第2話 その出会いは突然に
洗礼の儀を終えたところでシスターたちの手によって後片付けがはじまった。
荷物をまとめた革袋を背負うエリンスは居心地も悪く、そそくさと大広間を後にし、そのままサークリア大聖堂を出た。
大聖堂が見晴らしのいい小山の上にあるからだろう。遠くの山々が影となり、その先へ沈む夕日が望めた。
空は既に暗くなりはじめている。
麓に六角形型に広がっている巨大な街並みには、ぽつぽつと
大聖堂よりおよそ三千段にも及ぶ石段を下った先、小山の麓には、ミースクリアという大きな街が広がっている。
東西南北へと広がるメインストリートから、中心地には街で一番大きな建物となる赤レンガ造りの時計塔がそびえ立ち、南へいけば海沿いに港まで備わっている。
洗礼の儀を終えた勇者候補生たちがはじめて立ち寄ることになる勇者旅立ちの地、通称、はじまりの街。
エリンスは先を急ぐため足早に、長い階段を下りはじめた。
◇◆◇
長い階段は上るのも下るのも、それだけで修行の一環のように思えるものだ。
階段を下り切ったエリンスはひと息吐くと、眼前へ広がった光景に目を奪われた。
季節は寒い冬空の下だというのに黒色レンガのメインストリートは人通りで混み合い、ところかしこと歓声を上げて揺れている。
光の
立ち並ぶ屋台や露店の数々には空腹を刺激される香ばしい匂いが漂い、鉄板を跳ねる油の音にジューッと肉の焼ける音まで響く。
路上で飲み明かす大人たちに、祭りの空気を楽しむよう駆ける子供たち。
陽気な様子で歌う人や、踊り出している人々すらいる。
「噂に聞いた通りだ」
思わず漏れたエリンスの声は雑踏に紛れ消えていく。
すぐ横を駆けていく子供たちの笑顔を見ていると、エリンスも自然と頬が緩んだ。
――皆、この日を待ち望んでいたのだろう。
人の出入りも多く活気も満ちるこの時期、街は『ミースクリア勇者祭』と題されて、勇者候補生たちの旅立ちを祝うため一年で最大の賑わいを見せている。
それだけを見ていると、未だ世界に危機が残っていることなど感じさせない、平和そのものだ。
勇者候補生たちの手によってこの平和がいつまでも続くことを信じているのだろう。
だからこそ――だ。
エリンスはひと息吸って首を横へ振ると、賑わう表通りに背を向けた。
――ゆっくりはしていられない。
勇者候補生の旅には期限がある。
ただでさえ最後尾となってしまったのだ、先を急ぐに決まっている。
先に旅立っていった勇者候補生たちの中には、この祭りの空気を楽しむため未だこの地に残っている者もいるだろう。
だが、エリンスはそう悠長に考えていられもしない性分なのだ。
必ず成し遂げたい夢がある――亡くした友との誓いのために。
祭壇に納められた聖杯の前で、ただ大見得を切ったわけではないのだと証明するためにも。
そう意気込んで大通りを進んだエリンスは喧騒から逃れ、薄暗い路地裏の前へと差しかかる。
そうして、あらかじめ考えていた旅のルートを思い返していた。
かつて勇者が巡った五つの軌跡は世界各地に点在し、通称、白の軌跡、黒の軌跡、赤の軌跡、青の軌跡、緑の軌跡と呼ばれている。
五つの軌跡を巡るに当たって、決まったルートというものは存在しない。
しかし、サークリア大聖堂を旅立った勇者候補生たちはまず、ミースクリアの街から北西に向かった先、港町ルースフェル近くに存在する『白の軌跡』を目指すことが勇者協会より義務付けられていた。
ルースフェルまでは、平坦な道を進めば人の足で五日ほど。
エリンスはミースクリアを北へ抜けるため、近道となりそうな人通りのない路地裏を進むことを選んだ。
高い商店の裏に続く道は、表通りの街灯が薄すらと差す程度の明るさしかなく、月明かりが雲に
不安を覚え一瞬足を止めたエリンスだったが、左手にした革袋を背負いなおすと意を決し、路地へと踏み入った。
吹き抜けた夜風の冷たさが意識を叩き起こし、だが、妙な違和感に再び足を止める。
闇の中、エリンスの目前で、黒き光が瞬くように弾けた。
剣を構える暇もなく、ふいに体へ向かって飛び込んでくる衝撃に、手にした革袋が吹き飛んだ。
「くっ」と、受け止めた『何か』の勢いにこらえ切れず、エリンスも尻もちをついてしまって――。
鼻孔をくすぐる微かな甘い香りに、衝撃に閉じた目を開くと、腕の中にある温もりに気が付く。
軽くて、柔らかい。
月明かりにかかった雲が晴れて、エリンスはその正体に目を見開いた。
頭から足元まですっぽりとかぶった紺色の外套がはだけて、外れるフードの下からはさらさらと、紅いリボンで結われたハーフツインテールの金色の髪が流れ落ちる。
「女の子……?」
見た目からして歳は同い年くらいだろう。
整った顔立ちに、きめ細やかな白い肌。
長いまつ毛に、閉じられてもなおわかる大きな目は、まぶたが少し震えている。
外套の下に着込んでいるえんじ色のダッフルコートに、コートの下から見えた高級な生地の使われるフリルのついた白いシャツと、
首から提げているアクセサリーを見ても金細工で縁取られ、高価な印象を覚えた。
弱々しく力が抜けた体は華奢でありながら、女性らしくスタイルもよく。
彼女は、そうして受け止めてしまったことが無礼にも当たる、どこかの国の王女かとも思えるような溢れるほどの気品を持っている。
エリンスは彼女を抱えた体勢のまま動くことができなかった。
「いったい、どうして、それに、どこから……」
思考を繰り返して、しかし、そう弱っているところを見てしまうと、ただ事ではない事情があることもうかがえる。
「お、おい」と声をかけたところで、彼女は「う、うぅ」と乾いた唇から言葉をこぼした。
――息はある。
エリンスが立ち上がろうと膝をつき、右手で彼女を支えながら空いた手で革袋を手繰り寄せたのと同時に、震えるまぶたが開く。
薄く開いた碧眼は、青空のように明るく、大海原のように深く、そうしてのぞき込んだエリンスのことを映していた。
「お、お腹が……空いて、もう、動けない……」
続け様に「ぐぅぅぅ」と盛大に鳴り響いた腹の音に、エリンスはすぐさま返事をした。
「わかった。近くに酒場くらい、あるはずだ!」
エリンスは、迷わなかった。
そのまま肩を貸すように立ち上がると、うなだれる彼女を支えながら路地を後にする。
そうしていても鳴き続ける彼女の腹の虫に、エリンスは表通りに出て真っ先に目についた酒場へと飛び込んだ。
先を急いでいたのだから、無視することもできただろう。
だが、ああして彼女を受け止めてしまった時点で、エリンスの運命は決まっていた。
困っている人を放っておいて、世界を救うことなどできはしない。
たとえそれが、面倒事に巻き込まれることになろうと――それでもエリンスは、彼女を救うと決めたのだ。
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