第六十五話 攻める理由を失わせる

日本の内なる変化はやがて世界の見る目を変えさせた。

当初、日本の特異な防衛思想を嘲笑し批判していた国々も、その静かなる変革の本当の意味に気づき始めたのだ。



――アトランティカ合衆国の首都、ユニオンシティ。

その国防総省、通称『ジ・アンヴィル』。

地下のシミュレーション・ルーム。

そこでは西側連合軍のトップアナリストたちが頭を抱えていた。

議題はただ一つ。『対日侵攻作戦シミュレーション』。


「……ダメだ。何度やっても同じ結果にしかならん」


チームリーダーが呻くように言った。

目の前のホログラム・スクリーンには絶望的な戦況が映し出されている。

最新鋭のステルス戦闘機はMIYABIが構築した全国規模の防空網にいともたやすく探知され無力化される。

最強を誇る海兵隊が上陸を試みても、待ち受けているのは武装した軍人ではない。


生活型の鎧を纏った漁師や農家、そして主婦たちだ。


彼らは決して反撃はしてこない。

ただその圧倒的な防御力で全ての攻撃を受け止め、そして粘着フォームやスタンネットで上陸部隊の動きを封じ込めていく。

それはもはや戦争ではなかった。


巨大な暖簾を殴り続けるような、虚しい消耗戦だった。


「……仮にだ」


アナリストの一人が言った。


「……仮に我々が戦術核を使用したとしよう。……匿都に潜んだ彼らを完全に殲滅することは不可能だ。……そして我々が手にするのは放射能に汚染された不毛の土地だけだ。……何の利益もない」

「……結論は出たな」


チームリーダーは深くため息をついた。


「……現状の日本に対し軍事侵攻を行うことは戦略的に不可能。……いやそれ以上に経済的に全く割に合わない。……報告書にはそう書くしかない」


その報告書はやがて世界中の軍事及び経済の専門家たちの手に渡った。

そして彼らは戦慄と共に理解した。

日本が成し遂げようとしていることの本当の恐ろしさを。


それは軍事的な勝利ではなかった。

経済的な勝利だったのだ。

戦争とは究極の経済活動だ。

最小のコストで最大の利益を上げる。


だが日本はその大原則を根底から覆してしまった。

日本を攻めることによって得られる利益(ベネフィット)はゼロ。

それどころか攻撃を仕掛けた国が国際社会からの非難と経済的な損失という、計り知れないコストを支払わされる。

そんな馬鹿げたギャンブルに手を出す国はもはやどこにもいなかった。

やがて国際ニュースは奇妙な現象を報じ始めた。


『……東アジアの軍事的緊張が急速に緩和。周辺大国は相次いで軍縮を発表』

『……世界最大手傭兵派遣会社『カタフラクト社』、経営状況悪化。パワードアーマー市場の構造変化が原因か』


火力至上のゼロサムゲームの時代は終わりを告げようとしていた。

そしてその空いた席に座るのは誰か。

答えは明らかだった。


世界中の国々から日本へ新たな関係を求める使節が次々と訪れるようになる。

彼らが求めるのは軍事同盟ではない。

災害救助、インフラ整備、そしてAIによる社会システムの最適化。

日本が独自に育て上げてきた「人を、生かす」ための技術だった。


匠が創り出した思想は彼が意図した以上の形で世界を変え始めていた。


それは彼が静流に教えられた「攻める理由を失わせる」という究極の抑止力。


その静かなる勝利の果実が今、確かに実を結ぼうとしていた。

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