六 鍵の番人

 翌日の早朝。


 ……というか、本当に早いです。寧楽京ならきょうの朝はとても早い。


 とら三刻さんこく(午前三時)に、「第一の太鼓」が二十四回らされます。この太鼓を合図に、宮城や寧楽京ならきょうの門がいっせいに開かれるのです。


 四刻よんこく(午前六時半)には「第二の太鼓」が鳴りひびき、帝や貴族が政治を行う朝堂院ちょうどういんという一番大事な建物の門が開きます。


 上は貴族から下は小役人まで、この「第二の太鼓」が鳴るまでに出勤しゅっきんしていなければ遅刻ちこくあつかいです。朝堂院の門の前でみんながスタンバイしていなければいけません。


 もちろん、彩女あやめたちも「第二の太鼓」でお仕事スタート。


 彩女の服に着替えるのに手間取てまどった瑞穂みずほ如虎にょこ秋虫あきむしは、寝ぼけまなこをこすりつつ、自分が所属しょぞくする部署ぶしょがある建物へとそれぞれ向かいました。


 走っている最中に、天女の羽衣はごろものように美しい領巾ひれ(ショール)をあちこちにひっかけ、(ロングスカート)のすそを木沓きぐつでふんづけ、何度か転びそうになりましたが、瑞穂は何とか時間までに『御門みかどつかさ』の部屋にたどり着くことができました。


 でも、そこで瑞穂が見た光景は、おどろくべきもので……。


「ほ……ほええ⁉ み、みんな死んでる⁉」


 先輩せんぱいらしき彩女たち六人が、バタバタと床にたおれていたのです。みんな、ピクリとも動きません。


 こ、これは……殺人事件発生⁉


「と思ったら、寝ているだけみたいだよ。び、びっくりしたぁ~……」


 先輩たちはつかれているのか、グーグーと寝息ねいきを立てています。


 これ、起こしたほうがいいのかなぁ……。瑞穂がそうなやんでいると、


「ちょっと、そこのモフモフさん。朝っぱらから大声を出さないでくださる?」


「人の姿に化けていても、しょせんケモノはケモノねぇ~。はしたないですわぁ~」


「今日からあやしのケモノと同じ職場なんて……悪夢だわ」


 ヒト族の少女たち三人が、めいめいに口汚くちぎたない言葉をはきながらやって来ました。


 この子たちも、御門の司に配属はいぞくされた新人彩女のようです。全員、おじょうさまっぽい言葉づかいなので、たぶん都で育った貴族の娘なのでしょう。


「あのね。先輩の彩女さんたちが寝ているみたいなの。どうしたらいいかわからなくて、困っていたの」


 瑞穂がふりむいてそう言うと、同僚の少女たちは「きゃー!」と悲鳴をあげ、部屋のはしらや机などの物陰ものかげかくれました。


「お……お父さまが言っていましたわ! 妖狐ようこの紅いひとみ死人花しびとばな彼岸花ひがんばな)と同じ色だから、人を死にいざなう恐ろしい邪眼じゃがんだって!」


「ちょ、直視ちょくしされたら、のろわれてしまいますわ!」


「こっちを見ないでしゃべってください!」


 自分の瞳の色が不吉だなんて言われたのは、生まれて初めて。


 お気楽な性格の瑞穂も、これにはさすがにきずついてしまいました。


「妖狐の瞳は邪眼なんかじゃ……」


「いやー! 目が合ったー! 死ぬー!」


「し、死なないってばぁ~。わ、わかったよ。なるべく視線をそらしておしゃべりするよ」


 このままでは一向いっこうに話が進まないと思った瑞穂は、そう言いながら、だれもいない壁のほうに目を向けました。


「ふ、ふぅ~。あやうく妖狐にたたり殺されるところでしたわ。……で、先輩がたが寝ているとおっしゃるのでしょう? だったら、わたくしたちも寝ちゃえばよいのではなくって?」


「そうよ、そうよ。早起きして頭がボーっとしているし、寝ましょう」


「仕事を教えてくれる先輩が寝ていたら、何もできないですものね」


 同僚の少女たちはそう言うと、三人そろって柱にもたれかかって座り、スピーと寝てしまいました。


「ほ、ほええ……。わたしはどうしたら……」







 仕方がないので、みんなが起きるまでの間、瑞穂は部屋のお掃除をすることにしました。


 といっても、あまり物のない部屋なので、床ふきぐらいしかすることがありませんが……。


「ここって、どんな仕事をするところなんだろう。『御門の司』という名前だから、宮城の門に関する仕事をする部署なのかなぁ?」


 せっせと床ふきをしながら、瑞穂はそうつぶやきました。お昼近くになってもみんな起きてくれないので、ひとりごとだって言いたくなります。


「うん、そぉ~。この部署は、だいたいそんな感じの仕事だから~」


 おや? 先輩の一人がようやく起きたようです。ものすごく気だるそうな声で、瑞穂のひとりごとに答えてくれました。


「ほ、ほわ⁉ ビックリしたぁ~!」


 おどろいてふりむくと、髪の毛がボサボサの先輩彩女があぐらをかきながらふわぁ~とあくびをしています。


「お~い。みんな~。起きろ~」


 先輩彩女は、仲間の彩女たちの顔やお尻をペシペシとたたきました。


 先輩たちが目覚めたので、瑞穂は同僚の少女たちをあわててり起こしました。


「君たちが新人の彩女だね。今日からよろし……ふわぁ~」


 頭ボサボサの先輩彩女、まだ眠たそうです。


 他の先輩たちもまだ寝ぼけているのか、瑞穂の狐耳に気づいてない様子。「うわ、妖狐⁉ たたられる!」と恐がりません。


「御門の司はねぇ~、宮城のあちこちにある門のかぎ管理かんりする部署なの。宮城の門が開く夜明け前までに鍵を門まで持っていくのがお役目。昼間は男の役人たちが鍵をあずかっていてくれて、夜に門が閉まるとわたしたちに返却へんきゃく……ふわぁ~。ああ、眠たい」


