第2話

仕事を終えて帰路に着き、いつものマンションの最寄り駅で電車を降りたところでスマホに1件の通知が入った。

「今夜20時に公開、な。昨日編集しとったやつか。連日大変やなぁ……」

周りに誰もいなかったので、声に出してみる。

「そういや俺がバンコク行く前にここ行くって言うとったっけ」

SNSに表示されているサムネイルを眺めつつ、マンションへ向かっていく。

「ん…?」

彼のSNSを辿って、企画、の文字に

指も足も止める

「ふぅん、あっこの駅からあっこの駅まで徒歩で行く、ねぇ」

以前のライブでもこの人数を超えたらそれに因んだ企画をやると言っていたことを思い出した。少し前に彼のチャンネルは登録者が5万人を越え、何らかの企画をやると、この前のライブでも言っていた。

「で、なんでまたこうなってんの?」

「何の確認もせずほいほいと寄ってくるからやろー」

用事があるからと言って自宅に帰っていなかった昴の手を引いて、昨日と同じように膝に乗せた。

後ろから抱えるように抱き寄せて、ぽふりと肩に顎を乗せる。慣れない体勢だからなのか、触れた身体は小さく震えていた。

「……すば?」

「え、と、何?」

「俺が言うのもなんなんやけど大丈夫か?」

「うん、大丈夫大丈夫……大丈夫」

まるで言い聞かせるような声音に、昴にばれないように小さく息をつく。

「1回降りてみ」

「晃さん……っ」

「心配せんでええって。んで、こっち向いて「……うん」

「ほら、遠慮なくどーぞ」

「……うん」

いつものように向かい合わせで膝に座ってきたところで腰に手を回して引き寄せる。

「エアコン寒いか?」

「そうでもない、かな」

「なぁ、すば。怖い?俺のこと」

「え、と、そんなんじゃ……っ」

「わかんねん。慣れてくれたって思っとったけどこうやって触れるとすばはいつも震えてるやろ。」

「……っ」

「聞かん方がええんやろうと思っとったから聞かんかったけど、何聞いても嫌いになったりなんかせぇへんから、話してくれるか?」

「……」

「俺もな、お前よりは長く生きとるんや。どんなこと聞いてもお前の全部受け止めてやれる、器はあるつもりやし自信はある」

嘘だ。時折感じる彼の忘れられない誰かの影に怯えていることなんて言えるわけが無い。

「晃さんは、さ、たかさんって知ってる?」

「なんか前に聞いた事ある気ぃする」

「大学の頃、そのたかさんと付き合ってて、俺」

「そっか」

「単純に手酷く振られたとかだったら良かったんだけど、巻き込まれて……その、」

「ん?」

「たかさんの居たサークルに」

「そうなんや」

「端的に言うと……ヤリサーってやつだったんだよね」

「へ?」

「知らなかったの。でも、なんか断れなくて飲み会連れてかれて」

「しこたま飲まされて、その」

「……うん」

「気がついた時には知らない誰かに抱かれ

てたの」

「……辛かったなぁ」

「……でも、その時はたかさんの差し金だってこと知らなくて……」

「もうええよ」

「俺は、嫌だって言ったんだ!なのに……っ」

「ええって、もうなんも言わんでええよ」

要は恋人に裏切られたトラウマというところか。と少しだけ納得した。

「好きやったんやろ、そいつが」

「……うん」

「で。言える範囲でええよ。最近、何があった?」

「……DMが、来たんだ」

「ん?」

「よく、ライブとか来てくれて、コメントくれる、人」

「そうか」

「ハンドルネームだったから気づかなかったんだけど、それが……たかさんだった」

「そ、か」

「あと、この前のオフ会も、来てて。俺、気づいてなかったんだけど……」

「ん」

「晃さんと話してるところ見てたらしくて……いろいろ言われて……触ってくるし……」

「そっか」

「晃さんには俺なんかよりもっといい人が居るはずなんだよなって、思って……」

「なんやねん」

「だって、あれから何年も経ってるのに、晃さんは俺の事大事にしてくれてるってわかってるけど触られるの怖くて、好きだって言ってくれるのにちっとも返せてない。こんなに好きなのに恋人らしいことなんてひとつもできてない。俺は、いつも晃さんに我慢ばっかりさせて……っ」

「昴、すば、落ち着け。大丈夫やから」

軽く肩を抱き寄せて背中をゆっくりと撫でる。

「もうそろそろ5年やったか、お前が俺に告白してくれてから」

「……うん」

「ほんの少しでも、怖い気持ちがなくなったらそれでええよ。ずっと怖いままやないやろ?」

「……うん」

「そりゃあまぁ、俺も男やし?

好きなやつとくっついてたらもっと触りたいと思うことだってあるけど、昴を怖がらせてまで先に進まんでもええかなーって思っとるんやで」

「でも」

「でもでもだっては一旦止めよ。」

「……うん」

「昴は」

「うん」

「俺と別れたいん?」

「……うん。晃さんには幸せになってほしいし……」

「あー、俺の気持ちは無視なん?」

「え、と」

「周りに隠しておくのがしんどいとか、そういうんやったら潔くって思っとったんやけど」

「……」

「聞いたらあかんわ」

「嫌いにならないって言った……っ」

「嫌いにはなっとらへんよ。決めた。何がなんでも落としたる」

「……え」

「まぁ、昴は俺と距離置いた方がええと思っとるみたいやから?すばの気持ちの整理ができるまでは距離置こ。それでええ?」

「……うん」

そうして、5年にわたる恋人生活は終わりを告げたのだった。

それから約1週間程して、昴から連絡が来た。

「晃さんもSNS見たと思うしライブでも聞いたと思うんだけど、俺の住んでる県に結構でかい駅あるじゃん?」

「名古屋駅、やったっけ」

「うん。で、久しぶりに行きたくなったからって理由で岐阜駅まで歩いて行ってみることにしたんだよね。計算上は片道で5万步で踏破できる距離」

「おー、頑張れ」

「何言ってるの。巻き込まれてくれるでしょ、晃さんも行くんだよ?」

「あのー、昴くん?晃さんもおっちゃんやからさ、少しは労わってくれへん?」

「何言ってんの、まだ若いでしょ」

「20代の昴くんには勝てへんわ」

「……ちっ」

「ちょっ、舌打ちすんなや傷つくわおっちゃん」

「うん、ごめん」

「しゃあないなぁもー」

「行ってくれる?」

「昼飯と晩飯付き合ってくれるんやったら考えたるよ」

「いいよ。それくらい」

「昴くんおっとこまえやなぁ」

「えー、今頃気がついたの?」

「知ってた。知ってたわ」

「お酒は付き合わないよ」

「それはまぁ……しゃあないな。昴は酒好きやないもんな」

「……ごめん」

「ええよ。俺ひとりで久しぶりに昴と一緒にご飯しながらゆっくり楽しむから」

「発想がおっちゃんだ」

「なんや。俺、まだまだ若いからええの」

「自分で言ってるし」

この時間に駅のこの出口で待ち合わせ、と決めて通話を終わらせる。

「誘っちゃったなぁ……」

ソファーに座ったまま膝を抱えてじたばたする。

数年前、友人に着いて行った駅で初めて晃さんを見た時以来のドキドキ感に、そわそわとスマホを撫でる。

どうしても別れて欲しい、とお願いをしたあの日からまだ1週間。恋人という肩書きではなくなって、繋がりが無くなるものなんだと思っていたけど、意外とそうでもなかった。

俺は気づいていなかった。これから、いたずらとも運命とも判別のつかない出来事が続くことに。

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