コイの話、アイ語り
樹香瑠
第1話
「しばらく海外に行くから、別れよっか」
「……は?」
夏になり、蝉の声を聞くようになった頃、長年付き合ってきた恋人に振られた。
俺も相手も所謂旅系動画配信者、である。
編集をしていた手を止め、背後でパソコンに向かっていた彼を見た。
モニターに隠れて半分くらいしか見えてないけど、視線は合わない。
「どうしたの急に」
「あんまり会えないし」
「今更でしょ」
「すれ違いばっか」
「それこそ今更」
誰かになにか言われたのかと聞いてみたけど首を横に振られてしまったのでそれ以上は聞かないことにした
「この前の動画」
「ん?」
「ホテルでさ、あのー、ほら、ゴム見つけて楽しそうだった」
「この前って……あー、タイの」
「……うん」
少しずつ返事する声が力を無くしていく。
こういう所が可愛いんだよなー、なんて思っていたら、モニターに向いていた視線がこっちを見て俺を呼んだ。
「
「ん?」
「顔に出てる」
「
「あのね!晃さんと俺そんなに歳変わんないから!わかってる?!」
たしかにものすごく離れている訳では無い。配信をやり始めた年が違うだけで。
全く!と拗ねたのを見つつ面白くなってきてポンポンと頭を撫でたら逃げられた。
「なんで逃げんの」
「身の危険を感じて」
「ほー」
それならば、と腕を引いて膝を突き合わせるように座る。
両手でわっしゃわっしゃと頭を撫で回したらやっぱり逃げようとじたばたしていた。
「ちょっと晃さん!」
「あー、この後ライブやるんやろ?俺は席外すから髪とか整えて準備せんとな」
「誰のせいだと!」
「さー、誰やろねー」
「……晃さん?」
「悪かったって。まぁ、話は後でしようや。俺もライブ見るし」
「……うん」
多分、大きな理由は無いんだろうと思う。
出会った頃はまだ俺は30になったばかりで彼は20代を折り返したところだった。
付き合いも長くなったなと思いつつリビングのソファーに座る。
持ち出したパソコンを立ち上げると彼のチャンネルのライブのお知らせが来ていた。
彼の拠点である東海地方と俺の拠点である関西のだいたい中間のここに、部屋を借りたのは交通機関に乗ることの多いお互いの交通トラブルで自宅へ帰れなくなった時のため、だった。
彼がいる部屋は彼の自宅と同じような内装にして、この部屋でライブ配信をしても違和感が無いようにした。
そして約束をした訳では無いけど配信中は物音を立てないように気をつけているので、トイレを済ませ、ふと思いついて冷蔵庫から飲み物を出し、彼の居る部屋へと持っていく。
「昴」
「なにー?」
「お茶。飲むやろ?」
「ありがと」
ペットボトルを渡してリビングに戻る。
時計を見るとあと少しで配信が始まるところだった。
彼のライブは1度始まると1時間位は話続ける。
なのでしばらくは出てこない。
時々コメントを入れながら彼が視聴者たちと交流しているのを眺める。ちなみに俺はメンバーシップ会員になっているので海外にいて見れなかった時などはアーカイブを見ている。この前はアーカイブを見つつ1人で笑っていたのを昴に見られた。
ちゃんと見てくれてるんだ、と嬉しそうにしていたけど、内心ではどことなく思うことがあったのかもしれない。
くすくすと笑っているうちに生配信が終わっていたようで、ドアの開く音が聞こえた。
画面を見れば配信は完全に終わっていたのでリビングから顔を出す
「昴、おつかれ」
「うん。お茶ありがと」
「おー」
そう言って踵を返しリビングへ戻る。
「しっかし」
「ん?」
「いや、変な絡み方してくるやつら居るやん。今日はみなみちゃん来とらんかったから相手大変やったやろ」
「あー。まぁいつもの事だし。って、みなみさん今日本に居ないらしいよ」
「あ、そうなん。よう知ってんな」
「晃さんもみなみさんとSNS繋がってるでしょ見てないの」
「いやー、あんま見てない」
俺にとっては近くに居ない時の恋人の動きや、動画撮影のための情報を得るためのツールであって、誰かと繋がるためのものではないのだ。
「みなみさんといえばさぁ……」
本当はさっきの別れ話を問い質したいのだけど、こっちが向けた水を受けて彼が話し出してしまったため一旦そっちに乗ることにした。
「覚えてる?」
「何が」
「俺に晃さん紹介してくれたのみなみさんでしょ」
「あー、そやったなぁ」
俺とほぼ同時期に動画配信をやり始めた彼女とは生活圏が隣の県で撮影の時に何度か遭遇したことのある人物だった。ちゃんと名前を知ったのはその後知り合った昴のチャンネルのオフ会だったけど。
「昴はなんでみなみちゃん知ってたん?」
「あー、の、ね」
「うん」
「みなみちゃんの、旦那さん」
「おう」
「俺の、初恋なんだよ……ね。元同級生。大学の時の」
「……え?」
何故か過去の恋愛の話を掘り起こしてしまいいたたまれない気持ちになりつつ、立ったままの昴をソファーへ促す。
「あのー、昴くん?」
「うん」
「さっきの話とそこは関係……」
「ないよ」
「おー、そっか。そんならええわ」
「ただ、この前みなみさんと話する機会があってさ」
「ん?」
「ちょっと考えちゃって、いろいろと」
「なるほど」
どういう思考を経て別れ話に至ったのかは分からなかったけど、やっぱり異性がいいという訳ではなさそうだと言うのはわかった。
「んーとな、昴」
「……うん」
「とりあえずこっち 」
「え、わっ」
ひとつ深呼吸をして隣に座る彼の手を引いて膝の上に乗せた。かちん、と固まった背中を軽く撫でてみる。
どことなく恨めしそうな目がこちらを向いて、俺はそれに笑い返した。
ちゃんと聞いたことは無いけど、昴はこういった接触をとにかく嫌がる。
こんな風に何度も膝に乗せて、そういうのは最近になって慣れてきたようだけど、恋人だと言うのに実はキスひとつしたことがないのだ。
「ごめんね、晃さん」
「んー?あー、気にすんな」
彼が慣れるまで、怖いと思うことなく触れられるようになるまで待つと決めたのは俺だ。
お互いのチャンネルにいる1人の視聴者の存在に壊されるまでは。
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