第46話 馬岱

馬岱です。


蜀で無茶苦茶好きな奴がいると言いましたが、馬岱です。

御存知でしょうか。


馬岱はなんといっても「馬超の従弟」。これに尽きます。


しかしながら、この人のことは知らん人の方が恐らく多いと思います。


歴史に残る、馬岱が蜀に来た経緯を話しますと、


この人は馬超が亡くなる時に、劉備に対して


【私の一族200人余りはほとんど曹操に殺されてしまいましたが、従弟の馬岱のみが生き残っています。彼を馬氏の祭祀を守らせる者として陛下にお預けします】と言われ、蜀軍に加わる人です。


つまり蜀将として劉備に厚遇された馬超が、自分が死ぬ時に「これからは私の代わりに馬岱を使ってくれ」と劉備に託した人が馬岱なのです。


それ以前に馬岱がどこで何してたのか、記述はなく、この人自体が何か三国志において目覚ましい活躍を重ねた人ではありません。

ある意味馬超が死ぬ時にいきなり出して来たカードであり、


おおなんだなんだお前従弟とかいたんかと一種初めて聞くわ的なニュアンスを感じる人なのです




……。


……。


………。


私は馬岱のここが好きでね……!!


お前今まで何してたんだよ感が!


謎なんすよ!! まあしかし馬超が死に際に「守り人として陛下にお預けする」というくらいなので、戦いの心得もない一般人として暮らしてた従弟をそんな急遽登板させるわけないじゃないですか。

だから要するに、ずっと一緒に戦っていて、実力も分かっていたと思うんですが、

劉備に紹介するのがこの時なんですよ。


みなさんはこのくだり、何を感じます?


何を感じるかは、つまり、馬超がどういう人なのかを分かっていないと、なんも感じることが出来ないわけです。


馬超という人は、涼州勢力を率いて、曹操と何度も戦をしている人です。

元々は馬騰という父親がいて、その人は董卓などとも遣り合っているので、存在感としては「三国の中で第四勢力だが、董卓の時代から絶対的な存在感がある」。これが涼州勢力です。


決して三国に対して北西の辺境の、弱小集団ではないのです。


涼州勢力が武器を持たない牧歌的な人たちであったら、とっくに曹魏は蜀飲み込んでると思います。つまり涼州勢力が手強過ぎたので、曹操は涼州より東で南下し、中原新野、江陵あたりが三国が最短でアクセスする要所になっていたのです。


馬超は最初父親に付き従う形で曹操と戦っていましたが、

そのうちに、袁紹を倒して後顧の憂慮が無くなった曹操が、西の勢力も弱体化させたくて、西を狙って兵を出しますが、その都度涼州勢力は出陣して来て、これを迎え撃ちました。


大地とは偉大なもので、長安方面の曹操から西を攻めようと思ったら、何本か大きな川を越えなければ西へ行けないことになっています。

渡河というのは歩兵中心の時代の軍事行動としては、大変危険を伴うものの一つです。川の状況によっては物も人も流されますし、流されなくても川を渡っている最中は、人間何にも出来なくなりますよね。移動も格段に遅くなります。

そんな川を一生懸命渡ってる時に敵とかに奇襲受けてみてください。何も出来ません。

恐らく西に出陣しようとする曹操を止めようとした人が全員した説得の言葉だと思いますが、つまり曹操は予想通り渡河してる最中に涼州勢力の襲撃を受けて大打撃を受けます。首を取られる寸前まで行ったこともあり、死にかけました。機動力と地の利がある彼らは曹操を苦しめ、決して屈しませんでした。


しかしながら涼州勢力も強くなっていく曹操の前で、恭順、降伏、徹底抗戦と、様々な、自分たちが生きて行く中でどうしたら一番いいのかを考えながら、心境は揺れ動き続けていたようです。


曹操も涼州勢力には手を焼き苦しみましたが、涼州も曹操という人間には常に苦しめられ続けていました。


互いに消耗戦を続けて断続的に戦い過ぎているので、時には政治で解決しようという試みもされましたが、その都度涼州側が跳ね付けたり、曹操側が跳ね付けたりして、上手く行かなかったのです。


曹操が涼州勢力にどんなに苦しめられていたかは伝わったと思いますが、ここでふと考えみて下さい。

郭嘉の進言した北伐を。


【白狼山】の戦いを何故しなければならなかったのか。


分かりますよね!


北に逃れた袁家が以前の勢力など取り戻さなくても、ここまで必死に西を攻めてる時に東の鄴をちょっと襲撃されるだけでも、戻らなければならなくなります。

加えて三国志の腐っても名門の袁家ですよ。威光はずっとあるわけです。

都合よくその威光でを使われて、董卓みたいに諸侯が集まって反董卓連合とか南からも攻め上がられたら三方面から包囲されます。


北に敵勢力がいないこと。


これが後々まで曹操にとって効力を発揮して来ます。


一番最初に郭嘉が命を懸けて、この危険を取り除いてくれていたんだなと理解した時、郭嘉すげぇぇぇ!!!✨✨ありがとう!!! って分かるわけですよ。


話は少し逸れましたが、


とにかく曹操と涼州勢力はこうしてもう三国志とは違う別の物語だろっていうくらい、董卓の時代から、ずっとずっと何度も戦い合って来たもはや宿命の相手なのです。


しかし馬超はこの激しい曹操との戦いの中で、自身は曹操の首をあと一歩で取れるほど追い詰めたりもして輝くような働きをしていますが、父親の馬騰を失い、二人いた弟も一緒に処刑されてしまいます。


先ほども言った通り、涼州の人々が苦しんでいたのは、自分たちが命を脅かされず明日を生きて行くにはどうしたらいいか、という部分です。

彼らは「私はこういう志がある!!」という理想を、自由に追い求められるような状況にはなく、戦いの時も、戦いが無い時も両方あり、入れ替わり立ち代わりしていたので、戦った方がいいのか、東と手を結べば戦は避けられるのか、日々揺れ動いていました。


馬超の父親の馬騰も、非常に悩んでいる様子が史実の動きに伝わって来る人で、ものすご戦う時もあれば、涼州勢力で一丸となる時もあれば、曹操(というより帝)からの話に耳を傾けようとしてる時もあります。


特に曹操にとって南下する赤壁の戦いでは涼州勢力の動きを封じ込むことが何よりも重要だったため、この時期には涼州勢力に対して、かなりいい条件で講和を申し込んでいたのではないかと思われます。

その甲斐あってか、馬騰は一族を率いて鄴に入り、事実上の曹操の人質という形になりました。


この時。


馬超が残っているのですよ……。


ここは色々な想像が成される所です。そもそも何故馬騰がこのタイミングで鄴に行ったのかも、後世の人間如きには正確に分かりません。

なので、当然一族を率いて鄴に行った馬騰に何故馬超が付いて行かなかったのか、それもまた謎なのです。


しかし、涼州は王国ではないのでそれとはちょっと違うのですが、王とか領主が国を留守にする時、跡を継ぐ第一王子とか長男が国や領地を守るのは常識の一つでもあるので、この判断はそういう意味では変ではないのですが、要するに、馬超を自分の跡取りとして信頼していたから「私たちは行くが、お前は残れ。私たちに何かあったらお前が長となって一族と涼州を率いろ」と一番頼りになる息子を馬騰が残したのか、


それとも馬騰はお前も来なさいと言ったが、馬超は「嫌だ俺は行かん。都に行って曹操のツラなど拝んでられるか」と突っぱねたのかは不明ですが、


とにかく馬超は涼州に残ります。


混沌とした涼州情勢は、やはりこの後、赤壁を終えた曹操にどう相対するかで判断が分かれ、内紛状態に突入してしまい、馬超は曹操にどこまでも徹底抗戦を唱えた人なので、そのことで曹操は都にいた事実上の人質、馬超の父親と馬超の弟たちを、馬超が反乱を起こした罪に対しての連座で、処刑したのです。



この時の馬超の気持ちは、突出して複雑なものであったということだけは分かると思いますので、我想像力には自信があるぞよという人は、この時の馬超の気持ち――「父親たちが曹操に処刑された」という知らせを聞いた時の馬超の気持ちをぜひあれこれ考えて見て下さい。



