第4話 非 文明の利器

漢字の世界観だと名前にルビ振りしなきゃならないから


カタカナの世界観ルビ振りしなくていい割合多いからすんごい楽!✨








携帯が無い時代の戦場の色気が溜まんねえんだよな……。


最高 敵側に誰が「着任した」とかも、今じゃメール一本ですぐに分かるけど、そんなもん無くて全部人が逐一調べなければならなかった時代、


「増援として趙雲が来た」


とか軍議で聞いた時の武将たちの反応とかが色気あるんすよ……!✨


うわぁ 厄介な奴来たなーっていう。🥰

やっぱ敵に「厄介な奴が来たな」と思われる人がカッコよくて大変好きです。


甘寧なんかも思われただろうな


私も軍師だったら甘寧の部隊駐留始めたら奇襲だけには気を付けてあとは自分で絶対仕掛けたくないわ なんかしたらもう百倍返しにされそうだしな 飽きてどっか行くまで放っておきたい戦場の甘寧兄貴😇絶対戦いたくねえ✨



やっぱこういう人が調べなきゃならねえ時代は戦も「仕掛ける」「仕掛けられる」一つにしてもいちいち伝わることにタイムラグがあんのが素敵すぎる。

不自由なんだけど最高なんだ


「敵が出撃してこっちへ向かっている」っていう報告に対して、現代よりも移動時間が長いことによって、到着までに時間が要するにかかる。


その間に、考えたり、悩んだり、策を練ったり、対処を考えたりするんだけど、


「敵が来襲するのはもう分かっているが」


っていう状況で考えたり、味方同士で声を掛け合ったりする空気が本当に大好きなんですよ


【ジグラート】で最も機動力あるのが神聖ローマ帝国竜騎兵団なので、ジグラートでもぜひ書きたい「竜騎兵団が出撃してこっちに向かっているそうです!!」っていう緊急情報いただきたい


空を飛ぶ竜騎兵団なんかはその時代からすると信じられない速さで来襲するから、人々にはすんごい怖かったと思うよ~~~~~~✨✨


三国志の時代も砦とか城にまず軍が「着任」して「〇〇の部隊です」という報告がなされるのがとても好き💕


あいつが来たなんて絶望だ……みたいな軍議も大好きですが😊


逆に、夷陵あたりの場合蜀の軍議で「呉軍の総大将は誰だ」と聞かれて「陸伯言です!」と報告を受けた武将たちが「?」「知ってるか?」「聞いたことないぞ……お前知ってる?」などという反応を示したかと思ったら無名の陸遜将軍すげぇ可愛いなオイ!!!!


でも確かにそんな「オイオイ孫呉呂蒙亡き後そんな聞いたこともない奴しか残ってねえのかよ」とか失笑が湧きおこる軍議などになったら、確かに結構油断して出てくる可能性あるよなあって思ったりする。


今ならSNSやネットで一発で顔まで出ちゃうじゃない?


どんな奴かな? って調べたら詳細から顔まで出てきちゃって一般兵でもすぐ分かる。


でもこの時代は本当に、写真だって当然無いから


「敵武将の顔だって分かんねえんだよな」


ってある時改めて思うと大変素敵です


だから分かんないから【鈴の甘寧】とか異名が付くとどんな奴や!?って無茶苦茶自分で想像し、怖いんすよね。


要するに、こういう時代、


「見えない恐怖」との戦いなんですよ。


一般兵なんかは敵の武将の顔なんか知らんから「とにかく強い武将らしい」とか聞くだけでやっぱり怖いし、


聞いて、想像する時代なんですよね。


それがホント素敵なんだよ


周瑜なんか優秀な軍師だけど容姿端麗だったらしいから


「すげぇ軍師なのに容姿端麗ってどーいうことよ!?」


って敵からすると思ったと思うんだけど、実際戦場で周瑜見かけて本当に美形だった時に「噂は本当だったのかあああああ!!💦」っていうあの感じが面白い。


当時の人は出会うたびにこういう「想像と同じだったか違ったかの答え合わせ」をそれぞれしてたんだなあと。


戦況報告とかも、現代なんて部隊が全滅したことは一瞬にして「通信が途絶えた」だけで分かったりする。


だけど三国志のような時代は、戦場で何が起きても、それがすぐに分からない。

確かめない限り分からない恐怖っていうのがあるんですよ。


例えば「甘寧の部隊に何かあった」という予測が、決められた時間内に報告が無いと斥候を出し何かあったか確認をさせます。


そして「敵の奇襲を受けた」とか「埋伏の計を受けて現在すでに交戦中」とか「敗走して詳細は分からない」とか、少しだけ状況が分かる。


でもその間、味方の状況も分からないけど、敵の状況も分からなくなるのがものすごい怖いことだと思うんですよ。


だからこの時代の軍師からすると、一番怖いのって自分が想像しなかった所に予期せぬ敵が出現することだと思うのだ。

そうなると、それまでどんな良い策を用意しても、それが全部使えなくなるかもしれないし、どこから自分の策が有効なのかも分からなくなる。



こういうのを総合すると、


私なんかは当時の「優秀な軍師の資質」って「優れた戦術を思いつく」というより、何か不測の事態が起こった時に狼狽えず、多彩に対処出来る「臨機応変の才」なんじゃないかなーって思ったりします。


