第2話 辺境の街と出会い

 神との謁見が終わった瞬間、俺の身体はふわりと光に包まれた。

 次に目を開けた時、俺は石畳の道の上に立っていた。


「ここが……アースガルドか」


 目の前には、木のぬくもりを感じさせる建物が立ち並び、活気のある人々の声が聞こえてくる。革鎧を身につけて剣を腰に下げた男、ローブをまとった魔術師らしき老婆、荷馬車を引く商人。ファンタジー映画で見たような光景が、現実として広がっていた。

 空気が美味い。排気ガスの匂いなんて微塵もせず、代わりに焼きたてのパンの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


(最高だ……。もうあの満員電車に乗ることも、鳴りやまない電話に怯えることもないんだ)


 心の底から湧き上がる解放感に、思わず笑みがこぼれた。

 まずは自分のことを知らなければ始まらない。俺は自分自身に【神眼鑑定】を使ってみた。


【相川徹】

種族:ヒューマン

職業:なし

HP:100/100

MP:500/500

スキル:神眼鑑定、異世界言語

詳細:元社畜。過労死を経て転生した。極度の疲労とストレスから解放されたため、心身ともに健康そのもの。服装と所持金は神様からのサービス。


(なるほど。ちゃんとこちらの言葉も理解できるし、話せるわけか。それに、MPがやけに高いな。鑑定スキルはMPを消費するタイプなのかもしれない)


 ポケットに手を入れると、ずしりと重い袋が入っていた。中には金貨が数十枚。当面の生活には困らなさそうだ。神様のサービスとやらに感謝だな。


「さて、まずはギルドを作るための拠点探しと情報収集だな」


 そう独り言ちて、街を歩き始めた時だった。

 広場の方から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。野次馬たちが集まって、何かを囲んでいる。


「なんだろう?」


 面倒事はごめんだが、情報収集の一環として覗いてみることにした。

 人垣の中心にいたのは、一人の少女だった。

 長く尖った耳、透き通るような白い肌、そして腰まで伸びた美しい銀髪。エルフだ。

 しかし、その美しい姿とは裏腹に、彼女はひどく怯えた様子でうずくまっていた。ボロボロの服をまとい、頬は痩せこけている。

 そして、彼女の前には、いかにも悪人といった風貌の男たちが数人、下品な笑みを浮かべて立っていた。


「おいおい、いつまで黙ってんだよ。この借用書にサインすりゃあ、今日の宿と飯くらいは恵んでやるって言ってんだぜ?」

「ひっく……いや、です……。サイン、したら、わたし……あなたたちの、どれいに……」

「人聞きの悪いこと言うなよ!正当な契約だろ?なぁ?」


 男が持つ羊皮紙に、俺はそっと【神眼鑑定】を向けた。


【奴隷契約書】

品質:粗悪

効果:サインした者を、所有者の完全な奴隷とする。契約内容は所有者に圧倒的に有利であり、一度結ぶと破棄はほぼ不可能。典型的な詐欺契約。


(……やっぱりか。前世にもいたな、こういう弱みに付け込んでくる奴ら)


 会社の新人や取引先を精神的に追い詰めて、無茶な契約を結ばせていた上司の顔が脳裏をよぎる。胸糞が悪い。

 俺は、うずくまるエルフの少女にも鑑定スキルを使った。


【リリア】

種族:エルフ

職業:薬草師(見習い)

状態:衰弱、絶望、極度の飢餓

スキル:精霊魔法(初級)、薬草学(A)

詳細:故郷の森を魔物に焼かれ、一人で生き延びてきた。所持金が尽き、人買いに騙されかけている。心優しく、植物を愛する類稀なる才能を持つが、人間不信に陥っている。


(薬草学A……?これはすごい才能なんじゃないか?)


 俺の鑑定スキルは、その価値を正確に見抜く。Aという評価は、おそらく専門家の中でもトップクラスであることを示しているのだろう。

 こんな才能の塊が、こんなクズどものせいで絶望している。

 見過ごせるはずがなかった。俺が作りたいのは、こういう才能ある人間が、安心して笑って働ける場所なのだから。


「おい」


 俺は人垣をかき分けて、男たちの前に立った。


「あんだぁ、てめぇ?」

「その子、俺が雇うことにした。だから、もう関わらないでくれるか?」

「はぁ!?こいつは俺たちが見つけたんだぞ!」

「そうか。じゃあ、これでどうだ?」


 俺は懐から金貨を一枚取り出し、男の目の前に放り投げた。

 チン、と軽い音を立てて金貨を受け取った男は、目を丸くする。


「き、金貨一枚だと!?おい、お前、何者だ……」

「ただの通りすがりだ。それだけじゃ足りないか?じゃあ……」


 さらにもう一枚、金貨を投げる。

 男たちの目が、明らかに金に眩んでいる。


「……わ、わかった!その子はお前にくれてやる!行くぞ、お前ら!」


 男たちは、俺から金貨をひったくるように奪い取ると、足早に去っていった。

 静まり返った広場に残されたのは、俺と、まだ状況が理解できずに呆然としているエルフの少女だけだった。


「……大丈夫か?」


 俺はできるだけ優しい声で、彼女に手を差し伸べた。


「あ……あの……」


 銀色の髪の隙間から覗く、翡翠のような瞳が、不安げに俺を映していた。

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