それを正確に捉える術は後世の人間如きには残されていませんが、

父親が処刑されたあと、馬超は激怒してもう止まらなくなります。

曹操が送り込んで来る奴はことごとく斬り伏せて、お前が一人で来い曹操が!!!!💢💢と言わんばかりに、ありとあらゆる講和の申し込みを跳ね付けます。武力で鎮圧されそうになると自ら槍持って突撃して行ってそいつらを撃破します。

もう止められません あまりに激怒して覚醒した馬超が強すぎて色んな人がさすがに心配になり、色んな手立てで馬超を落ち着かせ、あわよくば手を組んだり、曹操に帰順させたがったりしますが 全ての差し出された手を、馬超は弾き飛ばしています。



私はこのあたりを見る限り、父親たちの死を、馬超は自分のこととして、すごく責めを負っていたのではないかと思います。



自分が死なせたとすら思っていたからこそ、もう戦うしかなかったのではないでしょうか。

特に馬超が、自分の娘を嫁がせようとして来た人間に対して見せる嫌悪感とかには「今更俺だけ幸せになる気など無い」感が強く現われているように感じるのです



まさに火中の栗のように誰も近づけなくなってしまった馬超は、やがて多くの人間と衝突するようになり、涼州にも居場所がなくなって行き、南に活路を見い出して劉備の下に合流することになります……。



さて。

馬超はつまり十代の頃から父親の下でこういう暮らしをして来て、47歳で劉備の許で亡くなっています。


恐らく、戦ばかりの人生だったのではないか、と言えると思います。


馬超が少し安心し人並みに落ち着けたのは、幼少期の少しの間か、蜀に来て位が上がってから、少しだけ居場所がそこに出来てから、少しずつ自分も老いて来たと感じられてからじゃないのかなあ……って思います。


私が思うことは、馬超にはすごく戦う才があって、強すぎたのですよ。

馬超が並の人間だったら、どこかで戦う意志や力が無くなって、誰かに屈服していたはずなのです。そして他人との協調の道を自然と探さざるを得なくなったはずです。


馬超は強すぎて、敵と相対した時に、どうしても勝ってしまう。


敵を差し向けられた時に、撃退出来てしまった強さこそ、彼をでは次の戦い次の戦いと戦いに向かわせる理由になってしまったのかなと思うのです。



血みどろの戦ばかりの人生で、

強すぎるからこそ背負い込む悲劇性。



お察しの通り強い男大好きな私はつまり、馬超が好きなのです。



さて。話はずれたように見えますが、実は全くズレていません。

要点を覚えていらっしゃるでしょうか。


そう、馬岱です。


従兄の馬超の人生はザッと説明しました。



……では、従弟の馬岱は一体、馬超の人生のどこに関わっていた人なのでしょうか?



この記録は残っていません。現時点では。

だから謎なのです。

戦ばかりの人生だった馬超が47歳で病死する時に


【私の一族200人余りはほとんど曹操に殺されてしまいましたが、従弟の馬岱のみが生き残っています。彼を馬氏の祭祀を守らせる者として陛下にお預けします】と言うのです。


この馬超の言葉に、みなさんは何を感じられますか?


私は、二つの物を強く感じ取ります。


一つは自分を厚遇してくれた劉備への感謝。


もう一つが【馬岱】という人への信頼と愛情なのです。


自分の代わりにこれからは劉備殿に仕えろ、と言ってるわけですが、同時にたった一人になる馬岱をきちんと、劉備に預けて、「おねがいします」と託しているような気がするから。


「陛下にお預けします」そして「馬氏の祭祀を守らせる者として」というここから、本当に馬岱が馬超にとって、最後の最後に残された宝物だったんだなというのを私は感じるわけです。


そしてそれほどに大切に想って、もし馬岱が馬超の側にそんなにいない、現代で言う、お正月に数年に一回会うほどの従弟みたいな関係性だったら、こんなこと言わないですよね。


だって馬岱を全く知らずほぼ無関係に生きて来たとしたら、いきなりこんなこと言われたらもしかしたら馬岱は馬岱でとっくに幸せになってて、戦いにも関わらず、家庭を築いて幸せに暮らしてるかもしれないじゃないですか。


