第三章:歪んだ栄華の胎動
明治三十年代、日本の産業は急速に開花し、列強の一角を担わんとする時代。神崎原 義隆もまた、その波を巧みに乗りこなしていた。
帝都に居を構え、政財界と昵懇となった彼は、軍需、鉄道、水道と、あらゆる分野に資本を投じた。投資先はすべて、「神崎原」という名前を社会構造に組み込む布石だった。
義隆にとって、経営とは“国策と連動する構造の設計”であり、利を取るより先に位置を取ることが信条だった。
中でも、日露戦争を見据えた陸軍との関係は深く、後に「死の商人」と囁かれるほどの地位を築くに至る。
そうした中で、義隆は旧公家の末裔、三条家の令嬢・綾子と政略結婚する。
家格に違わぬ気品を湛えた綾子は、義隆の“家名”への執着を冷ややかに受け入れ、夫婦としての親密さは皆無に近かった。
結婚から一年後、長男・
義隆は歓喜し、この子こそが「神崎原家の未来を担う者」として育て上げようと心を砕く。
しかし、義詮は幼い頃から絵と音楽に親しみ、商いに対しては、まるで関心を示さなかった。
義隆は当初それを「余裕」と解釈したが、成長と共に息子の芸術志向は明らかになってゆく。
後継者育成とは、資質の開花を待つものではない。
企業の未来を握らせるには、思想の継承と資本感覚の訓練が必要だった。
義隆はその準備を怠った。
ほどなく、義隆は銀座の料亭の芸妓・佐和に溺れ、彼女との間に一女・
世間体を憚り、佳代の存在はしばらく伏せられていたが、義隆は奇妙なほどこの娘を可愛がり、何かあるごとに傍に置いた。
「女にしておくには惜しい子だ」 と呟いたその言葉は、後に継承の構図を根底から揺るがすことになる。
義隆にとって“継ぐ者”とは、血ではなく理念を背負える者に変わりつつあった。
それは、“企業とは誰が率いるべきか”という問いへの予兆でもあった。
義隆は次第に、家業を“継がせること”そのものより、“継がれるに相応しい血”を選ぶことに固執し始める。
家業は拡張し続け、東京・大阪に支店を持ち、満州や上海にも人を送る。
だが、その繁栄の陰で、神崎原家の内部には亀裂が走り始めていた。
事業の拡大、政治との癒着、そして二人の子どもたち。
表向きは盤石に見える帝国のような家だ。
しかし、その裏側では、義隆の執着と傲慢が、静かに次の代への歪みを育んでいた。
成功とは、過去の戦略が正解だったという“幻想”である。
義隆はそれを信じ過ぎた。
企業の命は、勝ち続けることではなく、変わり続けることにあると知らぬまま。
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