恋慕の想魔

「あ、風雅じゃ〜ん! やほやほ」


「……相川? お前、なんでそこに」


 真相が分かったという雷花と共に、風雅と梅は相川の教室へとやってきた。放課後の少し時間が過ぎた後ということもあってか、教室には相川一人だった。相川が座っているのは教卓の前、立花の席であり魔力の痕跡があった場所だ。目を丸くする風雅を見つめ返し、相川はあっけらかんと返した。


「ん〜? ここアタシの席だもん」


「立花の席じゃなかったのか?」


「あ〜、テスト返しが終わるまでは出席番号順〜、ってまなっちに言われてさあ。ようやく戻ったとこ」


「その、まなっちについてですが」


「ん〜?」


 のほほんとした顔の相川に、雷花は一歩踏み出して話しかける。これから何を言うのか、風雅にはさっぱり分からない。それが少し恐ろしかった。雷花は割とデリカシーがなく、ズケズケとものを言ってしまうタイプだ。立花の時のような失言をしないと良いのだけど、と風雅はハラハラした心持ちで雷花の言葉を待った。


「あ、ライカじゃ〜ん! ってことはなになに、調査終わったの?」


「あと少しです。なので、質問にお答えください」


「アタシ? いいよいいよ〜、どんとこい!」


「相川零子さん。貴方、眞鍋先生をどう思っていますか?」


 雷花の思わぬ質問に、相川は目を丸くする。その反応も無理はない。風雅も同じ反応をしていた。

 眞鍋先生。数学の担当教諭で、やたらイケメンと持て囃される男。あの口下手のどこが良いのか風雅には分からないが、見目が整っているという点においては反論が思いつかなかった。梅が黄色い声を送っているのは納得がいかないが、致し方ないとも思う。全然、納得はいかないが。

 相川は眞鍋に補習を受けていた。少なくとも眞鍋はそう言っていた。ならば、人と打ち解けるのが容易な相川ならば、何かしら好意的なリアクションが返ってくるはずで、


「まなっち? ん〜……な〜んか、あんま印象ないんだよね。イケメンなのは分かってんだけどさあ、キュンと来ない的な? ガチ恋してた時期もあった気がすんだけど、さっぱり分かんないんだよね〜」


「……そうですか」


 予想外のあやふやな回答に、しかし雷花は分かっていたと言わんばかりに目を細める。

 印象が、ない。そんなことがあるだろうか。相川が、数学の補習を受けていたことは素人目から見ても明らかだ。だから好意的ではないにせよ、何かしらの印象はあるはず。それがない。無い、なんてことがあるのか。あるのだとしたらそれは、印象を忘却していると言った方が正しくて─────、


「────まさか」


「まさか、違うよね……?」


「ええ、そのまさかです」


「ん〜? なになに? さかさま?」


 同時に真相に辿り着いた二人に、雷花が嬉しそうに頷く。ただ一人、相川だけが、訳も分からず楽しそうにしていた。そんな相川を指差して、雷花はハッキリと告げる。


「相川零子さん。貴方の数学のテストの点数が、異様に高かった事件。その犯人は────貴女です」


 まさかと思っていた、犯人の正体を。

 揺るがぬ事実を突きつけられ、相川は動揺する。


「え? ちょ、待ってよライカ、アンタ何言ってんの? アタシが犯人? やだなあ、そんな訳ないじゃん。そんな記憶ないよ? アタシ」


「ええ。貴女の記憶の中ではそうでしょう。しかし、忘約者である貴女の記憶は信用ならない。自分が犯した罪を忘れ、加害者の自覚すらない犯罪者は、想魔の犯罪ではよくある話です」


「ま、待って、想魔? 何それ御伽話? マジ訳分かんないんだけど……」


「でしょうね。では、順を追って説明しましょう」


 雷花は、メガネのフレームを輝かせながらそう告げる。動揺する相川、その右耳では、ピアスのように輝く桃色の想魔の結晶があった。

 犯人が、犯人であることを忘却する。それは、想魔の関わる事件ではよくある話だ。だからこそ忘約者が関わる事件は複雑怪奇かつ難解で、捜査がすぐ暗礁に乗り上げる。故に警察は追いつかず、件数は増えていく一方だった。

 本気で分からないといった顔をしている相川に、雷花は続ける。


「まず、貴女は数学が苦手で、よく補習を受けていた。担当講師は、学年を跨いでイケメンと有名の眞鍋先生。貴女は補習を受けるうちに、眞鍋先生に恋をした」


「リアコ……先生に本気で恋しちゃう子って、結構いるもんね」


「ええ。だから貴女は積極的に補習を受けるようになり、数学の成績が一気に伸びた。春先に、単位取得のための特別講習を受けていたのも功を奏したのでしょう」


「それに関しちゃ、他ならぬ眞鍋先生から聞いてるから間違いねえぜ」


「……は」


 三人によって紡がれる推理に、相川はただ目を見開く。当人にとっては知らない、でも確かにあったはずの記憶。それらをゆっくり想起させていくように、雷花は続ける。


「ですが貴女は、眞鍋先生が既婚者であることに気づいた。だから想魔と契約して、彼を射止める魔法を手に入れようとした」


「だけどその時に、他ならぬ眞鍋先生との記憶を奪われた。相川、お前にとって一番鮮烈だったのは、眞鍋先生に恋してた記憶なんだろ?」


「だから、眞鍋先生への恋心を忘れて、魔法だけが残った。三村くんが零子先輩に告白したのは、零子先輩がそうなるように魔法を掛けたからですよね?」


「貴女は三村つよしくんには気がなかった。ただ魔法の効果を試すためだけに、彼を使ったんでしょう?」


 並べ立てられる推理に、相川は何も言わない。口と目を開いて絶句し、わなわなと震えている。きっと、契約して失った記憶が、少しずつ戻っているのだろう。

 そんな相川にトドメを刺すように、雷花が言った。


「相川は、関東甲信越地方に多く見られる姓で、藤原氏秀郷流や桓武平氏を始めとしているそうですね。語源は合川。二川合流、もしくは神前に奉納する魚を獲る川を指しているとされています」


「……は?」


「そして零子という名前。子は、初志貫徹という願いを含んでいたり、古くは上流階級の方を指していて……零は、ゼロとも読める。数学でもよく使われますね。素敵な名前です」


「─────ッ!」


「眞鍋先生は、そう言ったんじゃありませんか?」


 自信満々に突きつけた雷花に、相川は息を呑む。

 いや、前半の名字の説明は言ってないと思うぞ。なんて野暮なツッコミは飲み込み、風雅はことの成り行きを見守る。想魔に奪われた記憶を取り戻す唯一の方法、それはその失った記憶を本人に喚起させることだ。本人が少しでもその記憶を取り戻そうとしたならば、想魔は必ず現れる。雷花はそんな魂胆で、眞鍋の言いそうなことを言ってみせたのだろう。多分、前半は雷花の趣味だろうが。

 不意に、相川が俯く。かと思えば両手で顔を覆い、ぽつぽつと呟いた。


「……アタシ、零子なんて名前、嫌いだった。子なんて、古臭くておばあちゃんみたいで……麗しいの麗ならまだしも、ゼロの零なんて可愛くないし……」


「美しいと思いますがね……」


「シッ! 余計なこと言うな!」


「でも、まなっちは褒めてくれた。数学でよく使うからって言ってくれた。それが嬉しくて……なのに、なのにまなっち、奥さんいて……」


「な、なに……!?」


 梅が怯えたような声をあげて、背中にくっついてくる。そこでようやく、風雅は辺りの異変に気づいた。

 紫っぽい、桃色っぽい雲がもこもこと立ちこめていく。教室の壁が曖昧でファンシーな色に塗り替えられて、教室であることも認識できなくなった。赤子の部屋に飾ってあるような、手作りのふわふわの月や虹がぶら下がる。そしてその中央、相川の耳に何かがしがみついていた。歪でぐちゃぐちゃで、でも可愛らしい、ハート型の矢と弓を持った怪物─────想魔だ。

 忘約者が記憶を取り戻そうとする時、想魔は必ず現れる。記憶を返したくないからだ。そして現れる時、想魔は結界を張る。これは外界と隔絶されたもので、もしここで死のうものなら遺体は永久に見つからなくなる。ここ最近の行方不明者の七割は、想魔の結界にいるのではないかともっぱらのウワサだ。

 怯える梅を庇いながら、風雅は周囲を見渡す。雷花は平静を保ちながら相川を見つめ、相川は耳にしがみつく想魔に気づかない様子で足をフラフラさせていた。あの見た目だとキューピッドみたいだ、なんて益体のないことを考えながら、風雅は相川を注視した。


「アタシ、バカみたいじゃん。アタシは散々まなっちに振り回されたのに……まなっちが振り向いてくれないんなら、何の意味もない……!」


「おい、どうするつもりだ、雷花……!」


「安心してください。策はあります」


「っ、なんか撃ってくる!」


 梅がそう言ったのと同時、想魔がハート型の矢をつがえる。その矛先は間違いなく、風雅たちを狙っていた。ここから一体、どうすると言うのだろう。雷花の魔法はもちろん、風雅の魔法もあまり戦闘向きではない。梅の魔法は未知数でアテにならないし、しかしこのまま背を向けて逃げても勝機は掴めない。どうする。どうすればいい。

 動揺する風雅と梅の手を握り、雷花が笑う。その目はまだ、生存を諦めたものではなかった。まさか本当に、策があるのか。風雅はそんな淡い期待を抱きながら、今にも矢を放ちそうな想魔を見つめて、


「まなっちが悪いんだよ!? あんな思わせぶりなことした、まなっちが─────」


「────そんなことで記憶を売るとは、全く、理解が出来ないな」


 ────バシュッ!!

 空を切るような音が響き、想魔の上にまばゆい網のようなものが広がる。それは野生動物を捕獲する網のように、瞬く間に想魔を捕らえた。刹那、網がギュッと狭まり、球体の壁の中に想魔を閉じ込めてしまう。想魔が引き剥がされ、相川はふらりと姿勢を崩した。その体を、細くも逞しい腕が受け止める。直後、結界はゆらゆらと蜃気楼のように消えた。

 見慣れた教室と夕陽が風雅たちを出迎える。すぐ正面、力尽きたように項垂れた相川がいた。そして、その相川を片手で受け止め、もう片手に想魔を閉じ込めた球体を手に持っている人物は、


「た、多治見先生!?」


「勝手に行動するなと言ったはずだ、菅野。子どもは大人しく守られているのが務めだろう」


「しかし、いかなる状況でも、多治見先生が助けに来てくれるでしょう?」


「つけあがるな。次はないぞ」


 反省の色が見えない雷花をギロッと睨みつけ、多治見が相川をゆっくりと背中に背負う。そのあまりにも手慣れた動作に、風雅は理解が追いつかない。

 なんだ、今の。何をしたんだ。混乱する風雅を代弁するように、梅が言う。


「せ、先生!? 何が起きたんですか!? どうやったんですか!?」


「お前たちが知る必要はない。私は、顧問としての務めを果たしたまでだ」


「で、でも」


「それより菅野。二度とこんなことするなよ。仕事を増やされたら困るのは私だ」


「はい。以後気をつけます」


 絶対そんなこと思ってないだろ。

 まるで反省していない雷花を見つめ、多治見は大きくため息を吐く。相手をするだけ無駄だと思ったのだろう、多治見はそのまま相川を背負って出て行ってしまった。風雅は理解が追いつかないまま、雷花を見つめる。風雅と梅の視線を受け、雷花はにこやかに笑うと、


「さて、僕たちも帰りましょう。これにて、一件落着です!」


 困惑と混乱を残したまま、そう、強制的に締め括った。

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