このことから私は、馬岱はずっと馬超の側を離れずに共にいた人なのではないかと想像するのです。


馬超は戦いながらどんどんどんどん孤独になって行った人です。

失い続け、傷だらけになって行った。


ある意味なんで生きていられたのか不思議に思う部分もあって、

涼州に生きた時、曹操の庇護を受けて生きるなら死んだ方がマシだ!!!という感じだった馬超が、蜀の劉備の許に行って、厚遇されて、そのことすらちょっと心配だったのですが、蜀に行くと段々と馬超の心は落ち着いて行きます。


なんでだろうとずーーーーーっと不思議だったわけです。


そんな時に馬超の遺言を知り、【馬岱】という人がいたこと、残されていたことを知ったわけです。



孤独な馬超の心が最後の最後に暗黒一色にならないようにしてたの、きみか……!!!!!!!✨✨とこれは私だけの確信で、他の誰の物でもありませんが、


私はそう思ったわけです。


色んな人が馬超に色んな言葉を掛け、掛けては去って行きました。

戦いばかりの人生で、いい人だったけど死んで行った人たちもたくさんいたと思います。


馬岱が生き残っているという事実も、私には「馬超の側にいて、共に戦って、生き残ってんのもすごい」と解釈出来ます。


だから私は馬岱は、ものすごく馬超を慕って「なんでお前だけ涼州に残ったんだ」と思われる例の父親との決別時にも、じゃあ一族連座で処刑された中に馬岱がいなかったということはこの人は恐らく馬超の方に残ってたんだなと察することが出来、ずっとずっと側にいたんだと思うのです。


どんどん大切な人が死んで行く。


馬超は妻子も、涼州内紛の最中で、敵方に殺されて晒されています。


みんな奪われて行ってる。


馬岱だけが本当に残っているのです。


残っているし、生き残っているのです。


分かりますかこの違い。


自分の意志でそこに残っても、馬超の戦いについていけず死んでる人とかもいる。

馬超の側に居続けることがどれだけ困難な事か私は想像するので、




だから作中で「こいつが涼州最強」という言葉を馬岱に対して使ったのです。


あの言葉は「もしかしたらこいつが涼州最強なんじゃないか」と私が実際言ったことがあるからなのです🤗✨




記録には残っていませんよ。


記録に残っている歴史しか認めない人なんか、馬岱の存在すら認識しようとしないでしょう。「大した戦功立ててない。単なる馬超の従弟だろ」そんな風に思って終わりでしょう。

馬岱を活躍させたら「ほとんど創作キャラだ」などと思うに違いません。



私はそれは違うと思うのです。



馬超は、書き手の私からすると、胸が痛くなるほど孤独過ぎてつい、「誰かにこの人の側に居て欲しい……」と思ってしまうような人なのです。強すぎるので余計。


だから確かに創作として、創作キャラを側において、いかにも支えたくなる人なのですよ。


ところが!! 創作ではないのです!!


実際に【馬岱】はいるのです!!


そう考えるとものすごくないですか!? 馬岱の存在感!!!


