第9話◆第七章 中編:「記録は残されている」

語り手:野村彰彦(記者・40代)


“あの村”を訪ねてから数日、頭の片隅にひっかかった違和感をどうしても振り払えず、俺は取材を続けていた。


例の口縫い儀式──クチトメについて、それらしい風習を記した文献は、正直、ほとんど残っていなかった。だが、民俗学者がまとめた私家本に、一箇所だけ、気になる記述があった。

「三重県○○地方──昭和初期まで、死者の口を縫い留めてから埋葬する風習があった。“帰ってきた者が喋る”と村に災いをもたらすとされ、“死の言葉”を閉じるための儀式だった。」


葬送民俗の本来の意味とは思えない。

この一節は、先日あの村で聞いたことと被る。どこか現代の“何か”と繋がっている気がしてならなかった。


俺は再度地元の寺を訪ねた。住職は以前と違って少しバツが悪そうで様子がおかしかったが、先日見せてもらった資料のほかに何かないかどうしても見せてほしいと説得するうちしぶしぶ蔵へ案内してくれた。

「見せるだけです。私もあなたもここには来なかったことにしてください。」

庫裏(くり)の隅、埃をかぶった資料棚にあった「昭和33年 年間埋葬記録」──その備考欄に、こう書かれた記述を見つけた。


「身元確認困難。口中に異様あり。式次第、口封じ施行」


「“あの墓”は無縁仏にしてある。村の決まりでね。」

住職は、前回会った時と違い多くを語りたがらなかった。聞き出すのは無理だった。目は泳ぎ、おちつきがなかった。

“なにか”あったな。と思うと同時に自分が良くないモノに足を突っ込む…いや、腰までどっぷり浸かった自覚が出てきた。


──行政は思った通り、もっと露骨だった。


県の記録保管室で、1979年の火葬記録を確認した際、本来あるはずの「識別記録票」が欠けていた。同年度の他の記録にはちゃんと保管されているにもかかわらず、だ。

職員に尋ねても、「そのページは破棄されてますね」とだけ。

「なぜこの年度だけですか」と聞いても、

「分かりません」「引き継ぎがないもので」と話をそらされる。


──隠されている。


誰が、何を、どこまで。


あるいは、俺がすでに触れてしまったのかもしれない

自宅に戻り、まとめた記録を見直す。

地元紙の縮刷版──1970年代の記事に、こうあった。


【昭和54年11月7日付】

「無縁仏に“二度”の火葬記録」

県の集計と戸籍に矛盾。「前例あり」と担当課談。

「稀にあります」「照合済」と回答。


“前例あり”。


それは「受け入れている」という意味だろうか。

俺の中で、ある確信が芽を出しはじめていた。これはただの事故や行政のミスなんかじゃない。

──これは、“誰か”が繰り返している。

 いや、“何か”が、繰り返させている。


そう気づいてしまった時、ふと頭に浮かんだ。


「これは怪異とか呼ばれるものか?」

「妖怪と呼ばれていた何かが、今も、形を変えて存在してるんじゃないか?」

バカバカしいとは言いきれない。しかし、そう記す勇気は、まだ持てていなかった。だから俺は、資料を閉じ、静かに深呼吸してから、もう一度だけ、あの村の方角を見た。


ピロンとメールがとどく。この事件に興味をもつ記者仲間のひとりだ。

「調べてて気づいたんだ。これ、三重だけの話じゃないよ」

「東北にもあった。“ナオリビト”。死んだはずの人が元通りになって帰ってくる。見た目は同じかと一瞬思うんだ。でも、やっぱり性格や生前の印象が違う。そして決定的なのは歯が別人のものだったって。結局、家族が逃げ出して村ごと消えたって噂もある」

「九州では“ハモドキ”。“歯だけ人間のふりをしているもの”って書き残してた婆さんがいた」

「そして、あんたが言ってた三重のやつ。“クチトジ”。戻ってきた死体の口を縫って埋める風習、あれ、ただの埋葬儀式じゃない。“喋らせないため”だったんだってよ」


「……どの呼び方も違う。でも全部、同じことを言ってる。

**“そいつは、歯だけが別の人間だった”**って」


“まだ、終わらない”という確信がじわじわと湧いてきた。

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