第2話 期待の向こうにあるもの
「大和くんって、他の子にもそんなに優しいの?」
ふいに咲良がそう言ったのは、購買でパンを買い、二人並んで校舎へ戻る廊下でのことだった。
昼下がりの陽光が窓から差し込み、白いタイルの床に淡い影を落とす。
彼女はトレーの上の袋パンを抱えながら、少し探るような瞳で俺を見上げてきた。
「うん? どうだろうな。人によるかも」
俺は肩を軽くすくめてみせる。
エミュラブの推奨ログでは、こういう場面では『少し曖昧な笑顔』を添えるのが正解だとあった。
実際、その通りにすると──咲良は満足そうに笑う。
「そっか……でも、わたしにはちゃんと優しくしてくれてるよね。
それって、ちょっと特別な感じ、しちゃうな」
咲良の言葉はいつだってストレートだ。
まっすぐで、飾り気がない。だからこそ、少し危うく感じる。
好意なんてものは、そんなに簡単に見せていいものだったか?
「咲良がいい子だからだよ。俺、そういう子にはちゃんと応えたいと思うし」
またしても『模範解答』をなぞる。
エミュラブのアルゴリズムは本当に優秀で、こんな場面でどう言えば相手の心を動かせるか──ぜんぶ教えてくれる。
自分で悩む必要なんて、もうどこにもない。
「……ふふ、やっぱりズルいなあ、大和くんって。そういうこと、自然に言うから、こっちが勝手に期待しちゃうのに」
その一言。
『期待』という響きに、俺は一瞬だけ心の奥がざわつくのを覚えた。
まぶたの裏に、かつての痛みがちらつく。
だがすぐに、冷たい理性で塗りつぶす。
──期待して、何になる。
──本気で恋をして、何が残る。
俺は知っている。
あの頃の“僕”が、嫌というほど教えてくれたじゃないか。
「期待されるの、嫌いじゃないよ。応えられる自信も、あるしね」
さらりと返すと、咲良は目を丸くして、それからぱっと嬉しそうに笑った。
……簡単だ。
感情を演じるのは、こんなにも簡単だ。
難しいのは、それを信じる側のほう。
そして咲良は、疑わない。
俺の言葉を、俺という人間の『中身』を、痛々しいほどまっすぐに信じようとしてくる。
それが──少しだけ、煩わしかった。
いや、違う。
『僕』は、そうやって誰かを信じた先で、壊れたんだ。
咲良の声が、廊下のざわめきの奥で響いた。
「文化祭、楽しみだね。クラスも違うし、忙しいかもだけど……
どこかで、ちょっとだけ一緒にいられたらいいなって思ってる」
「……うん、考えとくよ」
俺の素っ気ない返事にも、咲良はふわりと笑った。
その笑顔を横目に、俺は冷めきった心で思う。
──どうしてみんな、そんなに『恋』に一生懸命になれるんだろうな。
◆◇◆
「大和くーん、ジュースもらえる?」
文化祭の喧騒の中。
クラスで運営しているカフェで接客係をしていた俺に、聞き慣れた声が飛んできた。
顔を上げると、白いドレスをまとい、金の髪飾りを揺らした咲良がひらひらと手を振っていた。
演劇部でジュリエットを演じると聞いていたけど……なるほど、本当に似合っている。
スポットライトを浴びる舞台の上から抜け出してきたような、その姿に周囲の視線も集まっていた。
「お客さん、なかなか可愛いですね。特別メニューでも出しちゃおうかな」
「もう、からかわないでよ。ちゃんと文化祭してるんだから」
頬を少し赤らめながら席に着いた咲良は、俺が差し出した紙コップを両手でそっと包み込む。
彼女の指先は、衣装の白さに負けないくらい華奢で、透けるように細い。
「今日は……会えて嬉しかった」
その一言が、妙に重たく胸に響いたのは、きっと俺の気のせいじゃない。
「俺もだよ。咲良が頑張ってる姿、見れてよかった」
──これは、エミュラブが用意してくれた“正解”のひとつ。
努力を認め、短く褒める。
それだけで親密度は確実に上がる。
案の定、咲良の頬は淡い赤に染まり、指先でカップの縁をそっとなぞっていた。
すべては予測通り。順調すぎるほど順調だ。
「……ねえ、今日、ちょっとだけ外に出られたり、しない?」
不意の誘いに、俺はポケットの中でスマホをそっと操作する。
エミュラブの画面が淡く光り、提案を表示した。
―――
【外出の誘い=高確率で告白につながる】
【推奨反応:①了承して様子を見る ②笑って受け流す】
【注意:告白イベントが近づいています】
―――
──ああ、もうそんな段階か。
「少しだけなら。咲良となら、サボっても悪くないかな」
俺の言葉に、咲良は花が開くみたいに笑った。
けれどその笑顔を前にしても、俺の胸は一切、ときめかない。
夕方の中庭。
校舎のざわめきから切り離されたような静けさの中、ベンチに並んで座る。
空は朱色に染まり、風に舞う落ち葉が足元をかすめていった。
咲良がぽつりと呟く。
「今日ね、舞台のセリフで──“たとえこの恋が叶わなくても、あなたを好きになったことを後悔しない”って台詞があって……それ、本気で言えたら、すごいなって思った」
「……うん。すごいね」
あいまいな返事をしながら、空に浮かぶ雲を眺める。
「大和くんは、どう思う? 恋って、後悔しないもの、なのかな」
その問いかけに、エミュラブは沈黙していた。
おそらく、まだ“答えるタイミングではない”と判断したのだろう。
だから俺は、予定通りの台詞を選ぶ。
「俺は……咲良に会えて、よかったと思ってるよ」
咲良の瞳がほんのりと潤んで、光を宿す。
だけどその感情の温度は、俺には遠い。
まるで厚いガラス越しに見ているように、冷たく、淡々と。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。
もしよろしければ、「応援」や「コメント」などいただけると励みになります。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます