第十五話 共同検証の約束

工房の隅にある、小さな応接スペース。


来客用に置かれた、年季の入ったソファに、静流は、背筋を伸ばしてちょこんと座っていた。

その膝の上には、分厚いノートとペンが置かれ、まるで、尊敬する作家のインタビューに臨む編集者のように、やる気に満ち溢れている。


匠が出した麦茶を、彼女は「いただきます」と丁寧に一口飲むと、早速、堰を切ったように質問を始めた。


「まず、この機体の根本的な設計思想についてお伺いしたい。これは、あくまで私の推測ですが……この鎧は、『殺す』ことではなく、『生かす』ことを目的として設計されていませんか?」


その、あまりにも核心を突いた問いに、匠は驚いて目を見開いた。


「……どうして、そう思うんですか」

「簡単です」


静流は、きっぱりと言った。


「武装です。昨夜の映像を、装備庁の専門家たちと、徹夜で分析しました。あの機体は、濁流をせき止め、岩を固定し、車の屋根を切り開いた。しかし、そのどれもが、本来の兵器としての用法ではない。むしろ、兵器が持つ『破壊』という機能を、意図的に『構築』や『無力化』へと転用しているように見えました。特に、あの屋根を切断した技術……あれは、おそらく高圧ウォータージェットでしょう。使い方を間違えれば、人体など容易く両断できる。しかし、あなたは、それを、人を救うためのメスとして使った」


彼女の言葉は、匠の意図を、完璧に言い当てていた。


「……その通りです」


匠は、観念して頷いた。


「v0.9は、兵器じゃない。人を護るための、現代の鎧です。俺は、祖父からそう教わってきました」


その言葉を聞いた静流の瞳が、一瞬、悲しい色を帯びたのを、匠は見逃さなかった。


「……素晴らしい思想です。本当に、心からそう思います」


彼女は、そう前置きをしてから、本題を切り出した。


「だからこそ、お願いがあります、藤林匠殿。このv0.9の、正式な共同検証試験を、我々自衛隊に許可していただけないでしょうか」


やはり、来たか。

匠は、身構えた。


「……断ります」


彼は、即答した。


「さっきも言ったはずだ。これは兵器じゃない。軍隊の、おもちゃにされるのはごめんだ」


「おもちゃなどと!」


静流の声が、少しだけ、感情的に鋭くなった。


「我々は、本気です! あなたのその思想ごと、この鎧の力を、正しく評価し、そして、正しく運用したいと考えているのです!」


彼女は、身を乗り出した。


「今の自衛隊が、どのような状況に置かれているか、ご存知ですか? 災害派遣では、常に危険と隣り合わせです。救えるはずの命を、二次災害のリスクや、装備の限界で、目の前で失うこともある。国際情勢は、日に日にきな臭くなっている。それでも、我々は、専守防衛の理念を、決して曲げることはできない。我々に必要なのは、強大な火力ではないのです。隊員の命を確実に守り、そして、敵を殺さずに、事態を収束させられる力……つまり、『絶対的な防御力』と、『非致死性の制圧力』です!」


彼女の言葉には、現場の人間だけが持つ、切実な響きがあった。


「v0.9は、その、我々の理想を、具現化したかのような存在です。もし、この技術があれば、我々は、もっと多くの人を、もっと確実に、守ることができるようになる。どうか、あなたのその力を、我々に貸していただけないでしょうか」


静流は、深く、深く頭を下げた。

その真摯な姿に、匠の決意は、大きく揺らいだ。

彼女の言っていることは、正しい。

自分の力が、もっと多くの人を救う可能性があるというのも、事実だろう。


だが、一度、国家という巨大な組織にこれを取り込まれてしまったら、本当に、自分の思想は守られるのだろうか。

いつか、自分の知らないところで、v0.9が、人を傷つけるために使われる日が、来てしまうのではないか。その恐怖が、彼の心を縛り付けていた。


彼が、答えを出せずに黙り込んでいると、工房に、再びMIYABIの澄んだ声が響いた。


『――提案します、匠様』


静流が、驚いて顔を上げる。


『柊一尉の申し出は、v0.9に実装された《礼式ロック》の理念と、矛盾しないものと判断されます』


「……どういうことだ、MIYABI」


『礼式ロックの根幹は、「共同体への誓約」です。すなわち、個人の力を、より大きな共同体の利益のために用いるという意志。柊一尉の言う「もっと多くの人を守る」という目的は、これに合致します』


MIYABIは、淡々と、しかし、極めて論理的に続けた。


『また、共同検証試験は、礼式ロックの精度を向上させるための、絶好の機会です。様々な状況下での、装着者の精神的負荷や、行動パターンをデータ化することで、より強固で、誤作動のない、倫理的なセーフティ機構を構築することが可能となります』


MIYABIの言葉は、匠の心の中の霧を、すっと晴らしていくようだった。


そうだ。


v0.9には、礼式ロックがある。

この鎧の力は、正しい心を持つ者にしか、完全には扱えない。

そして、その「正しさ」を、より確かなものにするために、外部の協力は、むしろ不可欠なのかもしれない。

自分の手を離れることを恐れるのではなく、自分の思想を、より多くの人々と共有し、育てていく。

それこそが、この鎧が進むべき“道”なのではないか。


匠は、大きく、息を吸い込んだ。

そして、覚悟を決めた。


「……分かりました」


静流が、ぱっと顔を上げる。


「共同検証試験、お受けします」


「! ほ、本当ですか!?」


静流の表情が、喜びに輝いた。


「ただし、条件があります」


匠は、人差し指を一本立てた。


「このv0.9の運用に関する最終的な決定権は、全て、俺が持つ。そして、少しでも、俺の思想に反するような使われ方をすると判断した場合は、いつでも、この話は白紙に戻させてもらう。……この条件が飲めるなら」


静流は、一瞬の躊躇もなく、力強く頷いた。


「……承知いたしました。その条件、必ず、上に通してみせます」


そして、彼女は、すっとソファから立ち上がると、匠の前に進み出て、右手を差し出した。


「これから、よろしくお願いいたします。藤林……いいえ、匠“先生”」


その、どこか茶目っ気のある呼び方に、匠は、思わず苦笑した。

彼は、その差し出された手を、力強く握り返した。

彼女の手は、華奢な見た目とは裏腹に、固く、マメだらけの、紛れもない戦士の手だった。


「……こちらこそ、よろしくお願いします。柊一尉」


固い握手が交わされる。


それは、一人の天才的な職人と、一人の誠実な軍人との間に結ばれた、未来への、小さな、しかし、確かな約束だった。




――その頃、工房から遠く離れた、東富士演習場に隣接する、防衛装備庁技術試験センター。


その地下深くにある、無機質な会議室は、重い沈黙に包まれていた。


部屋の中央に浮かぶホログラムディスプレイには、昨夜の災害現場の、不鮮明な映像が、繰り返し再生されている。

それを、白衣を着た、十数名の男女が、腕を組み、険しい表情で睨みつけていた。


彼らは、日本の防衛技術の粋を集めた、この国の、最高の頭脳たちだった。


「……信じられん。あの装甲は、一体何でできているんだ」


一人が、唸るように言った。


「問題は、装甲だけではない」


別の女性研究者が、データを指し示す。


「あの、屋根を切断した、非破壊の切断技術。そして、あの、岩のように固まる、特殊なゲル。……どれも、我々の研究レベルを、遥かに超えている」


「一番の問題は、これだ」


チームリーダーらしき、白髪の初老の男が、映像のある一点を拡大させた。

それは、救助を終えた鎧武者が、闇の中へと、立ち去る場面だった。

その背中が、闇に溶ける、まさにその瞬間。

機体の表面が、ごく、ごく、微かに、陽炎のように、揺らいで見えたのだ。


「……これは……何らかの、エネルギーフィールドか? まさか、結界とでも、言うつもりか……」


会議室は、再び、沈黙に包まれた。

彼らは、最高の頭脳を持つ、科学者集団だ。非科学的なものは、信じない。

だが、目の前に映し出されている、この、圧倒的な現実は、彼らの常識を、あまりにも、無慈悲に、打ち砕いていた。


その時、会議室のドアが、静かに開いた。

入ってきたのは、長官の秘書官だった。


「――皆様。たった今、柊一尉より、連絡が入りました」


彼は、部屋にいる、全ての研究者の顔を、ゆっくりと見渡すと、信じられない、という表情で、告げた。


「……開発者本人より、正式な、共同検証の、許諾が、下りた、と……」


その一言で、会議室の空気が、爆発した。


「……何!?」

「……本当か!」

「……すぐに、準備をしろ! あの、化け物を、丸裸にしてやるぞ!」


さっきまでの、重苦しい沈黙は、どこへやら。


研究者たちの目は、まるで、未知の生物を解剖するのを、待ちきれない、子供のように、ギラギラとした、探究心の炎で、燃え盛っていた。


この瞬間から、サムライ型パワードアーマーの物語は、一個人の工房という閉じた世界を飛び出し、国家と、そして世界と、否応なく関わっていくことになる。

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