Black Choker ー警視庁超能力犯罪捜査課ー
@HumiTorino
プロローグ ファーストコンタクト
問題:自動車と歩行者が事故を起こした。原因は歩行者の飛び出し。この時、自動車の運転手と歩行者のどちらにより大きい過失があると判断されるか?
答え:自動車の運転手
この話を聞いた時、幼心に衝撃を受けた。それまで大人たちは口を揃えて『ルールを守りなさい』と言って、ルールを破るのは悪いことだと繰り返し繰り返し私に教えていたから。だから順番を破ってオモチャをクラスメイトから無理矢理奪ったあの子は先生に叱られた。奪われた子は叱られなかった。それなのに現実では、ルールを破っていない方がより重い責任を課されることがある。なぜなら歩行者は自動車より弱く、守られるべき存在だから。
力を持つということは、その力を行使することに対する責任を同時に持つことになる。もう子供時代も終わる年なのだから、それくらいは知っている。でももしそれが、望まずして生まれつき持っている力だったとしたら? 力に伴う責任を持つ自覚も覚悟もないまま、この世に生まれたのだとしたら?
「うっ……あぁ……」
アスファルトの地面に打ち付ける雨の音に混ざって、男の呻き声が路地裏に響く。乱れた制服の襟とスカートを整えようにも、手が震えていつもの十倍以上の時間が掛かってしまった。路地裏の僅かな傾きに従って排水溝へと流れていく雨水に混じり、指先に生温かい液体が触れる。服を整えた後だらりと脱力させたきりだった腕に力を入れる。指先を視線の先に持ち上げると、夕暮れ時の光に混ざって鉄臭い新鮮な血が手袋に染みついていた。
「いや……いやあああああああああああああ!」
耐えきれずに唇から飛び出した絶叫がコンクリートの壁に反射する。路地裏の外の普段は無関心な雑踏も流石にそれは見過ごせなかったのか、ぞろぞろと人がやって来た。
「お、お嬢ちゃん、一体何が……うわあ⁉」
建物の壁に身を預ける私に、サラリーマン風の男が話しかける。しかしすぐに路地裏の奥に転がったアレを見たのだろう。警察への通報を行う女性の声をかき消すように情けない悲鳴が轟く。
「君、もう大丈夫だよ。ゆっくり落ち着いて、何があったか話してごらん。」
いつの間にか近づいていたサイレンの光が眩しい。制服姿の警察官に肩を叩かれ、ようやく呼吸が整ってくる。状況に反して異様に冷めた頭で私は転がったリュックを引き寄せた。リュックはふわりと宙を舞ってひとりでに動き、私の側へと着地する。その一連の動きに警察官は目を見開いていたが、説明するのも面倒で私はリュックにしまった手帳を取り出した。
赤い表紙に刻まれた『第二級超能力者手帳』の字。これを持っている人間なんて、この辺じゃきっと私くらいだろう。
「私……あそこまでする気、なかったの……」
雨のせいではない、別の熱い液体が視界を滲ませる。堰を切って溢れた涙が雨に流されるのを感じながら、私は救急車に乗り込まされた。そこで緊張の糸が切れてしまったのか、それ以上の記憶はない。
判決:二年間の保護観察及び要監視超能力者リストへの登録。
超能力を使った過剰防衛の罪は重い。特に要監視超能力者リスト入りは未成年として異例とも言えるものだった。『時に人を傷つけ、心身の安全を損なう可能性のある超能力を持つ者は、常に自身の超能力の行使に注意を払い責任を持たなければならない』。その一節で私は家族との生活も、残り少ない高校生活も、看護師になる夢も、全て失った。
何度も訴えた。私の念動力じゃ大人は持ち上げられないって。被害者をコンクリートに叩きつけたのは、強姦への恐怖によって超能力が意図せず暴発したからだと。それでもなお、相手を半身不随にした私への罰は変わらなかった。
生まれついて持っていた超能力で人を傷つけまいと、小さい頃から気を付けていた。放課後の友達との遊びを我慢してでも超能力のコントロールの教室に行ったし、過剰に興奮しないように絶叫アトラクションも諦めた。二つの超能力が宿るこの体は水面が膨らむほど水が入ったグラスのようなものなのだと、繰り返し教えられたから。誰も傷つけたくなかったから。そうやって我慢してきた過去全てが、一切合切否定されたようだった。
世界は徹底的に、多数の安全のために回っている。超能力を持つ少数は、持たない多数のために我慢する。気を付ける。責任を持つ。でもそれはいつ、報われる?
学校に向かう子供たちを窓辺から見下ろし、カーテンを閉める。もうしばらく出ていない外の世界は、嫌に眩しくて完璧に見えた。
「凛、ちょっといい?」
部屋のドアが控えめにノックされる。ドアに鍵がないことは知っているのに毎回そう確認してくるのは、母なりの私への優しさなのだろう。朝食をどうするか母が尋ねに来たのかと思ったけれど、いつもは最低限取り繕われている声の強張りがハッキリと感じ取れた。おまけに耳を澄ませてみれば、微かではあるものの母のものではない足音が後ろから聞こえてくる。
「なに?」
ベッドに腰かけてドア越しに聞き返す。ドアの奥で母が僅かに身じろぎした気がした。
「えっとね、凛に会いたいっていう人が来ているの。」
「誰? いつもの支援団体の人なら嫌。帰ってもらって。」
「違うの。そうじゃなくて……警察の方が来てて。」
警察。その単語に全身の肌が泡立ち、呼吸が浅くなる。体の奥深くの震えを収めるために自分で自分を抱き締めてみたが、それだけでは足りないのか震えは強くなる一方だった。
「あ……会いたくない。」
「で、でもね、凛」
「会いたくないって言ってるでしょ!」
久々の大声にズキズキと痛む喉を押さえ、どうにか生きようと呼吸する。私のことは傷害罪だ何だと言って咎めたくせに男の方は証拠不十分だとかで何もしなかった奴らに、今さら会いたいわけがない。私は罪に問われたのに、あの男は!
「いいからほっといてよ……どうせみんな、私が悪いって言うんだから……」
ベッドに放っていたぬいぐるみを抱き締め、柔らかい綿の中に顔を沈める。涙声が効いたのか、母がそれ以上食い下がる様子はなかった。小さな声で何かを話すのがドアの向こうから聞こえてくるが、今日もいつものように引き下がってくれるだろう。
誰も私を信じてくれないなら、私だって誰も信じない。私が私一人を大事にできるなら、他はどうだっていい。そう自分に言い聞かせてぬいぐるみを強く抱きしめた、その時だった。
「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!」
母の焦った声がくぐもって部屋に響き渡る。中々遠のかない足音に違和感を抱いてはいたものの、足音は逆に私の部屋へと近づいていた。
「いくら何でも強引すぎます! 待ってください!」
聞き慣れた母の声が母でない誰かを止めようとしたのも束の間。母でさえ開けるのを躊躇っていた私の部屋の扉が、勢いよく開け放された。
「なんだ。鍵がかかっていないなら、最初から開ければよかったではありませんか。」
扉が勢い余って壁に激突する音に、思わず私は壁に背がつくまで後ずさる。ベッドの隅に追い詰められた私を置いて、部屋全体を見回していたのはスーツ姿の男の人だった。その人は手探りで照明のスイッチを探し当てると、カチリと音を立ててそれを押す。部屋中に突然満ちた光。反射的に目を閉じて、おそるおそる薄目を開ける。
目の前にあったのは、私の怯えた顔が映る黒い瞳だった。
「なるほど。あなたが本事件の捜査協力者、というわけですね。」
親以外近づいたことのない距離まで迫った仏頂面。丁寧な口調は先ほどドアを乱暴に開けた人間のものとは思えなかったが、同時に人の心などわからないとでも言うような冷たさを持っていた。絶句して何も言えない私をじっと見つめる目が、今まで感じたことのない種類の恐怖で私の胸を切りつけてくる。
「きょ、協力者……? 何の話……?」
凍ったように動かなかった唇をどうにか動かし、なけなしの疑問を口にする。すると目の前の彼はハッとしたように目を見開いて胸ポケットに手を突っ込んだ。
「これは失礼。自己紹介が遅れました。私、警視庁超能力犯罪捜査課の
そう言って彼―神崎さんは警察のエンブレムが入った手帳を私の目の前に広げた。その直後、部屋の外で硬直していた母が神崎さんを私から引き剥がす。それはまるで娘を襲う野犬を引き離すかのような必死さで、かえって驚きや恐怖がどこかへ飛んで行ってしまった。
凛に何をするんですか、とか。それでも警察ですか、とか。母が神崎さんを矢継ぎ早に叱責する声が遠くに聞こえる。
これが神崎為人と、私のファーストコンタクトだった。
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