優秀な戦術家ほど、策士策に溺れるじゃないけど、自分の策に拘り過ぎて撤退時を見誤ったりするのは確かにありそう。


そういうのも携帯とか当時にあれば「今○○の街道に隠れているんですが敵むっちゃいます!! こわい!!」などと一発で報告できるから、楽ですなあ。現代は。


こういう時代の話書いてると「現代人が『上手く伝えられない』とか言ってんじゃねえよ」って気持ちになりますわ。


うるせぇ昔の時代は伝えたくても物理的に伝えられない状況だっていっぱいあったんだぞ現代人のおめーらボタン一発で相手と繋がって連絡取れるだろ恥ずかしいとか緊張するとかみみっちい理由で連絡とか躊躇ってんじゃねえ!!✨と思うようになりますな😊





昔の時代に「凱旋門」とかが存在する理由凄い分かるよね





戦から帰ってくる人たちを本当に迎えに出て、実際にその姿を見れる尊さって多分情報が不便だから感動も尚更多いんですよ。


「目にする」意味が、現代よりも昔はもっと強かった。


恋人や、子供や、友人や、兄弟が。


戦場から帰って来る「その人」の姿を初めて見れた一番最初の瞬間なんて、そら嬉しくてたまらないよな……。


無事だった!


無事に帰って来てくれた!


ってすごく思うんでしょうね……。


別に戦場帰りだけじゃなく、当時は移動自体不便だったから、数年ぶりに会うとかも特別だったんだろうな……。✨



今なんか「ひゃっほう! 今空港に着いたぜ~ これから帰るわ~」なんて簡単に送れますもんね。



現代人が感動に薄くなったのは間違いなく手に入られられる情報量が多くなり、移動手段が便利になり、「会いたいのに会えない」とか「知りたいのに知れない」とか、そういうのを失った為だと思われます😊✨



だからあれだよな昔の人が 月を見上げて誰かを想うとか 星を見上げて想いをはせるとか、星に願いを込めるとか、ホント理に適ってると思うんですよ。



当時はそれくらい「手がかり」や「報せ」や「明確な相手の状況」とかが分かりにくかったから。


だから現代人よりも昔の人の方が「誰かを想って空を見上げる」とか格段に多かったんだと思います



便利な文明の利器は「考える」「想う」「願う」とかいう行動を衰退させるからな。


私最近あんま考えてないし、

想ってもないし、

願ってもないぞ


という人はちょっと文明の利器にのめり込みすぎているのかもしれん


まあでも世界中の情報をあっという間に得られるなんてのは現代人の特権だから大いに活用して欲しいですよね。

昔の人からすると一番の贅沢ですから。



昔の人だってその時代にこういうのがあればそれは迷いなく使ったでしょうから、


要するに文明の利器は、自分の人生を幸せに、豊かにするために使えばいいわけです








でもそうなんだよなあ……。



携帯があればね……。


携帯があれば「籠城戦」とかでも場合によっては内部から報告が出来る。

陸遜が陸康と別れた盧江戦も、

二年くらいの長期籠城戦だったから、孫策軍に包囲されてても、携帯があれば「私は元気だぞ伯言 心配するな😊」とか陸康パパと連絡取れた 陸遜も「公紀は元気です」と陸績の写真とか送ってあげれた そうしたらとても陸康パパを勇気づけてあげられたはずなのだ


でも当時は携帯がないから、


「孫策軍に包囲されて攻められ続けている」


その文での報告しか来ないって本当にキツイものがあると思う……。


今何をされてどういう状況か、全く分かってあげられないわけですから。


それこそ色んな悪い想像して、怖かったと思うよ……。陸遜も。あと陸績がいたからなあ。陸績は本当に陸康の実子なので、陸績が「父上は大丈夫でしょうか」などと泣いて不安そうだったらやっぱり年長の陸遜は根拠もねえのに「大丈夫ですよ!✨」って笑って支えてあげなきゃならなかったんだと思うのよね……。


自分の不安とか悲しみもあんま出せなかったと思う




今にして思うと、陸遜って本当に「受けて、機を見て反撃する」っていう作戦を非常に得意とした戦術家なんですけど、やっぱ耐えてる時はキツイんですよね。すごい不安があると思うんだけど、でもなんか陸遜って一番最初にそういう大切な人を二年もの籠城戦で失ってるんで、もしかしたら「あの時の辛さに比べたら耐えられる!」って常にその盧江戦の時の辛さや寂しさが一番上にあって、そのことで忍耐力がものすごく備わってたのかもしれない。



夷陵も厳しい戦いだったけど、陸遜は幼い頃に無茶苦茶辛い籠城戦をすでに経験してしまってるってのがキーポイントなのだ



義兄弟の仇を討ちに劉備が我を忘れて怒りで攻勢に出て来た時、

肉親が包囲されて攻撃を受け続けても、助けに行ってあげることも出来ずにその状況に耐えて祈り続けていた陸遜が対峙した相手だったのがなんとも運命めいたものを感じますな……。



戦乱の世ともなると、悲しみや苦しみなんてそこら中にあって、

不幸だったり、大変な経験をしてるとか、

そんなの数多くみんなしてたから、強みにも何にもならなかったんですよね。


みんな何かしら、心に傷は負ってる時代。


そういう中で勝ちを得るとなると、


やっぱり確かに「悲しみに心を囚われず、未来を切り開くんだ!」と無性に明るい闘志で戦える奴が、強かったのかもしれん。



だから甘寧とかが強かったの無茶苦茶分かる。



生きる為に戦ってる奴がやっぱ戦乱の世は一番強い。



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