた。

 冷静であれば、

「暴行しようとするのなら、警察に連れていくということはありえない」

 と分かるはずなのに、それが分からなかったということは、

「それだけ、冷静ではない」

 ということだったのかも知れない。

 となれば、

「家に連れていくしかない」

 ということで、とりあえず、彼女を落ち着かせるしかないと思い、

「お腹減っていないか?」

 と訊ねると、声を出さずに、こちらを睨みながら、うなずくだけだった。

「よし、待ってろ」

 とばかりに、コンビニに行って、とりあえず、おにぎりを数個買ってきて、それを目の前に置くと、かなり急いでぱくついていた。

 滑稽に見えるくらいであったが、その様子を見ているだけで、こちらも安心してきた。

「自分が、なぜ彼女に関わっているか?」

 ということがまるで他人事のように感じられ、

「彼女に関わっていることが、自分を善人にしているようで、ほほえましくさえ感じられた」

「家に連れて帰ろう」

 と思ったのも無理もないことで、とにかく、落ち着いて話を聞こうと考えたのだ。

 食べると落ち着いたのか、何も言おうとはしなかったが、手をつないで、歩き始めると、彼女は抗うことはなかった。

「とりあえず、風呂には入れてあげないと」

 ということで、タクシーを使って家まで帰り、急いで湯舟に湯を入れて、彼女に進めた。

 彼女は、もうすっかり、抗うことはなくなった。ただ、何も言わないだけだった。

 家に連れて帰ると、安心したからか、急に不安が持ち上がった。

「これって、誘拐なんてことにならないよな?」

 ということであった。

 先ほどは、

「暴行犯に疑われる」

 ということが最初に頭に浮かんだので、それ以上のことは想像もつかなかったが、

「どうして、誘拐ということが頭をよぎらなかったんだ?」

 と思うと、自分でもびっくりするのだった。

 それを思うと、

「これじゃあ、誘拐というよりも、女の子を拾ってきたということになってしまうのではないか?」

 と感じるのだった。

 それこそ彼女は、

「拾得女子」

 といってもいいだろう。


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