第六章 防衛装備庁、来る

第十六話 現場検証1:耐弾・耐刃

約束の日から、二週間後。


その日の早朝、匠はv0.9と共に、決戦の地へと旅立とうとしていた。

陸上自衛隊の東富士演習場。国家の粋を集めたその場所で、彼が生み出した鎧の真価が、初めて公の場で問われるのだ。


工房の前に停められた自衛隊の大型輸送車両にv0.9を慎重に搭載していると、どこからともなく、ぱたぱたと軽快な足音が近づいてきた。


「匠君、これを持っていきなさい!」


振り返ると、そこに立っていたのは、近所で自家農園を営むおじさんだった。

日に焼けた顔に、人の良さそうな笑顔を浮かべて、泥付きのキュウリやトマトが詰まった籠を差し出している。


「うちの畑で今朝とれたものだ。瑞々しいからね。しっかり食べて、頑張るんだよ」


「おじさん……ありがとうございます」


匠が頭を下げていると、今度は反対側から、ふくよかな体つきのおばさんが、小走りでやってきた。その手には、大きなタッパーが握られている。


「匠ちゃん、おばあちゃんのぼた餅よ。あんこをぎっしり詰めておいたからね。甘いものを食べたら、頭も冴えるから」


「おばさんまで……すみません、いつも」


「いいのよ、いいのよ」


二人は、にこにこと笑っている。

彼らは、匠が幼い頃から、彼を実の孫のように可愛がってくれている、大切な隣人たちだった。


「あー!ロボットだー!」


子供たちの甲高い声が響いた。いつの間にか、近所の小学生たちが、数人集まってきていた。

彼らの目は、輸送車両に半ば乗りかかっているv0.9の姿に釘付けになっている。


「ロボット、がんばれー!」

「テレビで見たぞ! すごく格好よかった!」

「悪いやつらをやっつけろー!」


無邪気な声援が飛ぶ。子供たちにとって、v0.9は、災害から町を守ってくれた、正義のヒーローそのものなのだ。

その温かい声援に、匠は胸が熱くなるのを感じた。

同時に、「悪いやつらをやっつけろ」という言葉に、心の奥が、チクッと痛んだ。


違うんだ。


俺の鎧は、誰かをやっつけるためのものじゃない。

この、穏やかで、温かい日常を、ただ、守るためのものなんだ。


その想いを、彼はまだ、うまく言葉にすることができない。


彼はただ、子供たちの頭を、一人ひとり、優しく撫でてやった。


「……ああ。……頑張るよ」


その背中に、おじさんとおばさんの、温かい声がかけられる。


「匠ちゃんなら、大丈夫」

「みんな、あなたのこと、応援しているからね」


匠は、こみ上げてくるものをこらえながら、深く、深く、頭を下げた。

そして、輸送車両に乗り込むと、運転席に座る静流に、小さく頷いてみせた。


故郷の温かい声援を背に、鋼鉄の鎧武者は、静かに、決戦の地へと走り出した。


――そして、数時間後。


匠は、v0.9と共に、陸上自衛隊の東富士演習場に隣接する、防衛装備庁技術試験センターの、さらに奥深くにある極秘区画にいた。

そこは、日本の防衛技術の粋を集めた、巨大な実験施設。コンクリートと特殊合金で固められた壁は、内部で行われるであろう、あらゆる破壊的な実験の衝撃音を、完全に外界から遮断する。


広大な射撃試験場の中心に、v0.9が一体、静かに佇んでいた。

泥にまみれていたその装甲は、匠の丁寧な手入れによって、新品同様の輝きを取り戻している。


だが、その周囲を取り囲む視線は、決して温かいものではなかった。


強化ガラスで隔てられた観測室には、防衛装備庁の腕章をつけた、いかにも堅物といった風情の技術者や、背広姿の官僚たちが、十数名ほど集まっている。

彼らの目は、好奇心よりも、疑念と品定めの色を濃く浮かべていた。


「……あれが、例の“サムライ・フレーム”か」


「一個人が、趣味の延長で作ったものだろう? 我々の税金を、こんなお遊びに使うとは……」


「だが、あの災害救助の映像は本物だ。説明のつかない性能であることは確かだがね」


ひそひそと交わされる会話が、マイクを通して匠の耳にも届く。

彼は、観測室の隣にある、簡素なオペレーションルームで、v0.9のコンディションを最終チェックしていた。

その背中には、突き刺すようなプレッシャーが重くのしかかる。


「……匠先生、準備はよろしいですか?」


隣で、同じようにヘッドセットをつけた静流が、緊張した面持ちで尋ねた。彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいる。