(そっかぁ。夜勤やきん明けだったから、みんな眠たそうなんだ)


 瑞穂は納得しました。


 新人の少女たち三人は「う、うわぁ~。夜中に働くなんて、お肌に悪そぉ~」と小声でささやきあっています。


「いやぁ~。新人ちゃんたちが四人も来てくれてよかったよぉ~。ちょっとでも鍵をとどけるのが遅れると、目下の人間にネチネチ言うことに定評ていひょうのある左大臣さだいじん藤原ふじわらの倉持くらもちさまがあとで怒ってくるからさぁ~」


「本当、本当。わたしらの上司は御門の司の長官だっつーの。なんで大臣が門の開け閉めにいちいちギャーギャー口出ししてくるわけ? 超ありえないわぁ~」


「藤原氏、マジクソだわぁ~。呪いたいわぁ~」


 そーとううらみつらみがたまっているのでしょう。「宮廷を彩る女たち」とは思えないようなやさぐれた発言を先輩たちはしました。


「というわけでさ。わたしら先輩はヘトヘトなの。近ごろみんな熱っぽいし、いま都で流行ってる原因不明の熱病かもぉ~って不安だしさぁ……。だから、今日から数日サボらせてもらうから。君たち新人は、夜中に十二ある宮城の門まで鍵を届けてくれる?」


 頭ボサボサの先輩が、急にそんなことを言い出し、瑞穂たち新人彩女は「え⁉」とおどろきました。すると、他の先輩たちも「よろしくねぇ~」と口々に言います。


「第一の太鼓が鳴りだす三刻さんこく前(一時間半前)には鍵をこの部屋から取り出さないと間に合わないから……勤務きんむ開始はうし二刻にこく(午前一時半)ね。宮城はひろーいから時間がかかるけど、がんばってねぇ~」


 頭ボサボサの先輩は、言いたいことを言うと、「なんか体があつ~い。やる気でなぁ~い」とつぶやきながら宿舎しゅくしゃに帰って行ってしまいました。他の先輩たちも、一緒いっしょにいなくなりました。瑞穂たち新人彩女は、ぼーぜんとするしりかありません。


 どうやら、けっこうブラックな職場に来ちゃったみたいですねぇ……。







 日没後。中年の男の役人が御門の司の部屋まで来て、門の鍵を返却へんきゃくしてくれました。


 部屋にいるのは、右も左もわからない新人彩女の四人だけ……。


「ありえない、ありえないですわぁ~!」


「新人を初日から置き去りにするなんて、ひどすぎます!」


「というか、あの先輩たち、門の場所を教えてくれていません! これでは鍵を届けられませんわ!」


 同僚の少女たちは、激おこぷんぷんのご様子。


 鍵をちゃんと届けないと、左大臣にめちゃくちゃ怒られるという話です。こんなの、絶対に怒られるではありませんか。


「み……みんな、がんばろうよ。門は十二あるんだよね? 四人が手分けして鍵をみっつずつ届けたら、あっという間だよ。たぶん」


 瑞穂がそう言ってはげましましたが、ヒト族の彼女たちは瑞穂をギロッとにらみ、「簡単に言わないでください!」と声をそろえて怒鳴どなりました。


「そんなにがんばりたいなら、あなた一人でがんばればいいではありませんか」


「そうよ、そうよ! わたしたちは宿舎に帰って寝ます! 先輩たちに病気をうつされたのか、何だか熱っぽくなってきたし!」


「わたしも具合ぐあいが悪くなってきましたわ。ここはあやしのケモノに仕事を押しつけて、みなさん帰りましょう」


 うわっ、ひどい!


 ヤケクソになった彼女たちは、瑞穂にすべての責任を押しつけるつもりのようです!


「ええ⁉ わたし一人で⁉ そ、そんなぁ~!」


「そんなもこんなもありません! 鍵はぜんぶあなたにお渡ししますわ。はい、どーぞ!」


「う、うええ。みんな、待ってよぉ~! 帰らないでぇ~!」


 哀れなきつねひめ。同僚の少女たちは、すたこらさっさと逃げていき、とうとう一人ぼっちになってしまいました。


 ――都は、狐も人間もあなたにちやほやしてくれた故郷とは、まったく別世界だから気をつけたほうがいいですニャン。


 昨日の夜に如虎が忠告してくれた言葉が、今さらながらによみがえります。


 人間さんはみんな優しくて親切な人たちばかりだと思っていたのに、こんな意地悪いじわるをされるなんて……とてもショックでした。


「う……うわぁぁぁん‼ びえぇぇぇん‼ 如虎ちゃ~ん、秋虫ちゃ~ん! たすけてぇ~!」


 瑞穂は、たくさんの鍵を両手に持ったまま、わんわんと泣き始めました。

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