第3話 嫉妬のサファイア
翌朝、目が覚めた俺は、一瞬、昨夜の出来事はただの奇妙な夢だったんじゃないかと思った。だが、胸にある宝石の冷たい重みと、スマホに新しく登録された連絡先「ダークハートプリンセス🖤」が、全てが現実だったと告げていた。
「さてと」俺はベッドで伸びをしながら思った。「今日もまた、退屈で怠惰な一日が始まるってわけか」俺は胸の上の冷たい塊に話しかけた。
「なあ、相棒。お前のことはなんて呼べばいい? 名前はあるのか、それともこのままクソ石でいいか?」
俺の思考を、いつものように鋭く冷たい声が遮った。
『目覚めよ、主。貴様が眠っている間も、世界は止まってはいなかった。我が探索もな』声にはユーモアの欠片もなかった。『名など、下等な存在が持つもの。我は目的そのものであり、力そのものだ。貴様は我を宝玉と呼べばよい。その単純な脳には、それで十分だ』
「宝玉、ねえ。ちょっとつまんねえな。ゲムちゃん、てのはどうだ?」俺はニヤリと笑った。
純粋で、一切希釈されていない純然たる怒りの衝動が、俺の精神を貫いた。そのあまりの激しさに、思わず身体がびくっと震える。まるでドライアイスに触れたかのようだ。再び聞こえてきた声は、危険なほどに静かだった。
『……貴様のその不遜な態度は、後で改めて議論するとしよう。今は集中しろ』
その言葉を強調するかのように、新たな情報の波が脳内に流れ込んできた。脳に針を突き刺すような、鋭く不快な感覚。深く、侵略的な知覚だった。
サイコスキャン完了
ターゲット1:魔法少女ルミナスサファイア
本名:
最も深い秘密: 妹、茜に対する苦い嫉妬に蝕まれている。蒼は、茜の方が天賦の才に恵まれ、世間からも愛されており、自分は半分の評価を得るために倍の努力をしなければならないと感じている。彼女の最も利己的な欲望は、この街で唯一の魔法少女ヒーローとなり、ついに脚光を独り占めすること。
ターゲット2:魔法少女ルミナスルビー
本名:
最も深い秘密: 明るく元気な仮面の裏で、強大な敵と戦うことを病的なまでに恐れている。彼女の魔法少女としてのキャリアは、姉である蒼への共依存の上に成り立っている。彼女の最も利己的な欲望は、蒼が常にそばで自分を守ってくれること。そうすれば、真の危険に一人で立ち向かう必要がなくなるからだ。
『ルミナス姉妹』宝玉は冷たく言い放った。『人気のデュオだ。今頃、中央公園の広場で子供たちのためにサイン会を開いている。奴らの絆は強みであり…そして最大の弱点だ。我は貴様に、その膿んだ傷口をこじ開けてほしい』
「はいはい、わかったよ、ゲムちゃん。今行くって」俺は呟きながら、適当に服を引っ掛けた。「だが、やり方は俺に任せてもらう。ガキどもがいなくなってからだ。ガキにトラウマを植え付ける趣味はねえんでな」
宝玉は一瞬、沈黙した。
『貴様のその用心深さは、哀れな感傷から生まれたものではあるが、戦略的には理に適っている。待つとしよう』
広場は、予想通り陽気な雰囲気に満ちていた。大きな噴水、杖やぬいぐるみを抱えた何十人もの子供たち、スマホで撮影する親たち。テーブルには、ルミナス姉妹が座っていた。
姉のルミナスサファイアは、背が高く優雅で、長い紺色の髪を完璧なポニーテールに結んでいた。その笑みは洗練されていたが、どこか作られたものに見える。妹のルミナスルビーは、短くツンツンした赤い髪と、純粋なエネルギーに満ちた、まさに炎の塊だった。だが、俺は彼女が時折、依存の色を瞳にちらつかせながら姉の方を見ているのに気づいた。
「はい、ティミー君! これからも、とってもいい子でいてね!」ルビーが元気よく言った。
「茜、列が長くなっているわ」サファイアが、穏やかだが有無を言わせぬ口調で言った。「ペースを上げていきましょう」
茜の笑顔が一瞬だけ曇り、すぐにまた輝きを取り戻した。俺は人混みの端に立ち、二人を観察していた。表面上は完璧なデュオだが、宝玉は俺にその亀裂を見せてくれた。
「面白いな」俺は呟いた。「で、二人まとめてやるか、それとも一人ずつか?」
宝玉の声は、純粋な、捕食者の論理そのものだった。
『二人同時に攻撃するのは、奴らが最も力を発揮できる状態で戦うことと同義。愚の骨頂だ。我々は奴らを解体する。一片ずつ、な』
『まずは姉、蒼からだ。奴の嫉妬心は、格好の毒となる。奴を手に入れさえすれば、愛らしい妹を堕とすための、完璧な道具となるだろう』
『イベントはもうすぐ終わる。奴らは別行動になるはずだ。蒼を追え。好機を待て』
「美女のストーキング、ね。悪くない響きだ」俺はそう思いながら、辛抱強く待った。
ほどなくして、イベントは終了した。姉妹はテントに姿を消し、数分後には普通の学校の制服姿で出てきた。
「すっごく楽しかったね、蒼姉! ティミー君、可愛かったなあ!」茜がはしゃいでいる。
「ええ、そうね」蒼は疲れた声で答えた。「一時間後には塾があるわ」
「えー、その前にタピオカ飲みにいこ! 私がおごるから!」
蒼はため息をついた。その顔には深い疲労が滲んでいる。「私は図書館に寄らないと。先に行ってて」
「わかった! また後でね、姉さん!」茜はそう言うと、跳ねるように走り去っていった。
蒼はその背中を、嫉妬の入り混じった複雑な表情で見送っていた。彼女は踵を返し、公園から続く、より静かな小道を歩き始めた。
『獲物が群れから離れたな』宝玉が告げる。『距離を保て』
俺は彼女の後をつけた。彼女は静かな池を見下ろす、古びたベンチで足を止めた。そしてただそこに座り、完璧だったその姿勢が、ゆっくりと崩れていく。
周りに誰もいないことを確認すると、蒼は長く、震えるようなため息を漏らした。完全に一人だと思った時にしか出せないような音だ。木陰に隠れた俺の場所から、彼女の肩が震え始めるのが見えた。彼女は、泣いていた。
『哀れなものよ』宝玉が俺の頭の中で吐き捨てた。『これが偉大なるルミナスサファイアの真の姿だ。今が好機。奴の精神的な防御は、最も低下している。近づけ。そして、砕け』
「任せとけ」俺は計画を練りながら思った。「タレントのスカウトの時間だ」
俺はサングラスをかけると木陰から歩み出て、まっすぐ彼女に近づいた。「すみません、お嬢さん。ちょっと怪しく聞こえるかもしれないけど、俺、芸能事務所の者でしてね。新しいアイドルを探してるんですよ」
蒼はびくりと肩を震わせ、涙を拭いながら顔を上げた。「だ、誰ですの…? 興味ありません」彼女の声は警戒心で尖っていた。だが、俺の言葉が彼女の耳に届く。「アイドル」「事務所」。彼女の防御的な姿勢が、ほんの少しだけ和らいだ。「…アイドル? 何かの詐欺じゃありませんの?」
「詐欺じゃないですよ」俺は、昔の仕事で使っていた安っぽい名刺を差し出した。「俺は博人って言います。新人を探してましてね、あなたには何か…声とか、ルックスとか、スター性を感じるんですよ。お名前と、ご年齢を伺っても?」
彼女は震える指で名刺を受け取った。唇を噛む。「私の名前は…田中蒼です。年は、二十歳です」彼女は、ほとんど挑戦的にそう言った。
『餌に食いついたな』宝-玉が告げた。
「まあ、うちは小さい事務所でしてね」俺はにやにやしながら頭を掻いた。「新しいグループでデビューさせたいんですけど、才能があればソロも考えてるんですよ。あなたなら、ソロでも十分やっていけそうだと感じます」
「ソロ」という単語が、物理的な衝撃となって彼女を打ちのめした。
「ソ、ソロ…ですの?」彼女は疑うことさえ忘れ、どもった。「それって…私一人で? グループじゃなくて?」彼女の耳には、自分だけのスポットライトが約束されたかのように響いたのだろう。「わ、私…ダンスの練習はしています。それに、歌のレッスンも受けたことが…。時間なら、作れると思います」
『完全に釣り上げられたな』宝玉が断言した。『事務所が近くにあると伝えろ。この公園から奴を誘い出せ』
「ちょうど、うちのスタジオがこの近くなんですよ」俺は歩き出すフリをしながら言った。「もしお時間があれば、今から簡単なオーディションでもどうです?」
そして頭の中で、静かに命じた。「お前らも役に立て、ゲムちゃん。獲物のための場所を見つけろ」
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