第3話 自由研究だけ終わらない


 お母さんはパンケーキとコーヒー、ぼくはサンドイッチとりんごジュースを頼んだ。本当はクリームソーダに興味があったんだけど、ついさっきまでメロンサイダーを飲んでいたしなぁ、ってやめちゃった。

「メロンサイダーとメロンソーダを区別するくらいだから、そのレインボーなやつとそうじゃないやつも区別したくなっちゃうのね」

「ん? どういうこと?」

「お母さんは、メロンサイダーを飲んだ後でもクリームソーダを飲めるよって話」

 分かるような、分からないような。

 ぼくはお母さんの顔をじぃっと見た。すると、違和感を覚えた。どうしても聞きたいことがぶくぶくと湧いてきた。

「お母さん、なんか楽しそうだね」

「そう?」

「うん」

「お母さんさ、こういう喫茶店、割と好きなんだよねぇ。だからかなぁ」

「いつも行ってるカフェとかとは違うの?」

「違うよ。こういうレトロなところってさ、異世界、とまではいかないけれど、不思議なところへ来たぞって感じがして、ワクワクするの」

「ふーん」

「子どもみたい……とか、思った?」

 答えを待つお母さんの顔には、威圧感のようなものは微塵もなかった。まるで、同級生とちょっと雑談しているみたいな感じがした。

「まぁ、ちょっとだけ?」

「大人になってもね、子ども心ってものは、なくならないんだよ。でも、なくならないのは心だけ。だからさ、今をしっかり楽しむんだよ?」

「なに? 急に」

「なんとなく。言ってみたくなっただけ。なーんて、もしかしたら、もう通り過ぎた、過去の自分に言い聞かせたくなっただけかもしれないけど」

 話の切れ目を待っていたかのようなタイミングで、おじいさんが頼んだものを持ってきてくれた。お母さんはぼくにパンケーキを少し分けてくれたから、ぼくもサンドイッチを少し分けてあげることにした。どっちも美味しい。それに、りんごジュースもすっごく美味しい。りんごジュースなんて、今まで何度も、色々な種類のものを飲んできたっていうのに。ここで飲むりんごジュースはそれらと比べ物にならないくらい美味しい!

「美味しいね」

「そうだね。いいお店に入れて良かったよ。これも自由研究のおかげかな。研究、引き続き頑張ってね」

 あ、そうだった。

 急に不思議なところから現実に戻ったような感覚。

 あーあ。レインボーカブトの研究、どうしよう。


 それから数日後、お父さんの仕事が休みの日がやって来た。ぼくらはとっても早起きをして、晴れていることを確認すると、まだ寝ているお母さんにそっと「いってきます」と言って家を出た。

「お父さん。本当にありがとう。研究、付き合ってくれて」

「そんなに何度もお礼を言わなくていいよ。ほら、行こう」

「うん」

 ぼくらのように早起きな太陽が眩しい。でも、まだまだ本気で仕事をしているわけじゃない。仕事前の準備体操って感じがする。

「こっちこっち」

 お父さんが小声で言いながら、手招きした。ぼくはお父さんがいる方へ、そろりそろりと歩いていく。指差す先に視線をやると、居た! といっても、普通のカブトムシだけれど。

 それからもぼくらは、いろんな場所を見て、写真を撮って回った。昼間、太陽が仕事をとっても頑張っているような時間よりも、多くのカブトムシに出会うことができた。

 でも、肝心のレインボーカブトはさっぱり。

「まぁ、珍しいものを探すのは、簡単なことではないからなぁ」

 ぼくを慰めるためなのだろうか。お父さんの声は、いつもよりも柔らかい。

「どうしよう、自由研究」

「まぁ、普通のカブトムシの写真はたくさん撮れただろ? カブトムシがどんなところに居ました、とか、朝と昼を比べたらどっちのほうがよく観察できました、とか、いろいろやりようはあるんじゃないか?」

「まぁ、そうなんだけど……」

 普通のカブトムシの研究をしたって、面白くないって思ってしまう。

 だって、ぼくらにはレインボーカブトっていうターゲットがいるんだから。


 暑さに溶かされながらも、なんとか自由研究以外の宿題を終えた。適当な自由研究を選んでいたら、もう自由の身と言ってもよかったはずだ。でも、難しい自由研究に取り組んでいるから、ぼくの夏休みに本当のお休みはなさそうだ。

「ねぇ、お母さん。明日、ちょっと遠くまで探しに行きたいんだけど。朝出て、日が暮れる前に帰ってこようと思うんだ。それで、そのぅ……。お昼ごはんなんだけどさ」

「ああ、どうする? お弁当作ろうか? それとも、何か買って食べる?」

「お弁当は、作るの大変でしょ? だから、コンビニとかスーパーとかで買おうかな、って、思ったんだけど」

「あー、分かった! お金ちょうだいって言いたいんでしょ?」

 こくん、と頷く。お母さんは「仕方ないな~」と笑いながら、千円札を一枚くれた。

「水分補給もしっかりすること」

「うん。分かった。ありがとう、お母さん」

 もらった千円札をお財布に入れる。お財布は、リュックのポケットにしまっておく。

 他に必要なものは何だろう?

 虫かごと、虫捕り網。今回は自転車で行くから、持ち手が伸び縮みするやつにしておく。あとは、カメラ。それからメモ帳とペン。汗をかくだろうから、タオルも入れておこう。あれこれ荷物を詰め込んでいたら、なんだか遠足へ行くみたいになってきた。

「そうだ、お菓子も入れておこう!」

 ひらめいて、そろりそろりとキッチンへ行く。お母さんはお風呂の掃除中みたいだ。

 ということは、今がチャンス!

 お菓子入れの中から、グミを一袋取る。それから、そろりそろりと部屋に戻る。リュックに戦利品をしまい込む。「ごめんなさい」とか、おこづかい減額で許してもらえそうな、小さな悪事を働いた。そのことが、ぼくの鼓動を速くする。興奮と恐怖が入り混じったような、変な感覚。楽しいような気も、少しだけする。けれど、小さな悪事は、これで最後にしようとぼくは思う。

 だって、この心のチクチクはあまり心地良くはなかったから。



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