彼女にとっても、これは自らのキャリアを賭けた大一番なのだ。


「……ああ。v0.9は、いつでもいける」


匠は、短く答えた。彼の声は、意外なほど落ち着いていた。

それは、目の前のv0.9に対する、絶対的な信頼の証だった。


観測室のメインスピーカーから、試験官の冷たい声が響き渡る。


『これより、個人防衛強化甲冑、試作機バージョン0.9の、第一次性能評価試験を開始する。項目アルファ、耐弾性能試験。第一段階、9mm拳銃弾、射距離15メートル』


射撃場の壁から、アームに固定された自動機銃が一丁、姿を現した。その銃口が、v0.9の胸部装甲に、正確に向けられる。


匠は、息をのんだ。分かっている。v0.9の装甲なら、拳銃弾など、蚊に刺された程度にも感じないはずだ。

だが、我が子に銃口が向けられるのを、平然と見ていられる親はいない。


『射撃、開始!』


号令と共に、乾いた発砲音が連続して響き渡った。


ダダダッ!


銃口から放たれた弾丸が、赤い曳光を描きながら、v0.9の胸に吸い込まれていく。


カン、カン、カン!


甲高い金属音が響き、弾丸は、まるで硬い壁に当たったボールのように、あらぬ方向へと弾け飛んだ。

v0.9は、その場に佇んだまま、微動だにしない。


『……着弾箇所、損傷なし。機体への衝撃、皆無』


試験官の声に、わずかな驚きが混じる。

観測室の技術者たちも、モニターに映し出されたデータを見て、ざわめき始めた。


『……第二段階へ移行。5.56mm自動小銃、射距離20メートル。3点バースト』


今度は、先ほどよりも一回り大きな銃が、v0.9を狙う。


『射撃!』


バババッ!


先ほどよりも、遥かに重い衝撃音。

しかし、結果は同じだった。

弾丸は装甲の表面で砕け散り、v0.9は、涼しい顔で佇んでいる。


『……馬鹿な。セラミックプレートが、全く抉れていないだと?』


『どういう構造だ……? 衝撃を、熱に変換して、装甲表面で拡散させているのか?』


技術者たちの困惑をよそに、試験はエスカレートしていく。

7.62mm狙撃ライフル、12.7mm重機関銃。果ては、対物ライフルによる徹甲弾の射撃まで。


だが、結果は、何も変わらなかった。


v0.9の装甲は、その全てを、傷一つ負うことなく受け止めてみせた。

それはもはや、「硬い」という次元の話ではない。

まるで、物理法則を捻じ曲げているかのような、異常な光景だった。


『……これが、絶対防護……』


静流が、恍惚とした表情で呟く。


『……耐弾試験、想定項目を全てクリア。信じ難い結果だ……』


試験官の声は、完全に、驚愕と賞賛の色に変わっていた。


『……続けて、項目ブラボー、耐刃性能試験へ移行する』


射撃場の床から、巨大なロボットアームが、ゆっくりとせり上がってきた。

その先端には、超硬質合金で作られ、高周波振動によってあらゆるものを切り裂く、最新鋭のコンバット・ブレードが装備されている。


『対象に、最大出力で斬りかかる。……本当に、いいんだな?』


試験官の、最後の確認。


「……どうぞ」


匠は、静かに答えた。


アームが、唸りを上げる。ブレードが、キィィンという甲高い音を立てて、白熱し始めた。


そして、次の瞬間。


アームは、v0.9の胴体目掛けて、凄まじい速度で振り下ろされた。


ゴォォォン!


鐘を突いたような、重い、重い音が、試験場全体に響き渡った。

ロボットアームは、v0.9の胴体にブレードを押し付けたまま、完全に動きを止めている。

観測室の誰もが、固唾をのんで、その結果を見守った。

やがて、アームが、ゆっくりと後退していく。


v0.9の胴体には――


一本の、細い線が、残っているだけだった。

それは、傷ではない。


ブレードが、装甲に触れた瞬間に、そのエネルギーを受け止めきれずに、自ら溶融し、付着した跡だった。


『……ブレード側が、破損……だと……?』


技術者の一人が、呆然と呟いた。

その時、匠のヘッドセットにだけ、MIYABIの静かな声が届いた。


『八咫モジュール、簡易結界機能、正常に作動。接触型攻撃の運動エネルギーを、99.8%相殺しました』


それは、まだ不完全な、ほんの薄い光の膜。

だが、その見えない盾こそが、v0.9の絶対防護の、本当の秘密だった。


観測室は、水を打ったように静まり返っていた。


疑念は、驚愕へ。そして、驚愕は、畏怖へと変わっていた。


一人の青年が、たった一人で創り上げた鎧が、国家の粋を集めた兵器の常識を、いともたやすく、粉々に打ち砕いてしまったのだ。


その、あまりにも衝撃的な事実を、彼らは、ただ、受け入れるしかなかった。

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