第3話:最初の交渉相手

「……なに、これ……」


リリィの驚きと戸惑いが入り混じった声が、工房に響いた。

俺はスラグ・ダイバーの荷台から、汗だくになりながら100キロはあろう金属塊を降ろし、工房の床に設置した。ガンテツたちとのいざこざで汚れた表面を布で拭うと、黒曜石のような滑らかな地肌が現れる。


「ジェット、これ、危ないものなんじゃ……」

「ああ、多分な」


俺は短く答えると、工具箱からライトとドライバーを取り出した。リリィが心配そうな顔でこちらを見ている。


「だが、とんでもない価値があることも確かだ。これ一つで、俺たちの生活が全部変わるかもしれない」


そう言って、俺は金属塊の調査を始めた。

表面に刻まれた幾何学模様は、魔法陣に似ているようで、どこか違う。回路図に近い、論理的な配列だ。継ぎ目一つない滑らかなボディは、どうやって製造されたのか見当もつかない。中心で青い光を明滅させている石も、魔力をほとんど感じなかった。魔石ではない。だが、微弱なエネルギーを放っているのは確かだ。


「……まるで、超高性能なバッテリーか、データストレージだな」


前世の知識が、目の前の物体の正体を推測させる。だが、この世界の技術レベルを遥かに超えていた。俺の知識と、この工房にあるガラクタ工具だけでは、解析には限界がある。


「リリィ、少し出てくる。戸締りをして、誰が来ても開けるな」

「え、どこへ行くの?」

「情報を買いにだ。こいつの正体を、少しでも知る必要がある」


俺はリリィに留守を頼むと、数枚の紙と木炭を手に取った。金属塊の表面に紙を当て、木炭で擦って幾何学模様を写し取る。さらに、特徴的な部分をスケッチし、青い石の明滅パターンを記憶する。現物を持ち歩くリスクは冒せない。

準備を終えた俺が向かったのは、第3廃棄区画にある、ひときわ大きなガラクタの山。その中腹に、その店はあった。


「ザク爺の店」


店主はザクという名の老人で、ドロスポートで最も知識と経験が豊富なジャンク屋だ。偏屈で強欲だが、その鑑定眼は確かだと評判だった。


店のドアを押すと、カラン、と錆びついたベルが鳴る。店内は、天井から床まで、あらゆる種類のジャンクで埋め尽くされていた。魔法が封じられたアンティーク品、壊れた警備ドローンの残骸、用途不明の機械部品。その全てが、オイルと埃の匂いを放っている。


「……なんだ、ジェットの小僧か。冷やかしなら帰んな」


カウンターの奥、ガラクタの山に埋もれるようにして、店主のザク爺が顔を上げた。鋭い目が、俺を値踏みするように見る。


「鑑定を頼みたい」

「ほう? お前さんが俺に鑑定を頼むなんざ、珍しいこともあるもんだ。よほどの掘り出し物を見つけたようじゃな」


俺は無言で、写し取った模様の紙とスケッチをカウンターに広げた。

ザク爺は、最初は興味なさそうにそれを眺めていたが、模様の複雑さに気づくと、眉をひそめた。そして、単眼鏡(モノクル)を取り出し、食い入るように紙を見つめ始めた。


「……この模様……魔法陣じゃない。かといって、ただの装飾でもねえ。何かの設計図……いや、違うな……」


ぶつぶつと呟きながら、ザク爺の額に汗が滲む。やがて、彼は単眼鏡を外し、ゴクリと喉を鳴らした。


「ジェット、こいつをどこで手に入れた」

「イサルーンから降ってきた」

「……そうか。だろうな」


ザク爺は、まるで恐ろしいものでも見るかのように、俺の顔をじっと見つめた。


「こいつの正体は、わしにもわからん。だが、一つだけ確かなことがある。これは、イサルーンの、それも一般市民が使うような代物じゃねえ。もっと中枢の……国家機密級の技術品だ」


国家機密。その言葉の重みが、ずしりと俺にのしかかる。


「もし、お前さんがこれを売る気なら、この店ごとくれてやってもいい。それほどの価値がある。だが……」


ザク爺は言葉を区切り、声を潜めた。


「同時に、それだけの厄介事を呼び込む。ドロスポート中の悪党が、お前さんの命を狙うだろう。そして、もっと恐ろしいのは、持ち主だ。イサルーンは、これを失くしたまま放っておくはずがねえ。必ず、回収に来る」


ザク爺の言葉は、俺の予想を裏付けるものだった。

俺は紙をまとめ、懐にしまう。


「……情報は聞けた。感謝する」

「おい、待て小僧! 売る気はないのか!?」

「ああ。こいつは、俺が使う」


背後から聞こえるザク爺の声を無視して、俺は店を出た。


夕暮れのドロスポートは、オイルを燃やす匂いが一層濃くなっていた。

とんでもないものを手に入れてしまった。ザク爺の言う通り、このまま工房に置いておくだけでは危険すぎる。ガンテツのような連中が、今度はもっと大人数で襲ってくるかもしれない。イサルーンからの追跡者も、いつ現れるかわからない。


工房に戻ると、リリィが心配そうな顔で迎えてくれた。


「おかえり、ジェット。……どうだった?」

「ああ。こいつは、俺たちの生活を変える。良くも、悪くもな」


俺は工房の真ん中に鎮座する黒い塊を見つめた。

守るだけでは、いずれ全てを奪われる。


「……工房を、作り変える」


俺は壁にかけてあった設計用の黒板を引っ張り出し、チョークを握った。

もっと強固な防衛システム。もっと高性能な分析装置。

そして、この黒い塊――「コア」の力を引き出すための、新しい機械。


俺の頭の中に、次々と青写真が描かれていく。

ドロスポートの片隅で、ジャンク漁りの少年が、世界そのものに挑むための準備を、静かに始めた。

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