いつでも僕はAI任せ
ニイ
第1話 模範解答の恋
「大和くんって、ほんと優しいよね」
昼休み。咲良が柔らかく微笑みながら、またほんのわずかに、俺との距離を縮めてくる。
彼女の声は春の陽だまりのようにあたたかく、自然と耳に馴染んだ。
「そうかな。咲良がそう思ってくれるなら、嬉しいよ」
口から出たそのセリフは、数秒前にスマホの画面に浮かんだ“模範回答”を、ただなぞっただけのものだ。
──あいにく、俺は知っている。こういう会話における正解を。もう全部。
「うん。やっぱり大和くんと話してると、落ち着くっていうか……なんか安心するんだよね」
少し照れたように言いながら、咲良は机の上の紙パックのジュースを指先でくるくると回す。
視線は泳ぎがちで、それでも俺の言葉をどこか嬉しそうに受け取っていた。
自分が騙されているとも知らずに。
──ああ、これだ。この感じだ。
AIのアルゴリズムに従って会話を組み立てれば、相手は自然と“恋に落ちる”。
全部、俺のスマホにいる“エミュラブ”のおかげ。
感情を持たない無機質なパートナー。
俺の代わりに恋を設計してくれる、冷たくも完璧な神様みたいな存在。
【次のトピック候補:①週末の予定について ②過去の恋バナに触れる ③さりげない褒め言葉を入れる】
視界の隅に浮かぶログが、淡く瞬く。
──ほんと、便利な時代になったもんだ。
もう俺は、恋なんて本気でするつもりはない。
だからこうして、優しさも、言葉も、ぜんぶ借り物でいい。
自分の心なんか使わなくても、恋愛は楽しめる。
それは合理的で、平和で、そして痛みのない愛のかたち。
……ねえ、そうだろ? 僕。
心の奥に潜む“僕”が、わずかに黙り込んだ気がした。
咲良は、また笑った。
頬にかかる髪を指で耳にかけながら、真っ直ぐに俺を見てくる。
「ねえ、大和くんって……誰かのこと、本気で好きになったこと、ある?」
その問いに、エミュラブは反応しなかった。
いつもなら即座に返ってくる“最適解”が、数秒間だけ沈黙していた。
「あ、ううん……ごめん。変なこと聞いちゃったかも」
慌てて取り繕う咲良を見て、俺はようやく口を開く。
「あるよ」
それは嘘じゃない。ただ、もうとうに終わった話だ。
「そうなんだ……」
咲良の声は少し沈んだが、すぐにまたいつもの明るさを取り戻す。
「そっか。なんか、ちょっと意外だったかも。大和くんって、なんでもスマートにこなすから、恋愛とかも余裕で流してそうだなって」
──その通りだ。
俺はもう、『本気』なんてものを卒業してしまった。
でも、それを言ってしまえば、きっと咲良は悲しそうな顔をする。
だから今日も、俺は優しさを演じる。
「咲良と話してると、つい色々思い出すんだよ。悪い意味じゃなくてね」
「……ふふっ、そっか。そう言ってもらえるなら、嬉しいな」
その笑顔を見て、ほんの一瞬、胸が痛んだ気がした。
けれどもちろん、それも“気のせい”ということにしておく。
◆◇◆
教室の喧騒を抜け、ひとり理科準備室の奥へと足を運ぶ。
そこが、俺にとっての“本当の居場所”だった。
古びた鍵はとうに壊れていて、誰も使うことはない。
埃っぽい空気と薬品の匂いが漂うこの空間で、俺はエミュラブと向き合う。
感情じゃなく、アルゴリズムで恋を楽しむために。
スマホを取り出し、ロックを解除すると、アイコンに小さな通知が灯っていた。
『emuluv(ver.0.96.β)』
起動した瞬間、無機質なログが画面に走る。
―――
【本日の対話記録:対象=一ノ瀬咲良】
感情推定値:肯定86%、関心64%、照れ28%
潜在的恋愛感情:進行中(Lv3/5)
会話テンプレ:感情寄り→共感→少量の自己開示→フィードバック
―――
「ふふ……今日も、順調だな」
画面を見つめながら、小さく笑みが漏れる。
AIが組み立てた恋愛は、無駄がない。揺らぎもない。
傷つくことも、裏切られることもない。
これを最初に試したのは、たしか一年前だった。
最初はただの興味本位。だけど、気がつけば今ではもう、これなしではいられない。
──感情は消耗品だ。
下手に使えば、すぐに擦り切れて、心そのものが壊れる。
「エミュラブ、次の一手は?」
―――
【提案:共通の趣味話題へ誘導(例:映画・音楽)】
【返信例:咲良が好きそうなジャンルを聞き出す→共通点演出】
【注意:恋バナ誘導は過剰接近と認識される恐れあり】
―――
指先で画面をなぞりながら、ため息混じりに笑う。
──なあ、エミュラブ。
君には、感情って理解できないよな?
―――
【理解:不可能。対象:定義不定/変動性あり】
―――
「……そうだよな。それでいい」
人間のように裏切らない。
誤解もしない。勝手に期待して、勝手に失望したりしない。
だからこそ、俺はこの無機質な存在を信頼できる。
俺が求めているのはただひとつ。
『恋してる俺』を演じること。
それで充分なんだ。充分なはずだった。
モニターに流れる文字列は、まるで俺の心を読んでいるかのように淡々と続いていく。
―――
【本日もログ保存完了。継続を希望しますか?】
―――
もちろん、答えはYes。
……それが俺にとっての“正解”なのだから。
画面を閉じ、机に肘をつく。
思い返せば、『本気』で恋をしていたのは、あの頃だけだった。
中学の頃。
幼さゆえに、ただがむしゃらに誰かを好きになり、そして無残に壊れた。
そのときに誓ったのだ。
二度と自分の感情で恋をしない、と。
恋愛は“楽しむだけ”でいい。
だからこそ、俺にはエミュラブが必要だった。
思考も、感情も、振る舞いも。
すべてを委ねられる存在。
俺はただ、指示通りに動いて、成功体験だけを受け取ればいい。
恋は消耗するものじゃなく、演じて味わうエンターテインメントなんだ。
そして今日。
咲良は、その舞台に立つ“完璧な恋”のヒロインだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。
もしよろしければ、「応援」や「コメント」などいただけると励みになります。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます