第5話:ドロスポートの情報屋
翌朝、俺は工房の奥から、一つの箱を取り出した。中には、俺がこれまでに作った、誰にも見せたことのないガジェットがいくつか入っている。情報屋との交渉に、金が通用するとは限らない。価値ある情報か、あるいは、相手が欲しがるような特別な「モノ」が必要になる。
「ジェット、本当に行くの? 『情報屋』なんて、関わったらろくなことにならないって……」
リリィが、不安そうに俺の服の袖を掴む。ドロスポートで「情報屋」と言えば、街のあらゆる秘密を金で売買する、影の存在だ。その正体も、居場所も、確かなことは誰も知らない。ただ、下手に探りを入れた者は、二度と帰ってこなかったという噂だけが囁かれていた。
「大丈夫だ。俺は、情報を買いに行くだけだ」
俺はリリィの頭を撫で、交渉材料として小型の盗聴器と、手のひらサイズのEMPグレネードをポケットにしまい、工房を出た。
情報屋の拠点にたどり着くには、正規のルートは存在しない。ドロスポートの噂の断片を繋ぎ合わせ、自分で道を見つけ出すしかない。
俺は周辺で噂の断片を集めその通りに行動した。
まず、第5区画の酒場「錆びた歯車」へ向かう。カウンターで、ドロスポートで最も不味いと評判の「錆水」を注文する。これが最初の合言葉だ。バーテンは無言で、カウンターの特定の場所を布で三度拭いた。それが次のヒント。「第3廃棄通路の水路」。
入り組んだ路地裏を抜け、目的の地下水路へ入る。湿った空気と、カビの匂い。壁の配管を辿っていくと、一つだけ、蒸気漏れのない、真新しいバルブがあった。俺はそのバルブを回転させた。
すると、足元の床の一部が、音もなくスライドして開いた。下へと続く、暗い階段が現れる。ここが入り口か。俺は覚悟を決め、階段を降りていった。
階段の先は、予想外の空間だった。
薄暗く、汚れた場所を想像していた俺の目の前に広がっていたのは、ドロスポートのどこよりも清潔で、整然とした部屋だった。壁一面に、無数のファイルが収められた棚。そして、部屋の中央には、複数のモニター(俺の工房のオシロスコープとは比べ物にならない高級品)が置かれ、発電機から供給される電力で静かに稼働していた。
「……へえ。あなたが、ジェットね」
声がした方へ振り向くと、そこに立っていたのは、これまた予想外の人物だった。
俺とさほど年の変わらない、一人の少女。ゆったりとしたローブをまとい、その瞳は、全てを見透かすかのように、俺を冷静に観察していた。
「あんたが、情報屋か」
「『情報屋』は、私の仕事の一つ、かな。ここでは、エコーと呼んで。で、何の用? 私の時間もタダじゃないんだけど」
彼女――エコーは、にこりともせずに言った。
俺は単刀直入に切り出した。
「『アークィオン』という言葉について、知っていることを全て教えてほしい」
その単語を聞いた瞬間、エコーの表情が初めて、わずかに動いた。
「……アークィオン。随分と古い言葉を引っ張り出してきたわね。その情報を買うのに、あなたは何を払うの?」
「情報だ」
俺は懐から、コアが描いたシンボルのスケッチを取り出した。
「イサルーンの国家機密級の物体が、このシンボル――『アークィオン』を発信し続けている。この情報と、俺が持っている知識で、あんたの情報を買う」
エコーはスケッチを受け取ると、その複雑な図形を指でなぞり、目を細めた。
「……面白い。面白いわ、ジェット。あなた、とんでもないお宝を拾ったみたいね。いいわ、取引成立。その心意気を買って、今回はサービスしてあげる」
彼女はそう言うと、ファイル棚から一冊の古いファイルを取り出してきた。
「アークィオン。あなたが辞書で調べた通り、イサルーンの建国神話に出てくる伝説の橋の名前。神々が、まだ大地にあった人々のために架けた、天と地を繋ぐ道……と、ここまでは表向きの話」
エコーは、ファイルの特定のページを開いて、俺に見せた。そこには、一部が黒く塗りつぶされた、古い公文書のコピーがあった。
「ここからが、私の情報。イサルーンの中央管理局の記録……その抹消されたデータの中に、『プロジェクト・アークィオン』という計画が存在した痕跡がある。それは、イサルーンが魔法で浮上するよりも前、遥か昔の、超大規模な技術計画。何らかの理由で計画は失敗、あるいは破棄され、その存在自体が歴史から抹消された」
「……技術計画?」
「そう。魔法じゃない、あなたの得意分野である『技術』の計画よ。目的も、内容も、失敗した理由も、今となっては誰にも分からない。けど、その計画の遺物が、今あなたの手の中にある、ってわけ」
エコーはファイルを閉じ、悪戯っぽく笑った。
「どう? 満足した?」
「……ああ。十分だ」
俺は礼を言うと、踵を返した。
伝説の橋は、ただのおとぎ話ではなかった。それは、忘れ去られた巨大科学プロジェクトのコードネーム。そして、俺が手に入れたコアは、その計画の鍵を握る遺物。
工房に戻る道すがら、俺の頭は、かつてないほど高速で回転していた。
ただのエネルギー源だと思っていたコアが、全く違う意味を持ち始める。あれは、何かを「繋ぐ」ための装置なのか?
工房に戻ると、解析リグに繋がれたコアが、以前と同じように静かに稼働していた。
今までは、ただ受信するだけだった。だが、もし、こちらから能動的に働きかけることができたら?
俺は、一つの危険な結論にたどり着いた。
「……動かしてみるしか、ないか」
コアが発する信号を受信するのではなく、逆にこちらからエネルギーを送り込み、強制的にシステムを起動させてみる。暴走するかもしれない。工房ごと吹き飛ぶかもしれない。だが、謎を解く鍵は、その先にしかない。
俺は、解析リグの設計図を、もう一度睨みつけた。
「……次は、起動シーケンスの設計だな」
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