嫉妬の想魔


「こんなところにいましたか。赤井薔薇ローズさん」


「……またアンタたち?」


 斜陽の差し込む体育館、ステージの上。立てかけられた色とりどりのボードの前に、赤井薔薇ローズが立っていた。その手は白組の作った鮮やかなボードに伸びており、瞳はどこか憂いを帯びている。その前髪で輝く青い髪飾りを、雷花はじっと見つめた。睨みつけるような赤井の目線に、梅が怯えて肩を跳ねさせる。それを風雅が庇いつつ、下手なことをするなと言うふうに雷花へ目線を遣った。その視線を受け止めつつ、雷花は続ける。


「白石ユリさんの依頼に関しまして、お聞きしたいことがあるんです」


「……それならもう解決したんでしょ。将吾が私を誘って、それを私が誘ったってことにしただけ。ユリに伝えてきなさいよ」


「おや、もうご存知なんですね。まだ誰にも明かしていないのに」


 目を細めて尋ねる雷花に、赤井は何も言わない。何かを隠していることは明白だ。あと少し、あと少し押せば事実が明らかになる。更に踏み込もうとした雷花に、赤井は刺々しく返した。


「そんなの、風の噂ですぐ聞こえてくるわよ。あんだけ大騒ぎしてたら誰でも分かるわ」


「ならば話が早い。赤井薔薇ローズさん、貴女、なぜ青木将吾さんにあんな提案をしたんですか?」


「……は?」


「自分が誘ったことにして良い。そう言った理由です。青木将吾さんにメリットはあっても、貴女にメリットはないですよね?」


「……それは」


 そう、雷花が気になったのはそこだった。

 青木は、白石と買い出しに出かけたことをデートだと言いふらした。それが黒田に伝わり、何とか誤魔化すために自分をモテ男に仕立て上げることにした。そこにやってきた赤井が「自分が誘ったことにして良い」なんて言って来たら、青木は喜び勇んで飛びつくだろう。彼にとっては思っても見ない幸運だ。だがその幸運を、赤井がもたらす理由が考えつかなかった。

 否、一つだけ思いついた。ただそれが事実ならば、確認せねばならないことがある。雷花は一歩踏み出しつつ、重ねて問うた。


「状況を整理しましょう。まず、青木将吾さんが、白石ユリさんと買い出しに行ったことをデートだと言いふらした。そしてそれは恋人である黒田未来さんに伝わり、大ピンチに陥った」


「……ええ」


「そこで青木将吾さんは、誘ったのは自分でなく白石ユリさんの方だとすることにした。そのために、自身がモテ男である演出をする必要が出てきて……貴女を利用することにした」


「…………ええ」


「しかし、ここで貴女が彼の罪を被る必要性が感じられません。貴女はただ巻き込まれただけの身。彼を庇う理由はどこにもないはずです」


「……それは、アイツが見てられなかったからよ。ちょっとした気まぐれ。それだけ」


 そう言って、赤井が目を逸らす。あからさまに、何かを隠している素振りだった。雷花はまた一歩踏み出し、赤井を見上げる。その前髪には相変わらず、青い髪飾りが輝いていた。その髪飾りは、白い百合の形をしている。

 間違いない。雷花は微かに口角を上げながら、髪飾りを指差して言った。


「その髪飾り、百合の花の形をしていますね?」


「……それが何」


「白石ユリさんが言っていました。貴女から彼女へは薔薇の刺繍が入ったハンカチを、そして彼女から貴女へは百合の花の髪飾りを、それぞれプレゼント交換の形で贈ったと」


「……まさか」


 雷花の言わんとすることに気づいたのか、風雅が驚きながら追いついてくる。そう、そのまさかだ。そのまさかなら、全ての辻褄が合う。赤井が白石を友人でないと言った理由も、赤井が青木を庇った理由も、すべて。

