プロローグ
鋼鉄の獣と雨の歌
ヘルメットの縁を伝う雨水が、まるで冷たい汗のように首筋を濡らしていた。
叩きつけるような雨音は思考の邪魔をするだけのノイズでしかなく、視界を遮る無数の斜線が、プラントの照明灯に白く浮かび上がっては消えていく。
「監督!4号機、振動がおさまりません!」
耳元の無線機から響く若い部下の声は、ほとんど悲鳴に近かった。
ノイズ混じりのその声が、今の状況の深刻さを何よりも雄弁に物語っている。
清流渚(せいりゅうなぎさ)は、無言でヘルメットの顎紐をきつく締め直した。
足元の水たまりが跳ねるのも構わず、巨大な建屋へと走る。
彼女の職場であり、そして今この瞬間、戦場と化した水道プラントの心臓部だ。
分厚い防音扉を押し開けると、暴力的な轟音が鼓膜を直接殴りつけてきた。
外の豪雨など、可愛らしいBGMに思えるほどの圧倒的な音圧。
その中心で、建屋の中央に鎮座する巨大な送水ポンプ——直径三メートルはあろうかという鋼鉄の塊が、不規則な痙攣を起こしていた。
「グルルルル…ゴゴゴゴゴッ!」
コンクリートの床がビリビリと痺れるように震え、壁に固定された配管が共振して軋む音を立てている。
ポンプに取り付けられた計器類の針は、赤い警告ゾーンを振り切って小刻みに震え続けていた。あれは機械の稼働音ではない。
内部から破壊されていく鋼鉄の悲鳴だ。
「キャビテーションだ…!まずいな…」
渚は吐き捨てるように呟いた。
ポンプ内部で発生した無数の気泡が、内部のインペラを猛烈な勢いで削り取っている。
まるで高速回転するグラインダーを内側から押し当てられているようなものだ。
このままではインペラが破損し、数億円の機械がただの鉄屑と化す。
それだけではない。この先にある数百万人の都市へのライフラインが、完全に断たれる。
「至急停止しろ!5号機に切り替えるぞ!」
渚の怒声が、轟音の隙間を縫って響いた。
数人の部下たちが、蒼白な顔で計器盤に駆け寄る。
その誰もが、目の前の異常な光景に足がすくんでいるのがわかった。渚は一度だけ短く息を吐くと、ヘルメットの位置を僅かに調整した。
(感傷に浸っている暇はない。)
彼女は、目の前の鋼鉄の獣へと意識を集中させた。
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