二 寧楽京へゴー!

 帝のびっくりな勅命ちょくめいが出たその日の夜のこと。


 左大臣さだいじん倉持くらもちは、一人の年老いた陰陽師おんみょうじを自分の屋敷に呼びつけました。


 その老いた陰陽師とは、数年前に百歳をこえたしわくちゃ顔のおじいさんです。自ら「百歳老師ろうし」と名乗っており、倉持の祖父の代から藤原氏の悪だくみに力を貸していました。


「百歳老師よ、一大事だ! 帝が退魔たいまの力を持った妖狐ようこ妖猫ようびょうを女官として自分のそばに置いたら、困ったことになる! ワシたちの計画が台無しじゃ! 何とかしてくれ!」


「そのことなら心配はいりませんですじゃ。あやししのケモノの小娘を宮廷きゅうてい内に入れたぐらいでは、あの鬼どもをどうにかできるはずがありませぬ」


「……ほ、本当であろうな? 『雲母きららさまを帝の位からひきずりおろし、ワシが帝となる』というワシの計画がパーになったらマジで怒るぞ?」


「ふぉふぉふぉ。大船に乗ったつもりでいてくだされ」


「計画のこまかな内容は、おまえにまかせる。おまえは、これまでも呪術じゅじゅつでワシの邪魔をする者をたくさんやっつけてくれた。これからもワシのことを助けてくれよ」


「ハハッ。……しかし、倉持さま。せっかくご自分のめいっ子を帝にしたのに、たった五年で雲母さまをお捨てになるおつもりなのですかな?」


「フン! あのお子ちゃまめ。ワシがせっかくあやつり人形にしてやろうと思ったのに、大伴おおともの梅酒ばいしゅや他の貴族の意見も公平に聞く頭のいい帝になってしまった。操り人形にできない帝など、ワシはいらん! いっそのこと、ワシが帝になってやる!」


「…………くくく。どこまでもわがままなお人じゃわい」


「ああん? 何か言ったか?」


「いえ、何も」


「とにかく、とうとう藤原氏が天下を取る時が来たのだ。都の鬼さわぎを利用して、ワシが帝の位についてやる。ふふふ……フージワラワラ! フージワラワラ!」







 それからしばらくして――。


「宮廷で働く彩女あやめ、大募集! イケてる女子よつどえ! 今年は妖怪ようかい族も採用します!」


 といった内容が書かれた立てふだが全国の町や村に立てられました。


 彩女とは、帝の身の回りのお世話をする下級女官の呼び名です。「宮廷をいろどる女たち」ということです。


 この立て札は、妖狐族が暮らしている三野みのの国にもいくつか立てられました。


「コンコーン! あこがれの都に行くちょうどいい機会だね! わたし、彩女になっちゃう!」


 とある狐耳の女の子も、立て札を目にして、採用試験を受けるべく都に行くことを決心しました。


 そう。物語のプロローグで登場した、あの妖狐の少女・瑞穂みずほです。あれから五年がたち、十三歳の美しい娘に成長していました。


 瑞穂は旅の支度したくをすると、道々の風景を楽しみながらのんびり歩き、試験当日に寧楽京ならきょう到着とうちゃくしました。


「ここが寧楽京の入り口の羅城門らじょうもんかぁ~。でっかいなぁ~! それに、たくさんの人間さんが門を行ったり来たりしてる。目が回りそぉ~」


 大きな門をぼへぇ~とのんきに見上げていますが、瑞穂はだいじょうぶなのでしょうか。そろそろ試験会場に向かわないと、遅刻しちゃいますよ?


「よぉ~し! 試験、絶対に合格するぞぉ~! そして、都にいるはずのあの子にもう一度会うんだ!」







 それから三十分後――。


「びえぇぇぇん‼ 道がわからないよぉ~‼」


 瑞穂は泣きべそをかいていました。


 ザ☆迷子です!


 瑞穂が今いる道は、(本人は知らないけれど)寧楽京のメインストリート、朱雀すざく大路おおじといいます。たくさんの人が行き来できるように道幅みちはばは大きくつくられているのですが、実はあまり周囲の景色がよく見えません。


 なぜなら、道の左右に高さ六メートルもある築地塀ついじべいがデデーン! とそびえているからです。


 首をグルグル回しても、見えるのは、街路樹がいろじゅとして植えられているやなぎの木か、大きな建造物の青い屋根瓦やねがわらぐらい。どこをどう行けばいいのかわかりません。


「迷子になっちゃったよぉ~。試験会場はどこぉ~?」


 狐耳をペタンとたおし、彼岸花ひがんばなのように真っ赤な瞳からは涙がポロポロ……。


 都ではほとんど見かけない、珍しい妖狐の少女が、えんえん泣いているわけです。道行く人々は、何事かと思って瑞穂をちらちらと見ていました。


 でも、気にしつつもだれも助けてくれないのが、世間の冷たいところ。瑞穂の足元に涙の小さな湖ができても、「どうしたの?」と声をかけてくれる人はいません。


「そこの妖狐さん。どうかしたのですかニャン」


 と、話しかけてくれたのは、同じ妖怪仲間だけでした。


 瑞穂がおどろいてふりむくと、そこにはくりくりおめめの女の子がにゅふふ~んと笑いながら立っていました。


 どうやら、猫の妖怪のようです。猫耳と尻尾は虎柄で、髪の毛も茶と黒がまざっています。髪形は尼さんみたいなおかっぱ頭です。


「ぐすん……。彩女の採用試験を受けにきたのに、迷子になってしまったの」


「にゅふふ。さっきから同じ場所をうろうろしていると思ったら、やっぱり迷子でしたかニャン。上等な(ロングスカート)をはいているし、あなたはきっと世間知らずのおじょうさまですニャンね。ボーっとしたお嬢さまが一人で大都会を歩いていたら、そりゃ迷子になりますニャン」


 猫の少女は、(ニャン語尾であることをのぞいては)とても丁寧ていねいな言葉づかいでそう言いました。ただし、ビミョーに上から目線です。


「ここは都の大通りの朱雀大路ですニャン。このまま北にまっすぐ行けば、帝がいらっしゃる宮城きゅうじょうに着きますニャン」


「え⁉ そうなの⁉ ありがとう、猫さん!」


「おっと、待つですニャン。彩女の試験会場は宮城じゃないですニャン」


 猫の少女がそう言うと、瑞穂は「ほええ⁉」とびっくりしました。


 彩女募集の立て札にはちゃんと試験会場の場所が書かれていたのですが、どうやら瑞穂はちゃんと読んでいなかったようです。たぶん、契約書けいやくしょとかもよく読まずにサインしちゃうタイプなのでしょう。


「ぷぷぷ。妖狐といったら妖怪の王とまで言われているのに、本当はあんまりたいしたことないみたいですニャンね。あたしも彩女の採用試験を受けに行くところでしたから、ついでに連れて行ってあげますニャン」


「あ……ありがとぉ~! 助かるよぉ~! わたしの名前は瑞穂。よろしくね」


「よろしくしないですニャン。あなたみたいなポケポケは試験に絶対に落ちるですニャン。由緒ゆいしょ正しい渡来とらいにゃんであるこの如虎にょこちゃんがお友達にするにはふさわしくないですニャン」


「トライニャン? 何それ? おいしいの?」


「いいから、さっさと行くですニャン。試験に遅刻したら大変ですニャン」


 如虎という名前の猫娘は、瑞穂の手首をざつにつかむと、もくもくと歩きはじめました。


 めざす試験会場は、寧楽京の中にある大きなお寺――猫招提寺にゃんしょうだいじです。

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