第8話:私の楽園はここに。さようなら、殿下

 辺境の牧場に、張り詰めた空気が流れる。王子の必死の懇願を、村人たちや王子の護衛騎士たちが固唾を飲んで見守っていた。

 アラン王子は、セレスティアの前に進み出ようとするが、アレスが一歩も引かずにそれを制した。

「殿下。彼女の意思を無視されるおつもりか」

「黙れ、騎士団長!これは私と彼女の問題だ!」

 感情的になるアランに対し、アレスはあくまで冷静だった。しかし、その瞳の奥には、セレスティアを傷つける者は誰であろうと許さないという、強い意志が燃えている。

 そんな二人を制するように、セレスティアが静かに口を開いた。

「アラン殿下。お気持ちは分かりました」

 その声は、穏やかだったが、凛とした強さを持っていた。

「殿下のお申し出は、元婚約者として、大変光栄なことだと思います。ですが、そのお申し出をお受けすることはできません」

 きっぱりとした、揺るぎない拒絶の言葉だった。アランの顔が絶望に染まる。

 セレスティアは続けた。

「王都での生活は、確かに華やかでした。ですが、今の私には、あの日々がまるで色褪せた絵のように感じられます。今の私の幸せは、この場所にあります。泥にまみれ、汗を流し、自分の手で作り上げたこの牧場に。そして……私を家族だと言ってくれる、この愛する動物たちと共に生きる、この日々にこそあるのです」

 彼女は、隣に立つアレスの手を、そっと握った。

「それに、私にはもう、生涯をかけて守りたいと誓ってくれた人がいますから」

 その言葉と、二人の間に流れる強い絆を目の当たりにして、アラン王子は悟った。

 完膚なきまでに、自分は敗北したのだと。

 彼は、彼女の物理的な幸福だけでなく、彼女の心の輝きそのものを、自らの手で奪おうとしていた。そして、彼女はそれを自らの力で、何倍にもして取り戻したのだ。

「……そうか。そう、だな。君はもう、私の知っているセレスティアではないのだな」

 王子は、力なくそう呟いた。その顔には、嫉妬や怒りではなく、深い諦めと、ほんの少しの寂しさが浮かんでいた。

「邪魔を、したようだ。……すまなかった」

 彼はそれだけ言うと、セレスティアに深く頭を下げ、静かに馬上の人となった。王都へと帰っていく彼の背中は、来た時よりもずっと小さく見えた。この苦い経験は、彼を少しだけ、王太子として成長させることになるだろう。

 王子の行列が去り、全てが終わった後、牧場にはセレスティアとアレス、そして聖獣たちだけが残された。

 二人きりになった牧場で、アレスは改めてセレスティアに向き直った。そして、先程よりも少しだけ緊張した面持ちで、彼女の前に跪いた。

「セレスティア」

 彼は、彼女の手を取り、その甲に優しく口づける。

「俺の残りの人生の全てを、君と、この楽園で過ごさせてはくれないだろうか。君を、俺の妻として迎えたい」

 それは、二度目の、そして本当のプロポーズだった。

 セレスティアの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。それは悲しみの涙ではない。喜びと、幸福と、そして愛しさに満ちた、温かい涙だった。

「……はい。喜んで」

 彼女は、涙で濡れた顔のまま、最高の笑顔で頷いた。

 その瞬間、まるで二人の誓いを祝福するかのように、聖獣たちが一斉に歓声を上げた。ユニコーンは高く嘶き、フェンリルたちは喜びの遠吠えを上げ、グリフォンは空を舞い、フェニックスは祝福の歌を歌った。

 辺境の小さな牧場から始まった物語は、こうして最高に幸せな形で一つの結末を迎えた。

 しかし、これは終わりではない。追放令嬢と氷の騎士団長、そしてもふもふの聖獣たちが紡ぐ、愛と幸福に満ちた物語の、新たな一ページの始まりだったのである。

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