近況ノートまとめ【花天月地】
七海ポルカ
第1話 花天月地
『三国志』をご存知の方いらっしゃるでしょうか?
知ってる方も、知らない方も両方いらっしゃるでしょうが、
その『三国志』に出て来る【赤壁の戦い】を一度自分で書いてみたいと思って、
書いた作品です。
私は歴史は好きですが、
歴史小説はさして書くのは好きではありません。
あくまで私は、自分で設定を作り、それを使って、自由に話を描くことが好きだからです。
ただ歴史が好きなので、この戦いのことを知った時、情景が頭に浮かんで一度どんな戦いなのか「味わうため」に書いてみたいなと思ったのです。
『三国志』は史実も絡んで魅力的な登場人物がたくさん出て来るのですが、
正直みんな魅力的で誰がどうとかいう風にはなりません。
三国もそれぞれ個性がありますし。
そういう意味ではみんな素敵であるが故に、逆に捉えどころがなくもあるんですが。
……ただ、『三国志』の中、呉という国に、陸伯言という人物がいます。
さらっと書くと彼は呉の命運をかけた戦いで他国からするとあまり聞いたことがないような名でありながら総指揮を取り、それは蜀との戦いだったのですが、大勝利を収めた軍人です。
他国には名はあまり届いてなかったようですが、どうやら若い頃から各地を転戦し、実戦を経験して、そんな派手な戦場ではないですがコツコツと実績を積み、四十歳くらいで孫権の目に留まり、そういうほぼ孫権の命により大きな戦場を任されるという意味ではこの大決戦の時初陣的なニュアンスだったのだと思われます。
現代にもいますよね。
現場歴長くてなかなか出世しないけど、実績は積み、本当の実力を持った人。
多分現代で言うとそういう感じの人だったのではないかと推察するんですが、
ただそんな大器晩成だけだったら私もこんな惹かれません。
簡単に言うと陸遜は元々、呉の宗主となる孫家と敵対していた陸家の人間でした。
陸遜の育ての親的だった陸康という人は、敵対していた頃に孫策と戦っています。
この戦いは籠城戦というか、包囲戦になり、二年もの間陸康は攻撃を受け続け、城が落ちたあと程なく亡くなっています。
この籠城戦の時に、陸康がまだ幼かった陸遜達を故郷に包囲される前に逃がしてくれたおかげで、陸遜はこの戦いで死なず生き延びています。
この戦いは陸家にとって凄まじい犠牲を生むものになりました。
十代だった陸遜が一族を取りまとめなければならないほどであり(つまり家を継ぎ、一族を取りまとめられる成人男子がみんな死んだ)、いわばこの感じだと陸家と孫家は仇敵関係になります。
実のところこの二つの家を争わせた袁術という、私的に三国志随一の愚か者だろと思う奴がいるんですが、こいつの話をすると72時間くらい掛かるのでここでは飛ばします。
つまり、陸遜は育ての親っぽい(親っぽいっていうのは、実の父でもなく、もうちょっと正式には遠い親戚のひとだから。説明長くなる)人を孫家に殺されたにも関わらず、孫家に仕えることを決めた人なのです。
家柄的には陸家はかなりの名門なのですが、最初陸遜が各地の現場にばかり出てたのはもしかしたら元々は孫家と戦った家だったことが少なからず影響してるのかもしれないです。ただ、孫家が本当に陸家を疎んでいたらそもそも現場すら任されなかったと思うので、あくまで陸家が謙虚に「我々は名門ぞ」みたいな顔をせず、他の豪族と同じように一から頑張りますので、よろしくみたいなスタンスを取っていたのではないかと私個人は思ってる。
とにかく陸遜と孫策・そして孫権にはそういう因縁が前提としてあります。
そして孫権にとって国防における大一番である【夷陵の戦い】で陸遜が総指揮官として勝利を収め、この戦いで敗戦した蜀では、蜀の主であり、三国志ではおなじみの劉備が失意の中でこの世を去る結果をもたらしました。
以後陸遜はこの【夷陵の戦い】の勝利が決してフロックではないということを示すように、今度は魏軍が相手の【石亭の戦い】でも大勝利を収めて、この辺りから名実ともに呉の重鎮となって行き、最終的には政治にも関わる最高位【丞相】にまで上り詰めます。
いわばシンデレラボーイのような数奇かつ魅力的な出世をしていき、最後には最高位まで行き着きます。
フィクションならば、もうこれでハッピーエンドでいいでしょう。
最初は孫家と仇敵関係にもあった人が、苦しみを乗り越え最後には呉の重鎮になる。
創作ならここで幸せで終わりです。
しかしながら『三国志』は史実なので、
ここが現実というか、ノンフィクションの圧倒的な破壊力なんですが、
陸遜は最後、呉の主、ずっと一緒に戦って来た孫権との仲が悪化し、その結果苦しみながら死ぬことになります。
仲が悪化した理由は、孫権のたわけが当時は重んじられる規律であった長子継承を軽んじて「長男とかどうでもいい。一番可愛い子に継がせたい」などというジジイの戯言で巻き起こした混乱を陸遜が諫めたことが原因でした。
当時陸遜の位は国政のトップ【丞相】です。諫めて当然だろ孫権この野郎。
これ正直、私なんかここまで国に尽くしてこんな苦しんで死ぬくらいなら、孫権の望み通り諫めたりせず黙ってれば陸遜もう地位も名誉も十分だったんだから、幸せになれたのになあとか思ってしまうほどの最後です。
ただそこはさすがに陸伯言私などとは志が違いますので、
多分彼は、そこで押し黙って自分の地位とかを守るより、
孫呉が変な継承をして、後に遺恨を残し、それによって国が傾いて行かないようにと、未来のことを守りかったから諫めたのだと思うのですよね……。
孫権は陸遜が自分の決定に口を出したのが気に入らず、反逆の意思があるのだろうと文で罵詈雑言を書き散らし、送りまくって陸遜を追い詰めました。
史実では陸遜の死因はこれに憤った「憤死」とされています。
「憤死」。
……これが私は無性に引っかかって。
これ怒りのあまり死んだという意味ではあるんですが、ものすごいアバウトじゃないですか⁉ なんで「病死」じゃないんだよというか まあ怒りのあまり卒中を起こしてみたいなのは現代にもありますけれど、ある意味この言葉には「勝手に死んだんだよ」っていう意味が暗に込められてると思うんですよね。
なんか納得いかんな~。
陸遜なんかほぼ無名で抜擢された大一番で「本当にお前みたいな若輩者で大丈夫なんか」とか味方にまで疑われるような中で大勝利納めた軍人ですよ?
自分の育ての親を殺した孫家に、陸家の為だと割り切って膝をついて仕官が出来た人ですよ?
どんだけ鋼の心臓だと思ってんだ 陸遜をなめるなァ! という心の叫びで怒髪天を衝きまして、これだけ数奇な運命の中で頑張って生きて、最後さえ曖昧にされて、もっと何か陸遜だって言いたいこといっぱいあったはずだ!
こんな孫権側からの都合いい報告書だけじゃなくて、現場で陸遜と共に生きていた人たちは人柄とか、彼という人のことを孫権以上に分かっていてくれたはずだ! と思って、それであまりの悔しさに、「陸遜という人だけは一度書いてみたい!」って心底思い、陸遜中心に物語を書きたくてたまらなくなったのです。
よって、「物語」です。
史実の分析がしたい人は他行ってください。
私は作家の真価は「想像力」だと思っています。
与えられた素材で、想像し、物語を紡ぐ。
私は陸遜の史実をなぞりたいのではなく、
陸遜という人の性格を分析し、特徴を捉え、
それを別次元の領域で彼を主人公として一つの「物語」を作ってみたいのです。
私は想像力一本で勝負しているので、
「私も陸遜が好きで、こんな人ではなかったかと思いこういう話書いてみました」
などというその人自身の想像力で紡いで来た話は陸遜好き仲間として聞きますが、
史実はこうじゃないとかいう意見はいりません。
全く史実関係ないです。
なんなら異世界と思って下さって全然構いません。
なんならそんな死に方を一度目の生でした陸遜が、あまりに哀れよの……ちょっともう一回別の世界で生きてみなさいと神様がチャンスをくれて、転生した世界だとでも思ってください。
三国志っぽい名前はたくさん出てきますが、三国志だと思っていただかなくて結構。
これは陸遜を描くための新しい「物語」です。
そして「創作」です。
ここまで言っておかないと「史実系」はほんとやかましい奴いるんですよ。
こんなじゃないとかすぐ言う奴が。
「こんなじゃない」は歴史の研究者とかに言う言葉だから。
私は歴史好きだけど歴史研究者ではないし歴史の教授で給料もらってるわけでもないからな。
むしろ歴史研究家などに決して一生救えないのが陸遜みたいな史実の人なんですよね。
本当に事実は小説よりも奇なりで本日もバイロン先輩の名言が登場です。
本当に小説なら、陸遜が「丞相」になって孫たちに囲まれて、穏やかに亡くなるのハッピーエンドでいいんですよ。
だけど現実であり、人間であるからこそ、
とんでもないバッドエンドを炸裂させることがあるのです。
私は陸遜の最後ですが、
あくまでも個人的イメージですが、わたしは、「自殺」だったのではないかと思っています。
それも「怒りのあまり」というよりは、孫権から送られてくる詰問の手紙を見て、幼い王子たちが権力闘争に巻き込まれるのを見て、【二宮の変】と呼ばれたこの争いで、孫権のたわけのせいで、瞬く間にこれまで命と魂と、亡くなった人たちの犠牲を重ねて作り上げて来た孫呉が壊れていくのを目の当たりにして、孫権は自分に反対する側の人間を投獄や処刑もしていたので、それを見て陸遜が「ここまでだ」と思ったんだと、そう感じるんですよね。
孫権に言葉が通じないなら、もう「丞相」の自分が自刃して、「命を懸けてもう一度だけ長子継承を大切にしてほしいと願う」だけしか出来ないと思うんですよ。
さっき言った通り、陸遜はすでに軍人としても国政のトップとしても、最高位を極めました。つまり陸康が孫家と敵対して、仇敵関係になった過去をこの頃には乗り越え、ちゃんと孫呉で陸家が再興していたわけです。
当時陸遜は六十代。
当時の寿命からしても、晩年です。
私は「逆らわなかったら穏やかに天寿を全うできる」とさっき書きましたが、
思うのは陸遜的にはもはや穏やかに天寿を全うするかどうかなんてどうでも良かったんだと思います。
すでにこの世の栄華は手にして、多くの仲間がすでに死に、自分はまだ生きている。
陸遜は「まだ自分の命に使い道がある」と思った時、
「嬉しかった」んじゃないかと。
だから私は最後陸遜はきちんと遺書を残し、家の者たちにも「自分が死んだあとは決して孫権様には逆らわぬように。全ての遺恨は私が引き受けて死ぬので、お前たちは陸家の存続のことを考えなさい」みたいに言い聞かせて、全てを整えて、自殺したのではないかと思うのです。
なんというか……彼の生きて来た積み重ねから、そういう選択をする人なんじゃないかなあと思うんですよ。
遺書とかもきちんと誤解を残さないように陸遜なら残したと思うんだよな……。
でも後世に残ったのは「憤死した」だけ。
これ絶対忠臣を追い詰めて自殺させた不名誉から逃れようとして孫権側の連中がそういうことにしておこか! って隠蔽したやろと私の心の名探偵が言うんですがなにぶん証拠がない……。
こんなに隠しカメラが無くて悔しいと思うことはありません。
隠しカメラはありませんが、
私はこの、「想像力」という力で、
歴史に残っていない別の物語を書いてみたいのです。
ちなみに、水掛け論になるのであまり言いたくないのですが、
「歴史」は絶対に正しいものではないです。
ある時物証が発見されて歴史が覆るようなことも起こる通り、
「記録」があると「歴史」に分類され、
その積み重ねが「史実」とされますが。
昔は記録が残っていないことの方がずっとずっと多いのです。
「そういう記録がある」というのは
「記録がある」ことを示しているだけで、
その記録自体が実際のことと正しいことかは確かめようがなかったり、そういう歪みも十分起こり得ることを念頭においてください。
ただ多くの人の証言や物証を集め「〇年に〇〇が起きたことは確か」などということは出来ます。
そういう「あったことは確か」「可能性が極めて高い」と言い切れるものを歴史として私たちが享受して、把握しているのですが、
だからといって詳細は大部分昔の歴史ほど謎ですし、
記録が残っていたとしても改竄も当時は可能です。
もっと言うと
「〇年に死亡」
なんていうのも、王様級になると国事の記録としても残るのでほぼ正しいですが、
戦場で死んだりというのは十分「そういう記録が多いが」の領域で、前後することはあります。
実際三国志も生まれた時もよく分からない謎の奴や
あまつさえ死んだ年も不明な奴とかいっぱい出てきます。
歴史に詳しい方は、
あくまでもそれは自分が見つけ出した知識でもないし、
誰かから聞かせてもらった二次的情報であることは忘れない方がいいと思います。
歴史を知って、自分の知識だと思い込み、それで他人を「正しい歴史はそうじゃない」などと言うのは絶対やめた方がいいです。
ある日それが覆った時、貴方の中には何もなくなる。
ただ私も歴史はとても好きです。
現実にこんなことがあったのか……! すごい! と思うような出来事のことを思うと本当に人間ってすごいなと思ったり、心が浮かれます。
私は歴史の知識を、自分の楽しみの為に集めています。
別に隣の人と私の持ってる歴史の知識が違っても、全く訂正とかする気ないです。
しないでいいのです。
歴史はあくまでも、自分自身を楽しませ、豊かにし、こういう出来事が積み重ねて現代があるのだな、と悠久の歴史の重さを堪能できる、そういうものとして学ぶ価値がある。
私はそう思うので、
この理屈が分かる人に、是非読んでいただきたいです。
分からない人には全く読んで欲しくない、
私が「陸遜」という歴史に確かにいた人の人生の、残された記録を見て、あまりの人生に一体この人の細部の人生はどんなだったのだ 日常どんな人だったんだとか、そういう私の全ての陸遜の詳細な疑問に答えられる人ならば何言ってもいいですが「そんなことは歴史の記録に残っていない」としか答えられない輩は永遠に黙っててください。
ということで、歴史は大好きだけど歴史ものを書くことはそんな興味ない私が、
唯一歴史で一人だけ選んで書くなら誰主人公で書いてみたい? って言われたら食い気味に「陸遜!」って答えたいくらい大好きな陸遜の「物語」になります。
この陸遜系の創作零れ話こそ、サポーター限定の近況ノートにあげたらいいのかもしれないですね。
やっぱり書いてるとあれこれ説明とか思い浮かぶんですが、これ見てもらえば分かるんですが、たまに口出して来る奴と殴り合いの喧嘩になるんですよ……。
向こうは向こうで「我が学んだ知識ではそうではない」で来るし、
こっちはこっちで「黙れ! 書いてない記録=無かった歴史と思うなこの野郎! もっと言うとお前が提示して来る証拠も書かれたものであることは事実と照明されても実際本当にその通りの事象であったかはまた全然別の話や!」と心の弁護士が全然応戦出来るから本当に乱闘になる
ただほんとそこまでしてくる奴はごく少人数です。
ほとんどの方は「物語だよ」って言ったら「歴史を参考にした物語なのね」ってちゃんと分かって下さる人ばかりです。
ただ一度はちょっとこういうの書いておいて、
うるせぇこと言ったら承知しねえぞって注意書きしておいた方がいいんですよ
じゃないと悲しいかな、私が本当に正しい知識を知らずに書いてるなどと思う奴がいるみたいなんですよね。思ったとして、それを訂正する権利がお前にあると何故思えるかが私からするととても不思議なんですが、こいつ分かってねえ教えてやらねえとなみたいに大きなお世話な奴がごく少数ですがいるんですよ歴史系って。
他人を訂正してやるとか本来すっごい面倒なことだと思うんですよ。
それを敢えて私が訂正してやらねばって思うということは、
何だかんだ言ってそのことについて知識をひけらかしたい+誰かとその話題について話したい奴なんだと私は分析しますわ。
なんだかんだいって話したいんだろうね。
その中で「わあそんなにいっぱい知識持ってるんだ! すごい!」などと言ってもらえたら尚もいいと思ってるんだろうけどいっぱい知識持ってて凄くてもいいか知識というものは儚いものなんだよ。記憶が失われたらどんなに知識を詰め込んでも無意味になる。知識は本来、人と仲良く知識交換して楽しく交流したりして、人間同士の絆を深めるためにこそ存在してると私は思っているのです。
ものすごく秀才で、知識も持っていた人が、記憶を保てなくなったとき、
誰とも交流出来なくなるのを目にしたことがあります。
その人にとって知識とは、自分を豊かにすることだったのです。
他人にひけらかすものではないという考えは素晴らしいものですが、
その人は知識や趣味で色んな人と交流することもあまりしない人でした。
でも自分が不確かになったとき、知識の意味が失われてしまった。
知識が失われ、自分という器だけが残る。
知識を他人と共有して、親友や家族のように親しくいつも過ごしていれば、
知識や記憶が失われても、そういう人との絆は残ったかもしれないのに。
私はその時に「知識とは、それを役立てて他人とより良い関係を築くために使うべきツールなんだ」と強く思ったのです。
なので知識を誇りたいのなら、尚更他人には優しく、友好的に接しましょう。
決して知識を持つからといって、孤独になったり他人に嫌われるような人間性になってはいけない。
それは知識を持つ意味も暗に失われることなのだと思います。
――と、大体こんな感じですかね。
前置き長くなりましたが、
そういうわけで、
ひたすら陸遜ってどんな人だったのかを私が想像して、一生を書いてみたいというだけのこれは「物語」です。
お察しの通り前後があるのですが、
とりあえずうちの長編軍団の【ジグラート】【アポクリファ】【翡翠】、戦闘描写が無茶苦茶ある戦記ではあるんだけどどうもいまいちまだまだ全然そういうシーンまで書けてないので、戦闘描写企画さんあるとなかなか参加しにくいのが戦記好きとして悲しかったので『赤壁』だけ上げておきたかった。
陸遜は内政のトップにもなりましたが、元々の出発点は軍人ですし、
私は内政にも才能は発揮した人だとは思いますけど、魂は陸遜は軍人だと思うので、
陸遜の小説書くとやっぱり戦闘描写ものすごく大切にしたくなるんですよ。
ホント戦に始まり戦に終わる人生だと思うんだ……。
というわけで、創作に関しては自分の書きたいものに関しては一切他人の言うことなんか全く気にしない私でさえ、史実に噛む小説を書く時はこれだけ一番最初には前置きをしておくわけですから。
皆さんも史実や歴史に関わることで小説書いてる人がいたら、どうか優しく接してあげてくださいね。
そういう人に自分が小説も書いてないのに出会い頭に酷いこという人、わたしはきらいです😊✨
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