落ちこぼれ勇者候補生と最強の魔王候補生

第1話 落ちこぼれの勇者候補生

　勇者と魔王の戦いから二百年、世界――リューテモアの在り方は大きく変わった。

　勇者が遺した力は資格ある若者へと受け継がれ、人類史はその力の流れを管理する『勇者協会』の下に、束の間の平和を守っている。

　今や一年に百人以上選ばれる彼らのことを人は皆、『勇者候補生』と呼ぶ。

　彼らに与えられる使命はただひとつ、かつて勇者が魔界へと退けた魔王を、今度こそ討伐すること。

　そのために勇者候補生たちは、受け継いだ力を真（まこと）のモノとするべく、初代勇者が巡った五つの軌跡を辿り、世界を巡る。

　その期限は、たった一年。

　毎年一堂に集められた候補生たちは、世界を救う『勇者』となるべく一斉に旅立っていく――世はまさに、大勇者時代。

　夕暮れを知らせる茜色の空に、急勾配（きゅうこうばい）に続く長い階段の山の上、厳かな空気を守った白石造りの大聖堂。

　勇者協会総本部であるサークリア大聖堂は静けさに包まれる。

　朝からはじまった旅立ちの祭典、『洗礼の儀』は大詰めの段階で、既に百二十一名の勇者候補生たちが旅立った。

　がらんと開ける大広間の参列席にはただひとり、取り残されるよう青年が座っていた。

　耳たぶの辺りまで伸びる茶色がかった黒髪。

　キリッと開くヘーゼル色の瞳に、中性的な顔立ち。

　幼き頃から勇者候補生に憧れて、今年で十七になる。

　そのために鍛えられた体は引き締まっていて、旅をする資格を得るには十分なほど。

　紺色のシャツと太めの黒い長ズボンの上からは軽めの設計がなされた鎧を装備し、腕には銀色のガントレットを、足には動きやすさを重視したグリーブをつけている。

　腰には使い古した剣を携えて、その柄を軽く握った青年は決意を思い返していた。

　勇者候補生となるために。

　そうして最後尾になろうと、『落ちこぼれ』と呼ばれようと。

　青年は、世界に訪れる真の救済を信じていた。

「エリンス・アークイル！」

　祭典の進行役を務めていたシスターの声が大広間へと響く。

　ようやく呼ばれた名に、青年――エリンスは、「はい」と大きな声で返事をした。

　一月一日（いちのつきいちのひ）、勇者協会によって勇者旅立ちの日と定められたこの日、今年は、百二十二名の勇者候補生がこの地へ立つことになった。

　立ち上がるエリンスの瞳は、大聖堂へ差し込む夕日をきらりと反射する。

「前へ」

　濃紺のローブに身を包むシスターに示されて、エリンスは静かに頷いた。

　空いた参列席を通り過ぎ、祭壇に鎮座する二メートルを超える巨大な金色の聖杯へと近づく。

　きれいに磨かれた聖杯の上、波紋が浮き立つ水面では橙色の炎が揺れている。

　炎はまとった白い魔素（マナ）を振り撒き、はらはらと輝いた。

　その光に目を奪われて足を止めるエリンスは、口元をぎゅっと結ぶ。

　大聖堂に輝く七色のステンドグラスは、まるでエリンスの想いを試すように見下ろしている。

「お主は何ゆえ、勇者候補生となった」

　祭壇に備え付けられる教壇を挟んだ向かい側。

　もっさりとした白髭を蓄える司祭、勇者協会最高責任者であるマースレン・ヒーリックは、険しい眼差しを向けてきた。

　七十を過ぎても衰えることのない力強い目元に、絨毯のよう厚く重苦しい豪奢な祭典用のローブを羽織っている。

　五十年ほど前、彼も勇者候補生として名を馳せたと、エリンスも聞いたことがあった。

　エリンスは真っすぐと立ちなおし、視線を向け返す。

　厳格さを伴うような迫力ある灰色の瞳は、まるでエリンスのことを値踏みするかのように細められた。

　朝から繰り返された祭典の最中、もう百二十二度目になる質問だ。

　エリンスが緊張を呑み込むと、渇いた喉がごくりと音を上げる。

　ただ、その質問へ正直にこたえればいい。たったそれだけのことではあったが、しかし、簡単にこたえることができなかった。

　この場に立つにはそれなりの資格がいる。

　王や領主など一定の地位があるものに認められる功績を上げるか、騎士学校や魔法学校で優秀な成績を修めるか。

　エリンスは特別何か功績を残して選ばれたわけでもなかったから。

　しかも、勇者候補生たちを集めて成績をつけたランクの中では、不名誉である最下位を記録してしまった。

　五日前、世界各地より集められた勇者候補生たちは、旅の資格を得る今日まで大聖堂での暮らしの中で厳しい試験と訓練を受けてきた。

　剣術や体術、魔法の適性能力などをたしかめられ、それらを通して勇者の軌跡を巡る旅に必要となる力を判断されたのだ。

　そうして測られた力と功績とを合わせて、毎年、勇者候補生たちには順位がつけられる。

　順位が下だからといって旅をする資格が失われるわけではない。しかし、ランクによって優劣がつくことは必然で、周りの目がそれを物語っていた。

　先ほどのマースレンの眼差しにもそういった意味が含まれる。

　悩んでいても仕方がないだろう。

　エリンスは意を決し、想いのままをこたえることにした。

「俺には、夢がある」

「夢、とな？」

『夢』とひと言語るだけで、幼い頃、横に並んだ友と『それぞれの目標』を語り合ったことが思い出される。

　だが、そうして互いに夢を見た『あいつ』は、不慮の事故で亡くなった。

　過去のことを考えていると、忘れることのできない決意ばかりが強くなる。

『どうして、勇者候補生になったのか』

　他の勇者候補生たちもマースレンにそう問われ、旅立っていった。

　洗礼の儀の最中に聞き続けていたその言葉は、エリンスのことを勇者候補生に推薦してくれた『師匠』の言葉と重なって聞こえていた。

――『エリンス、おまえは、どうして剣を取る』

　それはまだ青年が少年だった頃のこと。

　剣を手にする資格もなかったエリンスに、父の昔馴染みだった師匠は渋々ながらに剣士としての在り方を教えてくれた。

　夕日に重なった師匠の背中にこたえた言葉を、握り込んだ拳の痛みを、エリンスはよく覚えている。

――『もう、何も……なくさないため。護れるモノをちゃんと護りたい。悔しい想いを、したくはないから』

　師匠は振り向きもせず、何もこたえなかった。

　だが、それがこたえなのだと、エリンスはそう受け取った。

　そうして剣へ打ち込んで五年――ようやくここに立つことができたのだ。

　エリンスはひと度まばたきの後、マースレンに向かってこたえる。

「友との夢を、果たすため」

　マースレンは一拍置くように頷く。

「……その夢とは？」

　世界を救うため。

　家族を守るため。

　力を誇示するため。

　名誉のため、富のため。

　この場に立った数多の勇者候補生たちが『夢』を語ってきた。

　皆正直に、想いを胸に旅立っていったのだ。

　その想いこそが、旅をする上で何よりも必要なことなのだと、誰もが知っていたから。

　だから、エリンスも抱えた想いを胸に、正直にこたえた。

「幼馴染だった『あいつ』の想いを継いで、必ず勇者候補生となって、勇者となって、世界に……『真の救済』を」

　エリンスが真っすぐと見つめると、マースレンは感心したように頷く。

「手を」

　エリンスはそうマースレンに示されるまま右手を差し出した。

　巨大な聖杯の上で燃える炎がひと際大きくぼわっと揺れる。

　マースレンがそれを見上げるのに合わせて、エリンスも自然とその視線を目で追った。

　揺れる炎が振り撒く白い粒子が一筋の光の道を作り出し、エリンスの右手の上へと流れ着く。

「認められたようじゃな」

　いったい誰に認められたのか――それは、わからなかったが。

　エリンスが手元へ集まった白い光を力強く握り込むと、体が熱を持ったように温かくなった。

　強く決意した想いを、たしかなものとして――。

　そうしてエリンスは、最下位であろうと、『落ちこぼれ』と呼ばれようと、勇者候補生として正式に旅をする資格を得た。

　しかし――その旅立ちに、思いがけない出会いが待っていることを、このときの彼はまだ知らない。