 雷花はメガネの位置を直しつつ、続けた。


「赤井薔薇ローズさん。貴女、本当は白石ユリさんとご友人なのではありませんか?」


「───っ、だから、あんな子は友だちなんかじゃ……ッ!」


「ですが、現に白石ユリさんは貴女からの贈り物を後生大事に持っていますし、貴女も、白石ユリさんからの贈り物を身につけている。その髪飾りが動かぬ証拠ですよ」


「絶交したのよ、ユリとは! でも髪飾りは勿体無いから付けてるの! ただそれだけ!」


「絶交した? それなら白石ユリさんはなぜ、こんな依頼を僕たちに依頼したんでしょうか?」


「知らないわよ、そんなの!!」


 赤井が怒りを露わにし、ステージ下にいる雷花をキッと睨みつけてくる。その額には汗が浮かび、髪飾りの宝玉は怪しげな光を放っていた。間違いない、想魔の結晶だ。彼女が、赤井薔薇ローズこそが忘約者なのだ。廊下に満ちた魔力の正体は彼女であり、この出来事の原因も彼女。だがその動機を、何か大事な記憶を、赤井は忘却している。それを思い出させるのが解決の道だ。

 決意を固めた雷花の後ろで、風雅は信じられないと言った顔で尋ねてきた。


「……まさか、赤井先輩が青木先輩にあんな提案を持ちかけたのは、白石先輩のためだったのか?」


「ええ、そうでしょう。クラス内でも話題になりがちな立場である青木将吾さんが、白石ユリさんとデートしたという根も葉もないことを言いふらした。それにより、白石ユリさんの立場は気付かぬうちに悪化したんです」


「だから、その噂を掻き消すために、敢えて団長の誘いを受けたの……!?」


「人の噂は移ろいやすい。現に三年生の間で、白石ユリさんと青木将吾さんがデートしたなんて噂は囁かれていません。それよりもインパクトが強い赤井薔薇ローズさんの話題で塗り替えられたのでしょう」


「さっきから聞いてれば……っ、そんなの何の根拠もないじゃない! 第一、私があの子のためにそこまでする理由もないわよ!」


 腹の底から叫ぶような怒りが、広い体育館に響き渡る。赤井はまるで修羅のような形相で、三人を睨みつけていた。

 そうだ。何の根拠もない。根拠はまだ、出て来ていない。だが、雷花には分かる。分かってしまう。分かりたくなくとも、理解できてしまうのだ──────ライカには。


「赤井という名字は、清和源氏や宇多源氏、藤原氏や中臣氏が由来とされています。そして……薔薇ローズというのは、昨今問題になっているキラキラネーム」


「それが、何」


「貴女はその名前が嫌いだった。恐らく、周りにも呼ばれたくないほどに。……だから、殆どの三年生は貴女のことを名字で呼んでいた。あかりんも、赤井のもじりでしょう」


「……そうよ。それが何よ」


「ですが白石ユリさんだけは、貴女のことを薔薇ローズさんと呼んでいましたよね?」


 雷花の指摘に、赤井がハッと息を呑む。

 そう。白石だけは、白石だけが赤井のことを名前で呼んでいた。あからさまにキラキラネームで、雷花でさえ言及するのを躊躇う名で呼んでいた。そこに悪意はなく、ただひたすらに親愛だけが滲んでいた。特殊な読み方だとはまるで思っていない顔で、白石は名前を呼んでいた。そしてそれを許したのはきっと、他ならぬ赤井だったのだろう。

 目を見開く赤井を見つめ、雷花は続ける。


「他者に呼ぶのを禁じるほど、貴女は自身の名前を嫌っていた。しかし、白石ユリさんにだけは呼ぶことを許していた。それが、友情や愛情でなければ、他に何があるんですか」


「っ、うるさい! アンタになんか……ッ、アンタに私の気持ちなんて分からないくせに!」


「分かりますよ。僕もそうですから」


「……は?」


 怒りに震えていた赤井の瞳が、困惑で固まる。その反応も無理はない、と雷花は目を伏せた。

 背後、風雅と梅が心配そうにこちらを見つめている。その視線を受けながら、しかし雷花は顔を上げた。大丈夫だ。僕はもう、とっくにそのフェーズを通り越している。

 雷花は高らかに胸を張りながら、堂々と告げた。


「僕は菅野ライカ。ライカはカタカナで書き、かのロシア……旧ソビエト連邦の宇宙実験により、地球軌道を初めて周回した生き物であるライカ犬に由来を持ちます」


「─────っ」


「最も、僕の母親はそこまでの知性を持ち合わせていなかったようで、よく考えずに犬の名前を付けたと言っていましたが」


 胸を抉るような痛みに、しかし雷花は俯かない。確かに自分の名前はライカだ。雷花ではない。それでも自分にとっては、雷花であり続けるのだ。そう思い続けるきっかけは───なんだったか、思い出せないが。

