第2話 小鳥
春先の昼下がり、私は電動車いすで散歩に出た。
家の前のゆるやかな坂を下り、商店街を抜けて川沿いへ向かうのが、いつものコースだ。
道端の八重桜はもう散りかけていて、歩道に薄桃色の花びらが絨毯のように広がっている。
車輪がその上を通るたび、かすかな擦れる音が耳に心地よく響いた。
商店街を抜けると、川沿いの遊歩道に出る。
堤防沿いには菜の花があたり一面に咲き、黄色が風に揺れて波打っていた。
橋のたもとでゆっくりと向きを変え、同じ道を戻る。
この時間帯は人通りもまばらで、聞こえるのは風と小川のせせらぎだけだった。
商店街の入り口まで戻ったところで、いつもの和菓子屋に立ち寄った。
そこは茶道の茶菓子を小分けで売っていて、季節ごとに形や色が変わる。
梅の花や若草をかたどった生菓子が小さなガラスケースに並び、見ているだけでも楽しい。
私はきんつばを三つ買った。少し甘さ控えめで、小豆の粒がほどよく残るのが気に入っている。
袋を膝に置き、再び車いすを動かした。
商店街を出る少し手前で、ふと左肩に小さな重みを感じた。
視線を落とすと、小さな小鳥が車いすの肘掛けにとまっていた。
羽は少し乱れ、目は半分閉じている。かすかに胸が上下しているが、飛び立つ気配はない。
私は息をのんだまま、ハンドルに手を置き直した。
そのまま坂を上り、家に着くまで、スズメは一度も降りなかった。
玄関先で待っていた母は、それを見るなり眉をひそめた。
「こんなのダメよ」
そう言うと、両手で小鳥を包み込むようにそっと持ち上げた。
その手は、意外にもやわらかく、丁寧だった。
母は庭に回り込み、日差しの射す木の根元に小鳥を置いた。
「ここなら風も当たらないし、少しは楽になるわ」
独り言のように呟いていた。
当時の私は、その行動を冷たいと感じた。
動物が嫌いなわけではないと知っていても、自分から引き離されたことが腹立たしかった。
母が何を考えていたのか、想像しようともしなかった。
けれど、何年も経った今になって思う。
あのとき母は、小鳥がこのまま私の膝で息絶えてしまったら、私がどれほど悲しむかを知っていたのだろう。
それを避けるために、あえて私の視線の届かない場所に置いたのだ。
それが母なりの優しさだったのかもしれない。
あの日の小鳥が、その後どうなったのかはわからない。
ただ、帰り道に桜の花びらを踏みしめる音と、肘掛けに伝わったあの軽い重み、そして膝の上の温かいきんつばの餡の重さだけは、今もはっきりと覚えている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます