第四章:パリにて、名を捨てて
東京帝国大学文学部仏文科卒業──それは、神崎原
父・義隆は、最後まで納得してはいなかった。
「おまえは、筆で飯が食えると思っているのか」
と、吐き捨てるように言った。
だが、彼の中のどこかには、息子が自分と似て“若気の夢”を持ち、それを経て家に戻ってくるだろうという甘えがあったのかもしれない。
義詮は、父の許しとも突き放しともつかない言葉を背に、仏国留学へと旅立った。
渡仏は明治末──日本が列強への階段を駆け上がる影で、ひとりの青年が“名を捨てる旅”に出た。
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パリ。モンパルナス。
義詮が最初に通ったのは語学学校ではなく、カフェ・ラ・ロトンドだった。
芸術家、詩人、浮浪者、そして亡命者。
世界中の“名のない者たち”が集まるこの小さなサロンで、義詮は初めて、自分が「血」を名乗らずに笑えることに気づいた。
日本で“神崎原”という名前が築いた信用、資本、取引──ここでは、誰にも通じなかった。それは恐ろしくもあり、救いでもあった。
クロッキー帳と鉛筆。安ワインと剥がれた壁。赤黒い雨が降る夜、通りの石畳を踏みしめるたびに、名を持つことがただの重荷に感じられた。
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ある日、雨宿りのロトンドで一人の女に出会った。
カミーユ。
白い肌と金色の瞳を持ち、煙草と語学、そして皮肉を愛した女だった。
彼女は最初、モデルとして義詮の絵の前に立った。
だが、やがて彼の傍らで煙を吐き、寝台で身体を寄せ、アトリエにパンを置いて帰るようになった。
「名なんか、なくたっていいじゃない。ここではあなたの絵が、あなたなのよ」
その言葉に、義詮は涙を流した。
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藤田嗣治とは、ギャラリー・シャルパンティエで短く言葉を交わした。
「君は、君の名を捨てられるか?」
その問いに、義詮は曖昧に笑って答えなかった。
佐伯祐三の描いた“壁”を見て、義詮は震えた。
「この人は、死ぬために描いてる」──その直感は、正しかった。
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数年後、カミーユは妊娠した。
義詮は迷い、苦しみ、それでもその命を受け入れた。
パリの風の中に、未来があると思った。
だが──その未来に、東京からの電報が届いた。
「帰国セヨ。事業継承準備中。」
義詮は、その言葉の重さを理解していた。
神崎原家という企業体が、“次を見据えた構造”をいま失いつつあること。
父は、それに気づいていたのだ。
義詮は、カミーユに何も告げずに数日間部屋に籠った。
そして静かに筆を取り、最後の作品を描いた。
カミーユと、まだ名も持たぬ息子と、自分── その三人が、朝靄のモンパルナスに立つ絵だった。
作品の裏には、ただ一言だけ記されていた。
「信一」
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旅支度の夜、カミーユは義詮に言った。
「帰っても、あなたはあなたでいて」
義詮は微笑んだ。
だが、彼自身もまだ知らなかった。帰国の先に、沈黙が待っていることを。
そしてその沈黙こそが、神崎原家の四代目を浮かび上がらせる“始まり”になることも──企業とは、必ず“継がれる”側が選ばれなかったとき、“継ぐ理由を自分で見つけた者”によって、形を変える。
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