第10話◆第七章 後編:「記憶が、食い違う。」

疲れた…。今日は早く帰ろう。


数日間の調査で、十分すぎるほどの手がかりは得た。だが、それらをどう繋げたところで、“この世の常識”にはならない。ましてや活字にできるものでもない。


「これは怪異か、妖か、ただの集団妄想か──」取材ノートにそう書きかけて、手を止めた。


駅に向かう途中だった。

電車に乗って東京に戻る、その道すがら。


夕暮れのホームで、反対側のホームをふと見たときだった。



…レイナ?


あまりに自然にそこに立っていて、息が詰まった。

スマホを見ている。髪が風で揺れている。

服の趣味や薄いメイクに違和感があるがあれは、間違いなくレイナだった。


7年前、俺がまだ社会部の駆け出しだった頃。

あの女は、車の中で練炭で死んだと聞かされた。彼女の両親から正式に連絡があった。俺は行けなかったが、通夜も行われた。死因は自殺。理由は不明。ただ、それだけのはずだった。


だが、どう見ても“そこにいる”。


──死んだはずの女が、俺の目の前に、立っている。


電車が滑り込んでくる音で、我に返った。

彼女が乗った車両を、慌てて見送る。

だが目は離せない。


咄嗟に逆方向のホームに走った。

息が切れる。足がもつれる。だが目を逸らせない。俺はあの顔を知っている。

一緒に過ごした時間も、後悔も、全部覚えてる。


どうにか乗り込んだ車両で、辺りを見回す。

──いない。


だが隣の車両に、それらしき姿が見える。

ドアが閉まり、列車が走り出す。

俺はその後ろ姿を、ただ見つめ続けた。


次の駅で降りる。

彼女も降りる。


だが追いつけない。

彼女が、一瞬こちらを見て、薄気味悪く微笑む。その口元だけが、不自然なくらいに歪んでいた。


驚いてフリーズしているうちに、レイナは人混みに紛れ、どんどん遠ざかっていく。ついに、駅の改札の向こうで、完全に見失った。


……幻覚だったのか?


いや、それにしてはあまりにリアルすぎた。

気配も、匂いも、記憶と寸分違わない。


震える手でポケットからタバコを取り出そうとした。その時、メモがはらりとおちる。


「あれは人間ではない。

死んだ誰かの“歯”と共に、今日も歩いている。」


そして思い出す。

火葬職員の男が言っていた。

「名を二度焼く」と。


公安の記録にもあった。

「それは回帰する。歯を持って、別の肉体へ。」


三重の風習も思い出す。

死んだはずの者が戻ってきたとき、

その“口を縫って、埋め直す”という儀式の記録。


きっと、そういうことなんだ。

あれは、レイナの形をした“誰か”だ。

そして別の“誰か”の歯を持っている。


帰りの電車、席に沈み込む。

窓の外の風景が流れていく。

俺の手の中のメモだけが、静かに震えていた。



──これは、怪異ではないか?

──あるいは、何かもっと別の“古くからあるもの”ではないか?


 「誰でもない歯」が、

今日もどこかで誰かの顔をして、生きているのだ。

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