いたんですよ本当に彼は!!✨✨




えー 長くなりましたが、だから私は馬岱が死ぬほどある日大好きになりました。

上記に記述した流れを全て把握し、想像して、自分なりの結論に至った結果



「大好き🥰」



と分析結果が出て、馬岱大好きに人間になったわけです。

ほとんどの人はそこまで馬岱のことを考えていません。いや。捉えきれていないというべきでしょう。



ですが私は馬岱を完全に捉えました。


辛うじて馬岱を知ってる人に聞くと「ああ。魏延を斬った人ね」と言われます。


私にとって馬岱という存在を紐解く時に重要なのはこいつが魏延を斬ったか斬ってないかではありません。馬岱が斬ってなかったらあんなもん誰か別の人が斬ってます。


そんなことよりも馬岱にとって重要な情報は「馬超の側で生き延びて来ている」という部分なのです。



こんな芸当出来る奴恐らく三国にも何人もいません。



馬岱はそんなに活躍していないと言われます。

しかし、ある意味馬超の側に居続けた人というからには、馬超の経歴こそ、馬岱は共有しているのです。


「馬超は三国志において活躍していない」


などと言う人は、一人もいないと思うのですよ。

だったら、その馬超が「価値がある」と言った人は、価値があるのです。


私の中では馬岱の経歴は、馬超に寄り添って、共に重ねて来たものです。

だから無茶苦茶戦功があると思っています。

そして、馬岱がそんな記録に残っていない事実こそ、「俺は戦功とかはいらない。ずっと兄貴の側にいられればいいんだ」的な、馬岱のそういう人柄を伝えて来るのですよね。


馬超は人の目を非常に引く人なので、血縁者はかなり狙われています。


馬超が馬岱と常に行動しながらも、そんなに蜀の人間とかも馬岱を知らなかったのは、もしかしたら馬超が馬岱だけは危険から遠ざけてやりたかったから大っぴらに「従弟」だと言わなかったのかもなあなんて考えたりもします。



馬超の壮絶な人生が分かれば分かるほど、その側で生き抜いて来た馬岱の存在感は私の中で増します。馬超がどんな決断をしても揺るがず側に居て、戦う時も側に居て、必ず生き延びてくれる。



【私の一族200人余りはほとんど曹操に殺されてしまいましたが、従弟の馬岱のみが生き残っています。彼を馬氏の祭祀を守らせる者として陛下にお預けします】



馬超の遺言には、こんな長い間自分に寄り添い続けてくれた【馬岱】という存在に対しての深い感謝と信頼感、そしてどうかこいつをお願いします、と遺していく馬岱を劉備に真摯に託す、従兄としての馬超の心が現われていて、ものすごく胸に響く遺言なのです。




【いつか天下が太平になったら、また四海の士を批評しましょう】という、陸績が龐統に言ってあげた別れの言葉が三国志でも三本指に入るくらい好きな言葉と前に書きましたが、


馬超の遺言も個人的に、同じ領域で大好きなセリフです。




あの馬超を支えてきた人なら、きっと馬岱はどんな時も笑顔を絶やさず、強くて大らかで、どこか人を和ませるようなところも持っているけど意志の強い、そういう人柄だったのではないかと私は推察します。




そんなわけで、多くの人が「誰それ? 創作?」とかましてくるような馬岱ではありますが、私は大好きでたまらんキャラの一人なので、小説や海外ドラマで「馬岱」が出て来ると おおっ!!!✨馬岱がいる!!!✨✨と無茶苦茶テンション爆上がりする人なのでした


よって、【花天月地】では無茶苦茶活躍させたろう!!!!と企んでいます!!!


自分だけの話を書くとこういう時思いっきり好きなキャラを扱えて幸せで楽しゅうてたまらんな!!!🥰




ちなみにそんなあんまり自分の名を残すことに興味ない感じの馬岱君なので、字(あざな)の記録が残ってません!! 誰か残しとけや~~~~!!


ということでうちでは「風雅」君にしてます


馬岱は名前も好きなので、馬岱を邪魔しない字にしたいと思って自然の力を感じる字にしました


そうしたら後日「馬岱」の「岱」の字が特に好きなんだけど……これどういう字なんだろう?と調べたところ、


「岱」というのは山をしめすのですが、特に「泰山」のことを指し、

泰山は中国において道教の五つある聖地の山の一つとされ、本当に古くから信仰を集めた聖なる山であるそうです。


そんな険しく高くない山なのですが、その為どの時代でも参拝者が訪れる、親しみやすい聖地であるそうな。


今も山東省に揺るぎなくある山です。


三国時代から、ずーーーーっと、そこにある。


人間の歴史を見守って来て、様々な時代の人々の足跡を受け止めて来た山。


馬超の側に揺るぎなくいた馬岱に無茶苦茶相応しい名前だなオイ!!!とそれにもまたテンションが爆上がりして、馬岱の名前も大好きなのです



泰山山頂からの風景は、とても美しく、開けていて風光明媚だそうです



全然知らずにつけた「風雅」という字が、泰山山頂のイメージと合っていて、ちょっと嬉しかったです🥰 

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