 とにかく、この名前がある限り、ライカは雷花として前を向ける。ありふれた名前の一つとして、紛れることができる。寄り添ってくれるその感じが、一体どれだけの救いとなったか。それはきっと、赤井の救いにも劣らないほどだ。


「ですが今は、雷に花と書いて雷花……そう思うことにしています。可愛くてカッコいい、最高の名前ですから。……貴女が白石ユリさんに薔薇ローズさんと呼ばれることを受け入れたのも、同じような理由でしょう?」


「────……」


 雷花の問いに、赤井はガクンと項垂れる。かと思えば髪飾りの結晶が一段と輝いて、ぶわりと気配を膨れ上がらせた。

 間違いない、想魔だ。想魔が、飛来しようとしている。景色が揺らぎ、怪しげな木々が生い茂った。遠く、遠くに月が浮かび、その下には城が見える。赤井の前髪で揺れる髪飾り、それを掴んで、リンゴみたいな姿の怪物が現れる。腐って溶けたような色合いをしているその姿は、もはや毒リンゴだ。いや、ドレスを付けているのを見るに、もしかして白雪姫か。冷静に分析する雷花の横で、風雅と梅が怯えている。雷花はその二人には目もくれず、赤井をただ見つめた。

 ふらふらとおぼつかない足取りで、赤井がこぼす。


「あの子は……あの子は高嶺の花で……私なんか、全然釣り合わなくて……でも初めて、私の名前を、受け入れてくれた」


「──────」


「嬉しかった。楽しかった。でも、あの子といると、段々苦しくなった。あの子と過ごす時間が長くなるほど、あの子が他の子と過ごすのが耐えられなくなった」


「……だから、白石先輩との記憶を手放したのか」


「忘れられるなら、何でも良かった……私の、この醜い嫉妬が消えるなら、何でも良かったのに……」


 赤井の独白に、雷花は目を伏せる。

 想魔は契約する時、最も鮮烈な記憶を奪う。赤井は何の願いもなく、ただ嫉妬心を忘れようとしたのだろう。だが、奪われたのは白石との記憶。結果的に残されたのは、醜い嫉妬だけだった。だから彼女は、友人でないと言い張りながら、白石を庇い続けたのだろう。

 その事実を咀嚼し、飲み込んで、雷花は思考する。忘れたいと、忘れてしまいたいと、そう思うのは分かる。分かるけれど、


「想魔との契約は、成すべきことを成すためにあるべきです。忘却は、あくまでも対価でしかない」


「──────」


「意思なき忘却は、積み重ねた想い出への冒涜に他ならないんですよ」


 怒りを滲ませて言う雷花に、赤井は何も言わない。ただ、彼女の前髪に張り付いた想魔が腕を振り上げ、その毒リンゴを投げつけようとして────開いた光の網が、想魔を捕まえた。

 結界が解ける。世界が消えていく。全てが解けて、元通りになって、そしてその先で。


「……余計な仕事を増やすなと、この前言ったばかりのはずだが?」


 怒りの形相を浮かべた多治見が、こちらを睨みながら立っていた。



「怒られてしまいました」


「そりゃそうだろ……」


 頬を膨らませて不満げにする雷花に、風雅は呆れた顔で言い返した。

 想魔が暴れ、間一髪で多治見先生に助けられたあと。風雅たちは───特に雷花はこっぴどく叱られ、しばらく活動停止を言い渡された。かなり無茶な橋を渡ったのだから致し方ないことだと思うが、雷花は納得が行っていないようだった。


「僕たちは最善を尽くしたのに……」


「せめて先生を待てば良かったんじゃねえの?」


「まあまあ、良かったじゃない! 赤井先輩も、ユリ先輩と仲直りしたみたいだし!」


 明るく言う梅に、風雅はそれもそうだと納得する。

 あのあと赤井は記憶を取り戻したらしく、慌てて白石に謝りに行っていた。その後もなんやかんやあって、結局二人でペアダンスに出ることにしたらしい。いろいろと揉め事を起こしすぎた青木は、団長を降板させられたそうだ。まあ、自業自得である。

 風雅は机に突っ伏してぶつぶつ言っている雷花の頬を突きつつ、からかうように笑ってみせた。


「ま、大団円には代償が必要ってわけだな」


「納得いきません…………」

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