リアル車いす目線で頑張って生きてたらこうなってた件について

ミセスk

第1話 忘れてるじゃない


 母はいわゆる毒親だった。何をしても否定し、誰かと比べ、決して満足しない人。

 父は昔、母を深く傷つけたことがあるらしい。それ以来、何十年も母に尽くし、機嫌を損ねないように生きていた。

 私はそんな二人が嫌で、親には反対されたが30歳を前に家を出た。

 私は生まれつき障がいがあり、車いすが生活の一部だった。

 自立と言葉で言うのは簡単だが、部屋探しひとつ取っても段差や手続き、保証人の壁が立ちはだかる。

 それでも何とか部屋を借り、暮らしを築いた。やがて、私を理解し支えてくれる夫と出会い、結婚した。

 母は、その夫のことも最後まで受け入れようとはしなかった。

 母が亡くなったとき、正直ほっとした。

 その三か月後、父も病で逝った。癌だったらしいが、私には最後まで詳しいことを話さなかった。

 父は普段から寡黙で、何を考えているのか分からない人だったが——母が生きているうちは自分が死ぬわけにはいかない、そう思っていたのかもしれない。

 ——二人は最後まで一緒だったのだ、とだけ思った。

 それから七年。私はほとんど夢を見ない。見ても、すぐに忘れてしまう。

 けれど、その夜は違った。夢の中に母が立っていた。家を出る前と同じ髪型、同じ服。

 眉を吊り上げ、私を睨みつけて何かを怒鳴っている。声は鮮明なのに意味は掴めない。

 ただ「忘れてるじゃない」とだけ、何度も繰り返していた。

 目覚めても、その言葉が耳に残っていた。理由がわからず、翌朝、夫に話した。

 「お義母さんが? ……なんだろうね」

 夫はそう首を傾げただけだった。

 数日後、知り合いから少し興奮した声で電話があった。

 「市役所の職員と雑談してたらね、あんたの旧姓の人を探してるって言うのよ。心当たりある?」

 心当たりも何も、それは間違いなく私だった。

 聞けば、母名義の保険金の受取人が私になっていて、長年手続きされずに眠っていたという。期限は目前だった。

 そのことを夫に話すと、彼は苦笑しながら言った。

 「それ、放っておいたら化けて出てきそうだね。……俺が手続きしとくよ」

 冗談めかしながらも、彼は書類を揃え、役所や保険会社に何度も足を運んでくれた。

 封筒に入った書類を受け取ったとき、背筋に冷たいものが走った。

 あの夢——「忘れてるじゃない」という母の声。

 きっと母は、亡くなってから何年も経った今になって、どうしても私に思い出させたかったのだ。

 母が好きだったわけではない。許せない部分はいまも残っている。

 けれど、あの声を思い出すときだけは、少しだけ温かい気持ちになる。

 叱る声ではなく、心配する声だったのだと、今ならわかる。

 それから、母の夢はまだ見ない。

 でも、あの一度きりで十分かもしれない——夫のことを少しは認め、安心してくれたのなら。

 そう思うと、胸の奥が静かにほどけていくようだった。

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