奇跡と対価


「マイちゃん先輩、貴方、右足に怪我がありますよね?」


 あまりにも躊躇のない問いかけに、真生が目を丸くする。掴んでいた箸の隙間からこぼれ落ちた卵焼きが、弁当箱の中で跳ね返った。卵焼きがころん、と姿勢を崩すよりも先に、隣にいた風雅が掴みかかる。


「おいっ、バカ雷花!! お前デリカシーってもんがないのかよ!?」


「? 捜査に要ります?」


「人間的にはいるだろ……! すみません、マイちゃん先輩! 答えづらかったら無視して貰って良いんで!」


「ああいや、構わないよ。ただちょっと、あまりに直球だったもんでびっくりしてな……」


 慌てて雷花に頭を下げさせる風雅に、真生は困り顔で手を振る。そして、卵焼きを掴み直して口に運ぶと、腰掛けていた位置の隣をとんとんと叩いた。

 海馬高校は海に面した立地のため、海が見える場所が非常に多い。今座っている、外に設置された階段も、向こうに海が見えた。どこに繋がっているのかは分からない階段だが、海が見えるので人気のスポットである。トンビに狙われる可能性さえ加味しなければ、だが。

 促されるままに階段へと座ると、真生が気まずそうに口を開いた。


「中二の冬だったか……学校の帰り道に、暴走族か何かに襲われてな。一命は取り留めたんだが、動けないくらいの重傷を負ってしまって……一時期は、もう自力で歩けないとまで言われたんだ」


「だいぶ重体っすね……」


「ああ。でもリハビリの成果もあって、今は生活に支障がないくらいに回復したんだ。右足はちょっと麻痺が残ってるが……そのうち治るだろうとお医者さんに言われたよ」


「動けないほどの重体が回復ですか……ほう……」


 引っかかるような言い方をする雷花に、風雅は厳しい目線を送る。だが真生はまるで気づいていないようで、もぐもぐと昼食を食べ進めていた。何も知らない、覚えていないような横顔に、雷花は質問を重ねる。


「事件当時のことは、覚えていないんですか?」


「ん〜……それがすっかり忘れてしまってな。全然思い出せないんだ」


「思い出せない……?」


「ああ。お医者さんは、脳震盪とかでそこらの記憶が消えたんだろうと言っていたな。まあ、忘れても困るもんじゃないし、むしろ思い出せなくてホッとしてるんだが」


「……そうですか」


 何かを確信したように、雷花が含みを持たせて頷く。その表情の意味するところは、風雅にも分かっていた。雷花は、真生が忘約者だと思っているのだろう。事件当時の記憶と引き換えに、回復の魔法か何かを手に入れたと。一時期は歩けなくなるだろうとまで言われた重体が、何の奇跡もなく全快するとは到底思えない。裏があるはずだ。

 事件解決のため、そして好奇心を満たすために、雷花はさらに踏み込む。


「マイちゃん先輩、貴方───」


「─────兄貴!」


 またもや、雷花の声を遮るほどの大声が響く。その声の主は真生の背後に陣取り、何かを片手にその顔を覗き込んでいた。真生は顔を上げ、その主を認識する。声の主、瑠璃は手に持っていたパンを真生に差し出すと、どこか険のある声で言った。


「これ、やる」


「ん? 瑠璃か。これは……購買のパン? わざわざ買ってきてくれたのか?」


「おう。好きだろ?」


「確かに好きだが……良いのか? お代払おうか?」


「いい。いらねえ」


 瑠璃はぶっきらぼうに言いながら、雷花と真生の間にぐりぐりと身を捩じ込んでくる。そのまま瑠璃は真生の隣に陣取り、雷花に冷たい目を向けた。睨みつけるような目線に、雷花ははて、と首を傾げる。その目線に嫌な予感を感じ取った風雅は、雷花の首根っこを掴んで慌てて立ち上がった。


「んじゃ、お邪魔しました!」


「ちょっ、風雅くん、まだ話は」


「失礼しまぁす!!」


 空気の読めない雷花を連れ、風雅は急いでその場を後にした。

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